③
私には、電話なんてない。泉水は数日たっても日下部の慣れた様子で電話に出る姿を思い出していた。確かに彼の電話は異常に鳴る。でも、それなら私の電話は、異常に鳴っていない気がする。子供のころからまじめだけが取り柄で、冗談の通じない堅い女と言われたこともある。でも、私はそれでもいいと思ってここまでやってきた。教師になってからも真摯に生徒に接して来たつもりだ。なのに、キャリアを積んでも自分のもとに相談に来る生徒など稀だった。
「先生、聞いたよ。今月、誕生日なんだって?」
たまに寄ってくるのは、先月、告白してから執拗にアプローチを仕掛けてくるようになった生徒だった。
「なんでそんなこと」
「午前中の授業でそう言ってるのを聞いたってやつがいてさ」
確かにひょんな掛け合いから二月が誕生日であることを漏らしたが、それがもうこの生徒に伝わっているなんて・・・。生徒間の情報網も馬鹿にできないと妙に彼女は感心してしまった。
「ねえ、折角だから、お祝いさせてよ」
「どうして? あなたに祝われる筋合いなんてないわよ」
申し出に少なからず胸が躍る自分がいたが、泉水はそんな態度を隠して冷たくあしらう。
「だって俺たち、もうすぐ会えなくなっちゃうんだよ?」
卒業を控えた生徒は、演技なら迫真ものの声色を使って訴えた。
「ね、誕生日。それとももう予定が入っているとか?」
「予定はないけど・・・」
「じゃあなおさら。一人で誕生日なんて寂しいじゃん。俺、先生との思い出、作りたいんだよ」
情に訴えるように迫ってくる男性を制する言葉が思いつかないでいると、その健康的な浅黒い顔をした生徒は泉水の目の前でにっこりと笑って、
「で、誕生日、何日なの?」
と聞いてきた。
彼女は一瞬言い淀んでから、十四日、と呟いた。
「十四日・・・バレンタインか・・・」
泉水の答えを聞いた生徒はそうつぶやくと、急に難しい顔をしだした。
「うん分かった、何とかする」
しばらく悩んだ末に彼は言うと、なお何かを考え込むように去っていった。