第七話 開花
トゥバルキンさんの店で装備を揃えて外に出ると、エルザヴェータさんは自室に戻ってしまった。
「あまり遅くなるとアンナが心配するから」との事らしい。
僕はヴィンガルフの大通りをぶらぶらと歩くと神殿には帰らずに、公園の方へと足を向けた。
大きな泉があり、篝月の光を静かな湖面が反射している。
と、ふとその泉に映る篝月の形に違和感を覚えて、空を見上げた。
「篝月の形、変わってる…」
ここシェアルは地下に存在していて、その上空には篝月と呼ばれる碧い月が常に存在している。信号機の青の色ような光を放つその月が、大きく形を変えていた。
昨日見た時は満月だった。今朝見た時は半月――上弦の月だった。
でも今は細い三日月――有明月だ。本当に細い。まるで今にも新月になってしまいそう。
「――はぁ」
ため息と感嘆を足して割ったような間抜けな声が漏れた。僕は、この世界の事、全然知らないなぁ。
僕は身近にあった石製のベンチの真ん中に座ると、腰の後ろに差した短剣を鞘ごと手に取る。
ゆっくりと鞘から引き抜く。白銀色の細く鋭い刀身が露になり、篝月の光を反射して鈍く輝いた。
【夜空の短剣】。僕の武器だ。
えへへ。かっくいいや。刀身は短いし、細いし、飾りっ気と言えば柄の中心についた青か紫よくわからない色の宝玉くらいだけど。このシンプルさはいい。好みだ。
戦うのは嫌いだし、怖いけど。きっとこの剣は僕の命を何回も助けてくれるだろう。
「これから宜しく。僕の相棒」
ぐう。短剣に語り掛けた僕に返事をするように、腹の虫が鳴った。
違う。お前じゃない。
「ああ。お腹空いたなぁ」
よく考えたら朝食はヨーグルト。昼はまともに食べて無くてお茶とクッキーを摘まんだだけ。そりゃ腹も減るよ。
「今何時くらいだろう?」
周りを見渡して、ふと気付く。こっちに来てから、時計を一切見ていない。
公園はおろか、神殿の中でも、自室も、トゥバルキンさんのお店の中にも時計は無かった。
お陰で時間の感覚が狂う。腹時計が唯一今の時間を推し量る手段になっているじゃない?
ぐぎゅるううぅ。
「任せろ!」と言わんばかりにお腹が再び鳴った。お前はもう黙れ。
「――ん?」
と、不意に鼻先が香ばしい匂いを捕らえた。
これは――肉の匂いだ! それも油のたっぷり乗って、甘辛いたれをたっぷり掛けて焼き上げたジューシーなヤツ!
突然の飯テロ(匂いテロ)に生唾が大量生産され、腹の虫がご飯をせがんで猛抗議をし始める。
そんな時、ふと、誰かの気配を感じた。近付いてきた人影が篝月の光を遮り、視界が陰る。
「――――」
女の子だ。ベンチで座り込んでいた僕の顔を覗き込むように、女の子が立っていた。
年は高校生くらい? 左側面に白いリボンを編み込んだ、アクアマリン色の長い髪。夏の空の下で焼いたような健康的な小麦色の肌。丈の短い藍色のベストとホットパンツ。それに同じ色の指切り型のグローブがちょっとカッコイイ。
あと何よりも特徴的なのは首元に巻いた幅広で長い、真っ白いマフラーだ。
露出は多いけど、青と白で纏められた色遣いは素直にカッコイイ。JK風南国系盗賊? もしくは忍者? みたいなイメージだった。
しかし問題がある。とても重要な問題。それは――
彼女が手に持っているのが、芳醇な匂いを放つ焼肉の串差しだと言う事!
それも両手に一本ずつ!! 計二本も!!
