9-10 退路なし
あいかわらずベアトリーチェ回が続きます。
「い、い、いったい、どういうことかな、ベアト?」
間違いなく三十秒ほどはあった無言の時間を、必死の思いでぼくが打ち破った。リュミエラもローラも、話の筋道を想像することが出来ないためか、ポカンとしている。そもそも、この場にこのふたりがいる理由も不明だ。
「どういうこと、といっても、言葉のとおりなのですが、ちょっと順番が逆になってしまいました。わたしも少し舞い上がってしまっているようです」
落ち着き払っているとしか見えない風情でベアトリーチェが答える。
「アンリくんの返事を訊く前に、リュミエラ様とローラさんのお考えを伺うべきでした。このような提案、いかがお考えになりますか?」
「い、いかがって言われてもさ……どうしよう、アンリ?」
ローラは半ばベアトリーチェに呑まれてしまっている。
「どうしてわたくしやローラさんの意見が必要なのでしょう? ローラさんもアンリ様と結婚されているわけではありませんし、わたくしはそもそも意見など出来る立場にございません。お立場からいっても、ご自分のお考えを通されるのが当然かと」
動揺していても、さすがにリュミエラである。ポイントを突いた問い返しだ。そしてそれは、ぼくが知りたいことでもある。
「リュミエラ様、形に意味などありません」
ベアトリーチェはあっさりと切って捨てた。
「わたしは、ローラさんとリュミエラ様に、アンリくんを旦那さまとして共有させていただくお許しを得たいのです」
今度こそ、リュミエラは絶句し、ローラは硬直した。ぼくも口パクパクという感じである。
しかし、共有とか、モノ扱いされているのがなんともね。あまりにも自然で、受け入れちゃってる自分がこわい。ステータスとしては奴隷のリュミエラが「様」で、いちおう伯爵家の子供であるぼくが「くん」とか、実質的な力関係をみごとに看破している。
「あの、ベアトリーチェ様……」
最初に立ち直ったのは、やはりリュミエラだ。しかし、最後まで言うことは出来ない。
「『様』はおやめください」
「し、しかし……」
「おやめください」
彼女にとって、リュミエラは今でもあこがれの公爵家令嬢のままであるようだ。
「……では、ベアトリーチェさん、アンリ様を婿に、というご発案の真意を伺わないと、わたしたちとしてもお答えのしようがございません」
ベアトリーチェはそこでひとつため息をついた。
「やはりリュミエラ様を勢いで押し切ることは出来ませんでした。うまくいったら、このままおふたりの力も借りてアンリくんの首を無理矢理でも縦にふらせようと思ったのですが……」
ちょっと待って! そんな恐ろしいこと考えてたの!? 女の子怖いよ! 女の子歴が短いローラなんか、エクトプラズムみたいなのが口から出てる感じだよ!?
「わたしは男の子としてアンリくんが気になっています。もっと深く知りたい、とも思うし、そばにいれば、思いもかけないことをしてくれるのでは、という期待も感じさせてくれます。でも、そんなことを言っていられるのも、学舎を卒業するまでの間です」
ベアトリーチェの言っていることは、この世界の貴族の常識だ。恋愛という概念はもちろんあるし、貴族の世界の外では結婚と恋愛は非常に密接な関係にある。
だが、貴族は違う。学舎の同期のある女の子は、母親に自分が気になっている男生徒のことを打ち明けたとき、「恋愛なんて結婚してからいくらでも出来るでしょう」と窘められたらしい。そういうモノなのだ。女の子は結婚して初めて、育てられた家から独立した一個の人格として認められるのだ。
「アンリくんの話を聞いてから、自分は何がしたいか、どういう生き方がしたいか、初めて真剣に考えてみたんです。これまでは、いつかそれを考えるときのために、と学ぶことしか頭になかったんですね、わたし」
「ご立派だと思いますよ。わたくしがそのようなことを考え始めたのは、最終学年になってからでしたから」
「ぼくはついこないだ……」
ローラ、この場面は、ついこないだまで男だったきみの出番はあまりない。
「ありがとうございます、リュミエラ様。でも、そろそろわたしも、学んだこと、吸収したことをどう活かしていくか、考えなければならないことも事実です。だから、アンリくんの話はいいきっかけでした」
そこで彼女は一度言葉を切り、深呼吸をしてまた続けた。
「いろいろ油断のならない人ですけど、わたしはお父様が大好きです。厳しくて優しいお母様、いつもわたしのことをどこかで気にかけてくださるお兄様やお姉様、わたしを温かい目でいつも迎えてくれるお祖父様やお祖母様が大好きです。わたしは、その人たちに守られてばかりで終わるのはイヤ。お母様は、こんどは自分の子供に同じようにすれば良い、と言ってくださるけど、それだけじゃなくて、自分の力で何かを返したいんです。でも、このままだれかと結婚してしまうと、わたしは新しい家のことを第一に考える義務が出来てしまいます。それからでは遅いのです」
部屋の中は、妙な静寂で満たされてしまっている。こういう雰囲気をいつもおちゃらけて流してきたぼくには、けっこうシンドイ。シンドイが、ぼくには彼女の言葉を最後まで聞き届ける義務がある。
「アンリくんの話を思い出しながらそんなことを考えているとき、名案を思いついたのです。結婚すればニスケスの家を第一に考えられなくなる。結婚しなければ、女の世界では相手にされない。ならば、ニスケスの家を優先できる結婚をすればいい」
えーと、それがぼくの婿入り? 使える使えないで人を見てきた部分のあるぼくの言えた義理じゃないけど、あまりといえばあまりじゃないかい?
