ACT,1 旅の始まり②
③は今度UPします☆
灰銀の髪の少女の故郷はハルモニア大陸の中央部、トゥマエル山脈と呼ばれる七千メートル級の霊峰に囲まれた辺境にある。いや、あった……と言った方が正しいだろうか。その国は今、何人も寄せ付けない深淵の闇に包まれているのだから。
神聖クロイツ国。
少子高齢化が進み、全住民の数は五千人ほど。周囲が山に囲まれていることもあり、穏やかな気候と山の豊富な雪解け水に恵まれ、酪農や農業が盛んに行われている。街は赤レンガ造りの平屋が並び、牛や山羊といった家畜を連れて歩く住民が多い。最奥に建つ石造りの城さえなければ、農村と間違われてもおかしくないたたずまいだ。
この地を治めるのは今年四十三歳になった若き王、コラート王。
元々彼はこの国の出身ではなく、風の精霊の祝福を受けた翠国バラマの第一王子だったのだが、妻であるソマリ王妃の要望で婿入りした。それはソマリ王妃の―――いや、クロイツ王家の女子にしか受継がれない特別な力を後世に残すためだったそう。
かくして二人の間には三人の子供が産まれ、一男二女はスクスクと成長した。しかし――通例であれば二人の女の子が母の力を受け継ぐところ、次女にはその力がなく、それどころか一切の魔法を使用できない新月だった。
新月。それは魔力を持たない者を指し、産まれつきそうなってしまった者と、不慮の事故や病気によってなってしまった者とがある。いずれにせよ、精霊力に満ち溢れたこの世界には数パーセントの割合しかおらず、産まれた子が新月だとわかった瞬間に捨ててしまう親もいるというのだから驚きだ。
幸い、少女を取り巻く両親や兄姉、使用人たちもそのことには一切触れず、むしろかなり過保護に育てられたといえる。
しかし、幼心にも少女は感じていた。
―――どうしてわたしには魔力がないの? わたしは本当に、お父様たちの子供なの?
初めてそんな疑問を持ち始めたのは八歳の時だった。
実のところ、少女には幼い頃の記憶が無い。
ある日、目が覚めたら見知らぬ大人が少女の顔を覗き込んでいて、その大人たちが少女の両親だと名乗った。それがコラート王とソマリ王妃だったわけだが、少女にはまったく認識できなかったそうだ。
ベッドの上で怯える少女にコラート王は言った。
「君の名前はソアラ。一月前に大怪我を負い、ずっと昏睡状態だったんだ。そして、それが原因で記憶障害が起こってしまったようなんだ……」
国王の言葉に、少女―ソアラは息を飲んだ。
確かに、何も思い出せなかった。自分の名前も、ここがどこなのかも。
突然の事態に、ただただ呆然とするソアラ。国王はソアラの目線まで腰を落とし、弱々しい小さな手を握った。
「びっくりしたよね……。でも安心して。僕やソマリ…いや、君のお母さんも、ちゃんと昔の君を覚えてる。もちろん君の兄姉もだ。だから、これからもずっと仲良く、楽しく過ごそ……」
国王の声が震えた。それを悟られまいとしてなのか、ソアラを包み込むように強く抱き締める。
「ごめん……。僕は無力だ……。娘に、娘なのに…何もしてあげられないなんて……」
肩を震わせ、うぐっという嗚咽が漏れ聞こえる。まるで、死期が近い病人を前にして言うような言い方だ。
ソアラは不思議そうに首を傾げた。そして、国王の左肩に手を掛けた金色の髪の女性に目を向けた。どうしてか、前髪の一部だけが白髪化している。
「あなたは無力なんかじゃないわ。わたしだって、これくらいしかできなかったんだもの…」
「ソマリ…すまない…。君のほうが辛いのに……」
国王は泣き顔を上げ、ソアラを抱き締めたまま答えた。
王妃は「いいえ……」と言いながらゆっくり首を横に振り、ソアラの頭を優しく撫でる。
「我が子を助けるのに、禁忌を犯すくらいどうってことないわ。でも……クロイツ王家に伝わる伝承が本当なら、いずれ"その日"はやってくる。だから……」
「わかってるよ。だからせめて"その日"までは……」
小さく呟いた国王は、胸の中のソアラをギュッと強く抱き締めた。
それから六年、十四歳になったソアラは自分が記憶喪失であったことを殆ど忘れ、日々を謳歌していた。
元々彼女は前向きで、細かいことは気にしないタイプである。しかし、自身が新月であることだけは楽観視できないようで、魔法に関する話はことごとく避けてきた。と、ここまできて今更ではあるが、この数奇な境遇の少女、ソアラこそ、深淵の闇に包まれた母国を救うため、遠い異国の地へ旅立った灰銀の髪の少女だ。