無言で少女が串肉を頬張った。僕と目線を合わせながらである。
少女の顔は年相応のあどけなさと、それ以上の愛嬌のある顔立ちをしていた。ちょっと丸顔で、彫りが深い。真っ赤なぱっちりお目目と薄ーく引いたリップが可愛らしさに程よい色気を加えている。
ブルーに塗ったネイルや、小奇麗なピアス。それに服の装飾も可愛らしく、垢抜けている印象を受けた。
でもお臍丸出しは…ちょっと目のやり場に困る。
目のやり場に困るから、串肉をガン見した。
親の仇かと思うほど、穴が開くほど注視した。
お腹が減ったから見ているんじゃない。ええ。目のやり場に困っているから仕方なく。
し・か・た・な・く!! 肉を見てるんだ!
油がのってタレが篝月の光でテラテラ輝いて切り分けられた肉の断面から僅かな赤みが覗いて肉汁が、ああ!! 肉汁が滴り落ちてぇ!!? ジューシーな匂いを発するううぅぅタレがああぁぁっっ!! 公園の芝をぉぉ!! 汚してええええええぇぇぇぇっっ!!!?
「一本あげよっか?」
「女神様と呼ばせて下さい!!」
差し出された串肉を前に、プライドを遥か彼方にぶん投げた。
***
ここは地獄では無く天国である。
串肉一本を、お預けを食らっていた犬の如くマッハで食べ終わった後、賢者モードめいた静かな心境でそんな事を想った。
何だろう。アンデッドばかりのおぞましい国の筈なのに――優しい人、多くない?
「いやー少年。いい食べっぷりだったねぇ」
「本当にありがとうございます。助かりました。ええと代金を払いたいんですが、その、今持ち合わせが」
「ああ、お金持ってなかったんだ。まあ気にしない気にしない♪ どうせ一本38マモンの安物だし。それよりもさ♪」
ベンチのすぐ右隣に女の子が座り込み――え? 距離、近くない?
密着一歩手前くらいの距離感なんだけど。このベンチ、四人くらい座れるんだけど、何でこんなに詰めて座るの?
「ね、ね。キミ、異世界から来たゴースト君でしょ? 話題になってるよ」
「あ。はい。ケ――じゃなくて、ノワ、って言います。宜しく」
「あたし同じ黄泉の使者の【ルカルサ】! 宜しくね♪」
サバサバとした明るい子だ。同世代の異性とご縁が無かった僕にとっては新鮮で、とても、とっても有意義な体験だ。でも、この距離感はちょっと、近すぎる。
吐息が掛かるか掛からないかくらいの距離で会話なんてした事も無いよ。顔、可愛いし――
「あ、あのっ、そのっ、ルカルサさんはっ、普通の人、なんですか? それともアンデッド?」
気恥ずかしさに顔を背けながら、ふと思った疑問を口にした。
「ふふっ。それはー」
「っ!? ちょっ!? えぇっ!?」
がくん、とルカルサさんの力が抜け、僕に倒れ込むように体を預けてくる。
するとどうなるか。身長差のせいでうなじから胸元にかけて僕の顔に密着してくるのである。
いや! いやいやいや! 何、これ!? 逆ナン!? 襲われてるの!? ああ、でもいい匂いするなぁ…!
「――ふぁっ!?」
ちょっと視線を下げればダイナミックな丸い膨らみ――ルカルサさんの胸がアップで移っている。
この子、上衣のベストをボタンを留めずにラフに来ているだけど。その下のインナーが白のチューブトップ――胸から鳩尾だけを覆う貫頭衣だ。それもビキニアーマーよろしく胸の部分だけ藍色の装甲で覆われているので、胸の形がばっちり分かってしまう。エッチぃ谷間もね!
それにしてもでかい! Fカップくらいあるんじゃないの!?
((ふむふむ。食欲も旺盛で性欲も旺盛と。異世界の男の子でもやっぱりおっぱい好きなんだねぇ♪))
「ご、ごめんなさい!」
――ん? あれ? 今、ルカルサさんの声、変な感じがした? 密着している筈なのに、ぼんやり聞こえるというか。そもそも発声元が目の前のエロボディとは正反対の方向から聞こえる。
((あはは! 別にいいよー? 減るもんじゃないし♪ なんならあたしのおっぱい、ちょっと触ってみる?))
