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二月十四日。バレンタインデー。女の子が好きな男の子にチョコレートを贈る日。最近は男の子から女の子へ贈るのも流行っているようだけど、やはり女性から男性へのベクトルがしっくりくると思う泉水は、でも自分の誕生日でもあるその日に少なからずのトラウマを抱いていた。
初めてチョコをあげたとき、それは小学校の中学年だった。軽い気持ちで仲の良かった男友達に贈ったつもりが、周りは思いのほか敏感な反応を見せ、からかいの的となってしまった。その理由は、誕生日である日に贈り物をするのだから好きに違いないという幼稚な発想からだった。今ではかわいい言い分と微笑むことさえできるのに、当時はもちろんそんな余裕もなく、彼女は深く傷ついた。それ以来、バレンタインデーにチョコをあげることに泉水は臆病になり、合わせて恋愛にも奥手になっていった。
―――それにもかかわらずハンドバッグにひとかけらのチョコレートを忍ばせている自分に苦笑しながら、彼女はその日の最後のチャイムが鳴るのを聞いたのだった。
「―――先生、ちょっといい?」
出くわすのを避けていた生徒が声を掛けたのは日下部だった。彼は頷いて、生徒と共に足早に廊下を抜けていく。傍から見ていた泉水は二人の雰囲気にどこか違和感を感じ、悪いと思いながらも後を追いかけた。すると彼らは放課後で誰も使わないはずの視聴覚室に忍び入っていったのだった。
「先生、またお願い」
扉越しに生徒の声が聞こえてくる。幸い、ドアの隙間から二人の様子が窺える。日下部はいつものようにゑびす顔で頭を掻いていて、生徒の表情はうかがい知れなかった。
お前ちょっと最近、使いすぎだぞ。同僚は笑顔を微かに曇らせながら、ジャージのポケットをがさごそまさぐる。
「まあまあ、今日はいろいろと入り用だろうからさ、念のため」
生徒は日下部の手の中の何かをひったくり、なにやら数え改めた。
あんまり無茶するなよ? 呆れ顔で言う教師は、でもどこか心配げにその生徒をみる。
「いざって時になくてそのままってなるよりいいだろ? 先生がそう言ったんじゃん」
だからってな—――日下部の言葉も聞き流し、用はすんだとばかりに生徒は踵を返した。
「―――こんなところで何してたの?」
生徒が出てくるなり泉水は彼の前に立ちはだかった。
男は女教師を認めると第一に何かを制服のポケットに押し入れた。
「泉水先生ごめんなさい。今日、どうしても抜けられない用事ができちゃって・・・でもそれが済んだら会えるかもしれない。空いたら連絡するから」
「いまなに隠したの?」
「いや、なんでもない。なんでもいから。じゃ、誕生日なのにほんとごめん!」
俺急ぐから、と彼は言い捨て、膨らんだポケットを見せまいと体を捻りながら足早に去っていった。
今日、誕生日だったんだね。逃げる生徒の後ろ姿を見ながら、視聴覚室から出てきた日下部は言った。泉水は不意を突き、彼のポケットを衝動的に探る。
「先生、これって・・・」
同僚のポケットから引き抜いた手には、バラにされたコンドームのパッケージが掴まれていた。
見られちゃったな、と日下部は少々バツの悪い顔をしながら頭を掻く。
泉水は教師のジャージにコンドームが入っている状況がうまく把握できず、しばらく彼とモノを交互に見比べるだけだった。