「アンリくん、なんてひどい女だ、と思ってるかもしれないけど、もう少しだけ聞いてくれる?」
きみはエスパーですか、ベアトリーチェさん!?
「アンリくん、卒業したあとにどうするか、考えてる?」
これまで淡々と話していたベアトリーチェが、ふいにぼくに話を振ってきた。今まで、明らかに彼女はリュミエラやローラに向かって話してたから、居心地がちょっと悪かったのだが、いきなりの展開でちょっと慌ててしまった。しかも、まさにぼくの頭を悩ませている問題だ。
「いろいろ考えてはいるけど、どれもうまくなくて、悩んでいるところ」
「アンリくんの話してくれた生き方ならそうよね。わたしが、ひとつ可能性を提供できるとしたら?」
「それが婿入りと関係してくるの?」
「そう。婿入りと言っても、ニスケスを名のるわけじゃなくて、ニスケスの計らいで新しい家を作るの。広い意味でのニスケス一族に連なる、ということ」
それなら実質的に婿入りと同じだ。だが、それがぼくの抱える問題をどう解決するか、まったくわからない。説明プリーズだ。
「家を背負って立たなきゃいけないなら、全然悩みが解決しない気が……」
「背負って立っちゃったらわたしが困るの。だから、アンリくんは何もしちゃダメ」
どーいうことですかぁ? まったくわかりません。
「なるほど、そういうことですか」
リュミエラはわかったようだ。ベアトリーチェも、意図が通じて少しホッとしたように笑みを浮かべる。ちなみに、ローラはひとかけらも理解が及んでいない表情だ。
「リュミエラさん、リュミエラさん、少しぼくにわかりやすく説明を」
「殿方にはわかりにくいかもしれませんが、女の世界では、夫の貴族としての位階が高い場合と同じくらい、だらしない夫をもった女が一目おかれます」
は? なんですか、それ?
「といっても、家を潰してしまってはダメですが、そうでない限り、ふがいない夫に代わって家を支えている出来る女、と見なされることが多いのです」
「ということは、ぼくにその、ふがいない夫になれと?」
「定職をもたずにゴロゴロしている、などというのは理想的ですね」
なんと、ニートになれと言われてしまっている! 絶対に許してもらえないと思われるために以前頭から消した選択肢が、ここで復活している!
「お金には困っていないのでしょ?」
「あ、うん」
「それなら最高。家が潰れることはなく、しかもまわりはニスケスの力で家の屋台骨が支えられている、と勝手に思ってくれるわ」
そ、それを「最高」と言ってしまっていいのだろうか?
「わたしは、だらしない旦那さまの代わりに貴族社会を泳いでいけばいい。うまく立ち回れれば、それなりの力をつけていけるはず。わたしはニスケスの家とド・リヴィエール伯爵さまの家、そしてアンリくんを守るためにいろいろなことが出来るようになる。アンリくんも、ニスケスの家を、ド・リヴィエール伯爵家と同じような気持ちで守ってくれるかもしれない」
そんな夢みたいな、とは言えない。いや、この子ならやる。むしろ、貴族社会の裏で大立者になる気がしてならない。そして、以前リュミエラから指摘されたとおり、ドルニエ王宮にはまだツテを作っていない。その状況で、王宮に直結する社交界に強力なピースをもつメリットは計り知れない。ぼくがニートとして生きる決心さえすれば、いろんな悩みが一度に解決する。
そして、最後につけ加えた一言だ。ニスケス侯爵がぼくに言った言葉とほとんど同じ。彼女自身が、すでにやり手の貴族として成長し始めている。
「そしてもうひとつ」
「ま、まだなにかあるの?」
「これなら、わたしの中にある、アンリくんが気になる気持ちも満足させることが出来るわ」
ベアトリーチェは、少し頬を赤らめながら、彼女らしい力強い笑みを浮かべた。この期に及んで、その表情は反則だよ。
「アンリ、ぼくは賛成だな」
ここまでずっと、アワアワしているだけに見えたローラが突然そう言った。
「なんでそう思うか、聞いていい?」
「彼女なら、ぼくやリュミエラさんが出来ない方法できみを守ることが出来る。きみは、ベアトリーチェさんが嫌いかい?」
「そんなわけないよ。彼女以上の女性はなかなかいない」
「だよね。ぼくは彼女なら、きみの第一夫人として喜んで受け入れるよ」
ベアトリーチェは、かすかにホッとしたような笑みを浮かべた。
そう、これまで六年以上みてきて、嫌いになれる部分がみつからなかった。そして、好き、嫌いといった気持ちでぼくが動かない、動けないことまで分かってる聡明な子だ。ぼくと彼女にとってのメリット。デメリットといったような話から始めたのも、そうでなければぼくが動かないことを分かってのこと。そして、彼女自身がメリットとデメリットを慎重に秤にかけていることを物語っている。
結論は……出さなきゃいけないだろうな。それもあまり時間をかけずに、だ。
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!
ベアトリーチェに思いっきり斬り込まれたアンリはどうするのでしょう?