「え!?」
確かにルカルサさんの声は、寄り掛かってくる彼女とは正反対の方向から聞こえる。
僕はふと気配を感じ、視線を左に振った。
((あ。やっと気づいた。やっほー♪))
何時の間にか僕のすぐ左隣に、もう一人のルカルサさんが座っていた。左手で頬杖を突き、ニヤニヤしながら目を白黒させている僕を見つめている。
混乱する。ベンチの真ん中に座った僕と、その左右に一人ずつルカルサさんが居る。文字通りの両手に花状態。
僕は、脱力して寄りかかってくる右のルカルサさんと、ニヤニヤ顔の左のルカルサさんの顔を交互に見比べ――やっと彼女の正体に気付いた。
左側のルカルサさん、少しだけ体が透けてる!
「僕と同じ、ゴースト!?」
((当ったり~☆))
***
ルカルサさんのドッキリに見事にしてやられた後、お詫び代わりに悩みを聞いてもらった。
主に僕の戦闘能力に関する悩みだ。ルカルサさんもエルザヴェータさんも新入りの僕に気を遣ってくれているのに、実戦の経験が無い僕が、後一月足らずでどこまで成長出来るか、心配だった。
篝月は今や完全に新月となり、辺りは暗い闇に覆われていた。
しかし辺りに点在する篝火や街灯のお陰で、視界には困らない。
「ノワっちってさ、【呪術】は使える?」
…ノワっちかぁ……うーん。あだ名で呼ぶの早くない? 別にいいけど。女子にあだ名で呼ばれるとか普通に嬉しいけど。
「呪術ってアンデッドだけが使える、なんかおっかない能力ですよね? 使えないですよ。そもそも恨みがパワーになるとか、自分が使うところが想像出来ないです。あとそもそも魔法はどれもつかった事がないです」
「ありゃま。んじゃそっからだね。まあでもゴーストで肉体はエルフ――あーハーフエルフか。まあ余裕っしょ♪」
「そうかなぁ」
「難しく考えすぎだよノワっち。【霊術】と【神術】はお願い。【魔術】と【呪術】はイメージ。それを押さえておけば大体なんとかなるって♪ 要は、体の中に流れているオーラをこう――認識して☆ イメージで☆ 取り出して☆ 練り上げて☆ ぶっ放す☆ って事なの♪」
えぇ……単純過ぎでしょ。そんな簡単に言ったら苦労しないでしょ。
「あとさ、ゴーストだったら【喧剣噪槍】の【呪術】くらいは使えた方が良いよ?」
「【喧剣噪槍】?」
「ん~。簡単に言うと物体を好きなように動かす能力かな。手に触れずに遠くにある物を投げつけたり、逆に引き寄せたり出来る。あたしはこれちょっと苦手だけど、めちゃ便利みたい」
それは確かに便利だけど、でも呪術の力の源が『恨み』だって言われてるしなぁ。
「呪術、使うの抵抗ある?」
「そりゃ、ついこないだまで僕だって生きた人間だったんだから。能力の為に生きてる人を恨むなんて、出来ないよ」
「……ノワっちってさ。甘いよね」
「え?」
ふと、ルカルサさんの声のトーンが下がる。まるで地雷でも踏んだかのような、やってしまった感がした。
現に彼女の眼は、何かつまらないような物でも見るように、僕を見ている。
その態度の急変に、ゾクりとした。
同時に、弱くなって篝月の光が再び強くなった。
いや。何かおかしい。
篝月を見上げる。ついさっきまで新月だった。それでも篝月は薄く、碧い光を放っていたけど。今は――
「赤く、なってる?」
優しい青緑色の光を放つ月はそこに無く。代わりに不吉な――赤く、暗い光を放つ三日月が空に浮かんでいた。
「ああ。ノワっちは知らないかな。シェアルは地下だから太陽とか月が昇ったり沈んだりしないじゃん。代わりに篝月が蒼くなったり赤くなったり、欠けたり満ちたりするワケ。蒼い満月が丁度お昼ごろ。逆に赤い満月が深夜。今は夕方くらいの時間かな?」
そうか。篝月の満ち欠け、移り変わりが、シェアルでは時計の代わりになっているんだ。
エルザヴェータさんと出かける時、アンナさんに『月が赤くなるまでには帰る』と言っていたけど、やっと意味が分かった。
でも、気のせいかな。赤く暗い篝月はどこか恐ろしさ、不気味さを感じるのに。
どうしてか――無性に惹かれてしまう。
羽虫が誘蛾灯に誘われるように。僕も赤い月へと意識が向けられる。
赤い月は、碧かった時に比べて、随分と近くにあるように感じた。
大きく見えるのだ。まるで手を伸ばせば触れられそうな錯覚すら覚える。
僕は思わず立ち上がり――赤い月に向かって手を伸ばし、
「ノワっちさぁ。隙だらけだよ?」
夜空の短剣を持っていた右手から、重量が消えた。
「え?」
思わず右手を見る。その手に持っていた筈の短剣が綺麗さっぱり消え失せ、代わりにルカルサさんの右手に移っていた。
――まさか、盗まれた?
