諦めの理由
「777円です。」
不意に舞い込んできた幸運の数字に、早朝5時の俺の頭が一気に覚醒する。
「レシートは……」
「いりません。」
少し気を利かせたつもりだったが、客の反応はひどくつれない。
「ありがとうございました。」
自動ドアの奥に客が消えていくのを見送りながら、再度、幸運の数字が刻まれたレシートに目をやる。
「縁起物だと思うんだけどな。」
そう言ってレシートをにぎって丸め、ゴミ箱に捨てようとして、思いとどまった。
早朝のコンビニエンスストアのアルバイトは、荷物が来う時間以外は非常に落ち着いたものである。
飲み会後にオールをした顔色の悪い大学生が青春のほとばしりを店先にぶちまけたり、休祝前日限定だが飲み会で朝帰りのサラリーマンが愚痴ごと店先にぶちまけたりすることはもちろんある。
それでも、他のバイトに比べれば肉体的にも精神的にも楽だった。
まあ、朝5時に出勤することを除けば、だが。
俺は人のレシートをわざわざ広げて少しシワを伸ばし、折り畳んで胸ポケットにしまい込む。
何か良いことが起こる幸運のレシートというささやかな希望を持ち、陳列棚の整理に向かうのだった。
当然のことだが、その日に目立った幸運が起こることはない。
さて、大学進学を目指す高校三年生諸君に一言忠告をしておくが、バラ色のキャンパスライフというものは幻想である。この至高の生活はバラ色のハイスクールライフを送った者のみが享受できる無形文化遺産であり、ハイスクールライフをバラ色にするにはジュニアハイスクールライフがバラ色でなければならない。エレメンタリースクールは……多分そこまでは遡らなくても良いはずである。
何にせよ、バラ色のキャンパスライフを送るためには高校までの素養が大切であり、大学に入って環境が変わった途端に与えられるものではないということである。
俺がそれに気付いたのは大学二年生に差し掛かった頃であった。
夢も希望もいっぱいあったはずの大学生活は、初めこそ順調なようにも見えていたが、一つの綻びからあっという間に崩れ始め、現在は家、アルバイト先、学校を往復している。毎日アルバイト先で印鑑を押すところから一日が始まり、一人暮らしのアパートに帰って一日が終わる。アルバイト先の勤務表のような、判を押したような生活が続いていた。
高校の頃より周囲にはあまり馴染めず、知人といえる人物は何人かいたものの、友人はほぼゼロだった。別に何か特殊な趣味があるとか、人を寄せ付けない性格とかそういうことはない。ないと信じている。
馴染む努力を惜しんだつもりはないが、どうにも高校では結果が出なかった。そんな俺が次に考えたステージは大学。高校時代に友人ができず、中学時代の友人とも疎遠になってきている自分を打破すべく、バラ色のキャンパスライフを謳歌すべく、俺は進学する大学を絞り、努力した。どの程度の努力であったかというと、これは高校を卒業した後も一年間受験勉強をしたと言えば理解してもらえることと思う。とにもかくにも、俺はキャンパスライフを送るための関所を通過することができたのである。
環境が変わることで、新たに友人ができることを期待した去年の四月。
今まで小中高の十二年間、寄り道もせずに家に帰っていた俺は帰宅部の鑑とも言うべき存在であったろう。帰宅部の甲子園があれば他を寄せ付けない圧倒的な力で全国の猛者共をバッタバッタと倒していたに違いない。
周囲の帰宅部どもは自身を帰宅部と位置づけながら、友人とカラオケだ、友人と買い物だなどとのたまい、本来の「帰宅」ではなく、他の部活動に参加していないという意味で使用していたように思う。
そういう意味でも俺こそが真の帰宅部であり、帰宅キングと名乗っても差し支えないと考えていた。
そんな俺が過去の栄光をかなぐり捨て、地べたに這いつくばる思い……もとい、集団に属するという恐怖を抱えながらサークルの入会届けを提出したのがつい昨日のことのように思える。
そのアニメ同好会は諸事情により、というより自分が関連したある事件によって去年の十月をもって解散となってしまった。
俺、御影祐介はそこから四度目の帰宅部となる。
何も起こらず、波乱もなく、ただ日々を粛々と生きる。
これをロボットのようだとか人間らしくないと批判する人も居ようが、果たしてそうだろうか?
波乱の起こらない生活は悪なのだろうか?
日々決まった生活をするのは悪なのだろうか?
創造性が欠如しているのは悪なのだろうか?
人間がすべからく波乱や冒険に満ち溢れた創造性のある生活をしているはずがないのである。
むしろ、日々同じような動きをしている人間はきっと多いはずではないか。
そして、いつしかこの安定を楽しみ、現状を諦めるようになった自分が居た。