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その新人、真面目につき

店長から新人バイトが来ると話を受けた翌日は日曜日だった。とはいえ、いつも通りにバイトが始まる1時間前、俺はショパンの「ノクターン第2番」で目を覚ます。携帯にプリインストールされていた代物で、決してクラシックが好きだとかそういうわけではない。ちなみに、バイト30分前にはやはりショパンの「別れの曲」がアラームとしてセットされている。そんなアラームで起きられるのかと言う人もいるが、俺はこの少し物悲しい感じが流れると、遅刻かと思わず飛び起きてしまうほどになった。

いつもの通り、歯磨きと髪のセットをして、アルバイト先であるコンビニへと向かう。10分程度の道のりではあるが、ひたすら坂を上っていかなければならないため、予想以上に息が切れる。ただ、少しひんやりした空気を持つ春の早朝は気持ちが良く、日の出と同時に活動しているため、他人よりも得をした気分になれた。

「お疲れ様でーす。」

と夜勤の人と挨拶を交わし、着替え(といっても制服を羽織るだけだが)のために事務所の扉を開けた。家を出てからここまでの一連の流れに淀みはなく、家のドアノブを回した右手からここまでの歩数に至るまで、全てがいつも通り。そこに何者も入り込む余地などない、完璧なルーティンワーク。しかし、事務所には既に伝えらえていたイレギュラーな要素があった。

「あ、御影君。こちら、今日からアルバイトに入る来島くるしまさんね。」

「初めまして。来島美緒です。今日からよろしくお願いします。」

スラっとした感じの来島美緒と名乗る人物は、身長160前半といったところだろうか。胸まで掛かる程度の長い髪を後ろで結び、向かって右側に前髪を流してピンで止めている。俺の身長は176センチだが、ちょうど目の高さくらいに相手の頭が来るような感じだ。女性としては背が高い方と言えるかもしれない。しかし、それ以外の部分で俺は圧倒されてしまった。

「じゃあ、俺はもう家帰って寝るわー。御影君、あとよろしくー。」

そそくさと用意をし、夜勤より先に帰路につく店長。とはいっても、時間は朝の5時である。

「じゃあ祐介、俺も先に帰るな。」

フリーターの先輩も欠伸をしながらコンビニを後にする。ここから先は来島美緒と私の二人だけだ。

「ええと、御影……さんでしたよね。業務について教えていただいてもよろしいですか?」

「お、おお……」

背の高さなどではなく、私が圧倒された理由、それは容姿によるものだった。髪の毛が明るめの茶色に染まっているのはまあ、大学を歩いていればそんな人間はたくさんいる。しかし、目を強調したメイクに何やらキラキラとしたものがついており、頬はうっすらとピンク色、それに合わせたのかピンクのルージュも唇に得体のしれない潤いをもたらしている。

早い話が、ガチガチのギャルである。今にも「あげぽよ」などという単語が口から出てきそうだが、現実は違った。

「店長からは出勤時のタイムカードのこと、遅刻をする際の連絡や業務規則、接客における注意点などを主に教えていただきました。レジを含む実業務は御影さんから教わるよう聞いています。」

彼女はびっしりと書かれた手の平サイズのメモ帳をペラペラと2~3枚めくりながら答えた。今時のギャルにしては珍しい……というべきなのだろうか。

いや、ギャルがそもそも不真面目であるっていう先入観が良くないのだが。

そこで俺はふと気が付いた。

「ええと、今日は何時から出勤……ですか?」

年齢がわからないのでひとまず敬語を使っておく。

「本日は5時出勤です。もっとも、初回の勤務なのでオリエンテーションがあると思いまして、4時からこちらに出勤していますが……」

は?アルバイトの説明受けるのに1時間前から出勤?しかも、店長から言い渡されたわけではなく、自主的に出勤したことが本人の発言からうかがえた。

「ま、真面目なん……ですね。」

「……っていうかー、真面目とか超ヤバいんですけどー。」

いや、眉間に皺寄せながらギャル語っぽい感じ出されても。顔もやたらと引きつってるし。

「……ダメですか。」

来島美緒は肩を落とし、見た目にもわかるほどの落ち込みを見せた。

「大学デビューってやつ?」

「……はい。ギャルを志してからまだ2ヶ月です。」

志すほどにギャル道とは重いらしい。一つ勉強になった。

「ま、まあ、無理にギャル語とか話さなくてもいいんじゃね?接客とかどうせ普通にやるわけだし。」

正直、来島さんは美人だと思う。思うが、

「いえ、私は高校時代、勉強もスポーツもある程度水準以上にこなしてきました。その私がギャルに苦戦するなど、あってはならないのです。」

それ以上に変だ。しかもかなりの自信家なようである。

そして変だと思った瞬間に、女性として意識することはないなと確信した。

「いや、接客でギャル語使われても困るし。バイト中は封印。練習も禁止。」

「そうですか。かしこまりました。」

かしこまりました。とか、さらりと出てくるか?ギャル語話せるより普通に敬語しっかりしてる方が、社会人として就職する際にプラスになりそうだが。

「そんじゃあ、具体的な部分教えていくから。まずは表出て一緒にやってみようか。」

それから1時間ほど、俺は来島美緒に業務の流れやレジについて教えながら一緒に動いた。彼女は非常にヘタクソなギャルだが、全てを水準以上にこなしてきたという発言は嘘ではないようで、説明した大抵のことは一回でできるようになった。メモ帳は非常にまとまりがなく、スペースができた場所に書いていく感じだが、頭の中では整理ができているらしい。

1時間もすればある程度やらなければいけないことも落ち着き、7時頃まではゆったりした流れになる。いつもならば、ここで店長の軽薄なヒストリーや愚痴を聞かされ、「彼女いないの?何なら紹介しようか?」というありがた迷惑な提案に精一杯の作り笑顔で答えるのだが、今日は幸いなことに変なギャルと一緒である。


当然だが、話すことなど何もない。


そうこうしているうちにサンドイッチやヨーグルトなどの発注品が届き、その検品に追われる。本日は休日のため、大学前のコンビニは人の入りも穏やかだ。平日のピーク時は、2台のレジに各々20人ほどが並ぶという地獄絵図が見られるのだが。そこにも耐えらえるように、来島さんにはレジを中心に業務をお願いしていた。

初日にもかかわらず、既にレジを打つスピードはベテランのそれである。特にヘルプを必要とせず初日のアルバイトは終了し、9時入りのパートさん2人と交代をする。

「今日は教えていただいてありがとうございました。明日もよろしくお願いします。」

先に事務所に戻っていた来島さんは、着替えを既に済ませていた。襟付きのシャツにカーディガン、という落ち着いた感じの服装で、肩を出したり無暗に露出が多い服装でもない。彼女は申し訳なさそうな顔で深々とお辞儀をした。

「別にいいって。明日はもっと頑張ってもらわないとだし。」

「はい。それではお先に失礼します。」

こちらににこりと笑いかけながらくるりと踵を返す。ふわりと柑橘系の甘い香りが漂った。

彼女の後ろ姿を見送りながら、ゆっくりと着替えを始める。

彼女が近隣に住んでいた場合、下手をすると同じ方向に行けば追いついてしまうこともあるかもしれない。

そうすれば今日のアイドルタイムのように何も話さない気まずい空気が流れるだろう。俺としては精一杯の配慮のつもりだった。

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