「うっわ。めっちゃ軽いじゃん!? メナク鋼製かなぁ? 宝玉も綺麗だし、これは高く売れそうだね♪」
「……どういう事」
嫌な予感が膨らんいく。
異世界に来てから、アイドネア様を始めとして、セティさん、シャンタちゃん、アンナさん、エルザヴェータさん、それにトゥバルキンさん。皆優しい人ばかりと出会った。
だから、この世界に住む人達は皆優しい人だと、悪人なんか居ないんだと、そう思い込んでいた。
でも――ルカルサは笑っていた。赤くなった月の下で、僕を嘲るように嗤っていた。
「アハハハッっ! ノワっちまだ分かんないの? 嘘だよ、うーそ♪ あたし黄泉の使者じゃないよん♪ 只のー、と☆う☆ぞ☆く」
「……嘘でしょ。冗談なんでしょ?」
「そう思いたいんならご勝手に♪ この奇麗な短剣は貰ってくねー!」
軽い足取りでルカルサは公園から出ていく。
「……待てよ……それは、駄目だ」
それは、トゥバルキンさんから受け取った初めての僕の武器で、大切な預かり物なんだ。
新作だと言っていた。試作品だとも言っていた。それを作るに至るまで、どれだけの工夫、努力、時間を費やしたのか、僕には想像も出来ない。でもそんな大事な物を、あの人は僕に託してくれたのだ。
試作品のモニターとか言い訳して、その裏じゃ、任務に行っても絶対生きて帰って来い、って気持ちがバレバレだった。
そんな、トゥバルキンさんの想いを、厚意を、無駄にする訳にはいかない!!
「ふざけるなっ…!」
体に鞭打ち、地を踏み締め、駆け出す!
「お? その気になったか♪ でも、生身の体であたしに追いつけるかな? 間抜けなゴースト君!」
前を走るルカルサがガチめに走り始める。姿勢を低くして――菫色の光を伴って大地を蹴る!
え、速い!? 風を切る音すら立てながら加速してる!
青いショートブーツに紫色の光が灯っている? あれ、オーラの光か? だとしたら彼女のやったのは魔術を使った加速か! いやでも魔術に『加速』なんてカテゴリ、無かったよ!?
「くっそ! 無理だ!」
ヴィンガルフの大通りを爆走する彼女の背中が、見る見る内に遠ざかっていく。
歩幅でも、運動能力でも恐らく彼女の方が勝ってる。しかも向こうは魔術を使ってるし、僕のこの体――ノワの体は2、3日寝たきりだった! 歩く分には気にならなかったけど、全力ダッシュとなると――キツい!
「はあっ! はあっ!」
息がもう上がってる!? 不味い! どうする!? 考えろ! このままじゃ追い付けない! 助けを呼ぶ? いや馬鹿か!? あの速度じゃ呼びに行っている間に逃げられる!!
「ああもう! イチバチだ!」
魔術はイメージだとルカルサは言っていた。体の中に流れるオーラを認識する事が重要とも言っていた。
だったらやってる!
足を止める。ぜえはあとみっともなく肩で息をしながら、それでも体の中に意識を向ける。
集中しろ。この体内に巡るオーラを知覚しろ!
目を閉じる。ムカつく後ろ姿は集中するのに邪魔だ。
それからゆっくりと深呼吸をして、爪先から髪の毛に至るまで意識を集中させた。
――あ。分かる。
正に第六感。ゴーストである僕はハーフエルフであるノワの体の中を、温かい何かが、まるで血液のように循環しているのを感じとっていた。
そしてこの温もりを僕は既に知っている。感じた事がある。
これは――篝月から注がれる光の熱と全く同質の物だ。
――いける!
次はイメージだ。体内に流れるこの温もりを取り出し、右手に集める。
そうだ。オーラは霊的な物。だから精神で、イメージで扱う事が出来る。霊体の時に自由に宙を舞うように、自分の意志一つでコントロールできるんだ!
イメージする。それはどこまでも速く、鋭い、一条の光。
ゆっくりと目を開く。遥か遠くでルカルサが僕を振り向き、僕の右手に集う、菫色の光――オーラの輝きを見て、目を見開いた。
「怪我しても知らないからな!!」
そして右手に集った熱――オーラを、あのバカ女が言ったように――ぶっ放す!!
「霊光っ、閃槍!」
大きく踏み込み、右手に集ったオーラを解き放つ!
青紫色に輝く光槍は、高速で――それこそ昨日シャンタちゃんが見せてくれたオーラの矢なんかよりも比較にならない程速く、ヴィンガルフの大通りを奔り、ルカルサへと一直線に向かう!
――けど、
「うっうぇ!?」
ひらり、と体を捻ってあの女は僕の渾身の一撃を回避したのだった。
どごおおおぉぉぉぉんっ!!
オーラ・ジャベリンが神殿の柱に直撃し、空気を震わせながら派手な音と光を撒き散らす。
「くそっ! 動くと当たらないだろバカ女!」
「いやこんなの当たりたくないよっ!!? っていうか魔法使った事無いとか大ウソじゃん!! 初めてでこんなエゲツない魔術撃てるかぁーっ!!」
両手を拡声器代わりにして、遠くから抗議し合う。
「でも当たらなかったら意味ないもんねーっ!! べーーっだ!!」
くっそ! 馬鹿にしてっ!!
ここまで苛ついたのはいついつ以来だろうか。ルカルサ――あぁ、もうビッチでいいや。
ビッチはあっかんべーっをした後に屈み込むと――オーラの光の尾を引きながら、神殿の屋根へと飛び、その向こう側――南の方へと姿を消した。
マズい! 建物の向こう側にまで魔術は届かない!
「だめなのかよ…っ」
出来ないと思っていた魔法だってあんなにあっさり使えたのに、この結果か!
――心が折れそうになる――
「――いや、諦めるな」
何よりあんな最低な女に負けっぱなしは――男として悔しい。
絶対に何か、手段があるはずだ。僕はハーフエルフで、ゴーストだ。魔法だって使えた。他にも何か有用な魔法が――
いや待て。僕は、ゴーストだ。魔法を使う事ばかり拘っていたけど、魔法は、今、絶対に必要な事か?
何か、見落としている気がした。
「生身の体で追い付けるか、って言ってた」
生身の体で、ってわざわざ言ったって事は、生身の体じゃなければ追い付けるかもしれないって事じゃないのか。
「…そうか。そういう事か」
確か、『間抜けなゴースト君』って言ってたな。間抜けはどっちだよ。魔術の使い方云々、ゴースト云々言って敵に塩を送るような事、言ってた事に気付かないのか?
差は付けられたけど――今からでも余裕で追い抜いてやる!
***
ルカルサは大神殿を屋根伝いに移動し、そのままシェアル南側の中央通りへと跳躍した。
一軒、二軒、三軒四軒。次々と屋根を八艘飛びの如く飛び移り、町の南へと移動する。
そうして大神殿から街の南の大門の丁度中間程度の屋根でやっと腰を下ろした。
(ちょーっと派手にやらかしちゃったかな)
大神殿の方角を向きながら、少し反省した。
シャンタや神官達、それに同僚のエルザヴェータには『新人に挨拶するついでにちょっぴしシゴいてくるね♪ あと、余計な手助けは禁止だかんね!』と予め言い含めておいたが――新人が思ったよりもアグレッシブな性格をしていた。
あと、煽り過ぎた。
(この短剣。多分トゥバルキンさんの新作だろうなぁ。町で売ったらそりゃエゲツない値が付くんだろうけど)
手元にある短剣を弄びながら思案した。
かの有名な武器職人の品を売り払うような事をしたらすぐに足が付くし、何より新たな同僚の士気にも関わる。そんな馬鹿な事を出来る訳が無かった。
「……流石に、諦めたかな?」
少々厳しい新人面接になったかも知れない。今頃悔しくて泣いてしまっているかもしれない。
大神殿に戻ったら真っ先に新人君を訪ねて謝らなければ。
気分悪くさせてごめんね? 全部君を試す為の試験だったの、と。
そんな事を考えている時だった。
(( 見いい いいぃ ぃつけ たああぁ ぁぁぁ ))
背筋が、凍り付くような、少年の声がした。
びくりとし、声がした方――上空へと視線を向ける。
赤い三日月へと姿を移した篝月。それを背に、一体のゴーストが空に揺蕩っていた。
少年だ。モッズコートを羽織り、上はベージュのタートルネックセーター。下はジーンズ。
ここシェアルではまずお目に掛かれない奇妙な意匠の衣服を身に纏った10代半ば程度の少年。
格好は元より、背丈や耳の形まで違うが――その顔は先程散々煽り倒した少年と瓜二つだった。
馬鹿でも分かる。空に浮かんだあの少年はノワの霊体だ。
((短剣、返せっ))
内心、ルカルサは驚嘆していた。この新人、予想以上に使える、と。
初めてだというのに中位クラスの魔術を発動させたその才能。
つい先日まで生身の肉体だったのに、敵を追跡する為に霊体になるという柔軟な思考。
そして、絶望的な状況でも諦めなかった鋼の意思。
何よりも――彼はまだこの世界に来て間もない子供だ。
つまり、これからいくらでも成長する、という事。
「あはははっ! やるじゃん!」
笑いが止まらない。流石アイドネア様が見つけた人材。
だが、もう一声欲しい。
「でもさー、霊体になったからって、あたしに追いつけるようになった、ってだけっしょー? 何が出来んの? また魔術ぶっ放す? そしたらなーんにも罪も無い人達に当たっちゃうかもねー?」
ちらり、と視線を大通りに向ける。月が赤くなったばかりの今は地上で言う所の夕方だ。仕事を終えた民達が大勢、食事目当てに歩いている。
((っ!? お前! 今度は一般人を盾にするつもりか!?))
「はっ。平和ボケしちゃってるの少年? 自分の目的の為ならどんな汚い手も使うのが当然っしょ? そんな事もわかんない? 脳味噌入ってんの?』」
右手に持った短剣をくるくる回し――その刀身の腹でペシペシと自分の頭を叩いた。見せつけるように。
この短剣を作った、巨匠トゥバルキン氏の口癖であり、今のノワに対する最大の侮辱だった。
案の定、ノワの体から、赤い篝月と似た、赤黒いオーラが噴き出す。
それは、生命を否定するアンデッドのみが持ちうる負のエネルギー。
呪術の源となる、邪悪なオーラだ。
((お前がっ! その言葉を、言うなア!!))
それを恐ろしく感じながらも、どこか冷静に、ルカルサはノワを分析していた。
これだけ怒り狂っていれば呪術を発動できるだろう、と。
((いいから!! 黙って! その短剣を![返せ]!!))
赤黒いオーラが、短剣へと延びる。まるで蛙が、高速で飛び交う小蠅を舌で瞬時に捕らえるように。
【喧剣噪槍】。物体に、手を触れずに干渉する、死霊種の個有能力だ。
(お見事)
ルカルサは短剣を持つ右手から力を抜くと、短剣は意思でも持っているかのようにノワの手に移った。
((おいビッチ。どうだ? 何か言い残す事はあるか?))
ビッチ呼ばわりも止む無し。赤いオーラを立ち上らせながら、未だに怒り心頭といった様子でノワが音も無く近づいてい来る。
(ん。ここまでかな。初日でここまで成長すれば充分充分♪ お詫びに美味しいお店でも連れてったげよう♪)
「はいここでネタ晴らしっ!! 実はあたし! 本当はノワっちと同じ、黄泉の使者でっす♪」
舌ペロしながら笑顔全開、横ピース。
((は?))
「いやそのね? 今までの、全部試験だったの。新人のキミを試す、ね? 嘘だと思う? 思い返してみてよ? 魔術とか呪術の使い方とか、教えてあげたっしょ? 自分が不利になるような情報を、わざわざ教えたりなんかしないって♪ ね?」
((……言いたい事は分かるよ。確かに思い当たる節はある))
「でしょでしょ♪ だからね、ホントにホントはあたし、ノワっちのセンパイ☆ なんだからね♪」
((うん。そう言って、僕を油断させる罠だって事でしょ? もう分かってる))
…………おや?
(んー? あーれれぇ? 何やら雲行きが怪しーぞぉ?)
「いやいや。マジでホントにホントなんだってばァ♪ 信じて? お☆ね☆が☆い♪」
((む☆り♪))
(あ。ヤバい)
ノワは笑顔だった。しかし、赤黒いオーラは未だに消えていない。
猛烈に嫌な予感がした。冷や汗がにじみ出る。
(([全裸になーれ]♪))
「へ…?」
瞬間。赤いオーラが触手のように伸び、ルカルサの衣服に絡みつく。
「え、ちょっ!?」
((イメージ♪ イメージ♪ 先ずは余計な抵抗をする手を封じましょう♪ ――あれ? 生身の体は動かせないのか――まあ着ている物を動かせばいいだけの話か♪))
しゅるり、と一人でにマフラーが解け、落ちる。
流石に戦慄した。
「ね、ねえ!? あたし、おいしいお店、沢山知ってるのっ、ノワっち、そこに連れてってあげるからさ! だから許して欲しいなぁ~、なんて」
((シャンタちゃんに美味しいご飯作ってもらうから興味ないや。はい脚閉じて))
ブーツが操られ、足だけ直立不動に。何をするのか、とルカルサが疑問に思った次の瞬間。
ブルーのホットパンツのベルトが外れ、勢いよく下にずり落ちた。
「~~~~~っ…!?」
((へえ。青と白の縞々、ねぇ。もっとエロいのを穿いてるのかと思った))
「ばっ、ばかああぁぁぁぁぁっっ!!?」
股座が涼しい。こんな人目の付くところで下着を公開されて――恥ずかしさのあまり顔面が発火する。
「おいアレ。ルカルサちゃんじゃないのか?」
((ほんとだルカルサ様だわ))
「って使者様じゃねーか!? あの怖いもの知らずのガキのゴーストはナニモンだぁ!?」
何時の間にか眼下の大通りでちょっとした騒ぎになっていた。事情を知らない民草が、使者の中でも有名人であるルカルサの痴態に気付き始めたのだ。
(やばいやばいやばいやばい!! このままだと町の中歩けなくなっちゃう!)
いやでも、アンデッドになって性欲が無くなった、という者も多い。
むしろ尊敬する英雄の痴態など、申し訳なくて見れないといった心理が働くなるのでは?
((はい皆さまご注目ー。今から黄泉の使者のアイドル、ルカルサちゃんのストリップショーが始まるよー))
びっくりするほどの棒読み、しかしとんでもない言葉だった。
観衆達もその意味を理解するのに少し時間を要したらしい。
……………一瞬の沈黙の後。
「「「「「「うおおおおおおおおおぁぁぁっっ!!!!」」」」」」
いい年したおっさん達、若者たち、それに不死になっても性欲を持て余したアンデッド達の声が重なり合い、腹を震わす怒号となった。
「なっ、なんでそうなるのよおおおおぉぉっっ!!!?」
シェアルの街に、ルカルサの悲鳴が響き渡る。
――――結局、この後すぐ。事態を察知したエルザヴェータが颯爽と駆け付け、ノワを説得した。
彼女のおかげで、ルカルサの乙女の大事な所を衆人観衆の中に晒す事はなかったが――
この後すぐ、ルカルサはノワに泣きながら許しを請ったとさ。
ちゃんちゃん。
次回投稿は1/27(月)AM8:00の予定です。