S・G 『ドヤ顔』(シュール・ギャグ)
さて、シビアな笑いが誕生しましたよ!
数年に一度の興行巡業。わが町に訪れた久しぶりの見世物小屋は人でごった返していた。中でも目を引いたモノは今回初めてわが町にもたらされたモノだった。
ターンテーブルに乗った男、年齢は中年くらいだろうか?逞しいマッチョな肉体をいかにも晒そうとしている、ローマ時代の剣闘士のような露出の覆い出で立ちで飾られている。
人々はサークルを作って見世物の男は見切れていた。所々に穿たれたサークルの間隙を縫って、私はどうにか輪の先頭後列に立つことが出来た。
ゆったりとした速度でターンテーブルは回転している、静かな心地よい環境音楽に連動して、恐らく電動で操作されているそれは、演出による遠隔操作だと思われる。
いよいよだ。割れた美しい肩甲骨と無駄のない肉体、背中がようやく脇腹へ、そして角度は彼の容貌を私の正面に捉えられていた。
ドヤ顔…見たこともないくらいの私の生涯でダントツである誇りに満ちたそれは表情だった…
ドヤ顔が通り抜けていく…
なんということだ、ただ回っているだけで、何一つの生産性を持たない単なる粗大ゴミであるはずの彼が、数多くの興行の結果齎されたものであろうか?まるで神に降り注がれた天啓の光を独り占めに我が物顔としているくらいの!
背中…鍛え抜かれてはいるが、虚飾を拭えば仮装した単なるオッサン…それでも、私や、その他数多くの聴衆の眼が捉えたものは、まるで冷凍睡眠から召喚されたくらいの、ガチレベルのローマの剣闘士其の物と写った!
待ち遠しい…次の一周がこんなにも待ち遠しくなるなんて…私は渋り迷い通した500円の観覧権を、決心した自分にこの上ない幸運を感じてならなかった。
何故だろう?興行とはこういったものであるか?単なる、回っているだけのオッサンに、これほどまでに価値を見出してしまうとは、エンタメの魔法にまんまと私は掛けられているのだった。
来た!脇腹が見える、そして…顔!
そう、ドヤ顔!!
不意に、私の正面で回転はストップした。そして、環境音楽は急に転調して、ノリのいいエキゾチックな音楽へと変貌していた。私の中で血潮が滾るのを感じる…
男はリズムに乗って妖艶に腰を振りながら、そしてようやく再び回転が始まっていた。ダンスするドヤ顔は一層私の魂を掴む何かがあったため、私は少し残念であったが、それでも私の正面だけが独占するには惜しいものだと、その他の聴衆へのお裾分けを内心喜んでもいた。
背中…脇腹…そして!
エキゾチックな音楽は更にノリを増している。
男の顔が見えるか見えぬかの角度で、男は急に、男自身の顔面を、ガシリと逞しくゴツゴツした掌で掴んでいる。
何が起こったのだろう?それは男の表情の障壁となっていたのでガッカリである、しかし!
男は顔面で爪を立てているようだった、それから…
メリメリメリメリ!
この世ならぬ音が会場を包んでいた!大音量で鳴らされた音響すら越すほどの大きな音を立てていた!
まるで、プロレスのマスクマンが覆面を剥ぐように…あろうことか…男自身の顔の皮膚を…男自身は剥いでしまった…そして…ベタベタとヌメる爛れた皮膚に濡れながら…ばら蒔かれるのは…ドヤ顔最高到達点更新のドヤ顔で…
そして私の正面を過る時、私と男はバッチリ眼を合わせていた…
戦慄…
奮い立つ心臓…そしてソレは私の全身へと運ばれ、身の毛もよだつ感覚を、私は手にしていた。それは、恐怖の感覚というよりも、正確には、恐怖を感じるくらいの…底知れぬ、理由の掴めぬ、感動!
「うおおおおおおっ!」
回転の正面に立つ聴衆はことごとく、引き剥がされた凄惨な顔面の皮膚と、まるで覆面のような男の脱皮された『元顔面』に、そして何より男の誇り高きドヤ顔に、大声を立てずにはいられないようだった。我々人間の第六感を司る、理屈で説明できない感動がそれ自体であった!
背中…ブルブルと震えている男の背中…恐らく、考えられないほどの極度の痛みに堪えきれずに、不覚にも漏れ出ずる震えであることは想像に易い。
脇腹が見える…
「!」
すると、驚愕!再び、男は掌を定時のポジションへと!
私は信じられない気持ちだった。あれ程凄惨に剥がれた、もう薄皮一枚も残っていないはずの皮膚を、それでも、男は更に剥ごうというのであろうか!!
雲丹雲丹雲丹雲丹雲丹…
「何っ??」
確かに、それは紛うことなき感じの音色であった!
悠久の…そして血と紛争の凝縮をその音色は物語っているのだ!そして…
引き剥がされた!
更なる、顔面の脱皮!皮膚の姿はもはや陥落し、骨格に引っ付いた肉片だけが虚しくまるでスペアリブの食べカスのように申し訳程度に付着しているばかりであった…
そして…言うまでもなく、鉄板のドヤ顔!
私は得も言われぬ感覚に殴り殺されそうになっていた、卒倒するのをすんでで堪えなければ、私は、この演目を、最後まで見通すことは出来ないだろう…
「うおおおおおおっ!」
先程よりなお一層、この上ない歓声、悲鳴、そして拍手喝采…
会場はいよいよ熱気に包まれた…人々が、観察、という行為のみで、その体温を上昇させる事の出来る証明となっているはずである、実際、発散された汗の蒸気で靄が立っていた…
深淵…
魂を掴まれた人間の感覚するものは、実際そう言ったもので、日常世界には絶対に見いだせない境地であることを、まざまざと私は見せつけられていることに、手厳しい恐慌の感覚と、相反するこの上ない悦楽とを混濁されていて、私は今にも発狂しそうでならなかった。
背中…プルプルプルと、震えはなお一層強くなっている…脇腹…そして…
「!!」
…やはり……
男の三周目の掌はやはり!定時のポジションへ…
私の観念ではもはや、理解不能の超常現象の域にまで、男の肉体表現と、精神の自己主張は達しているのだ。
ガタガタと音を立て震えながら…横の角度から見切れた、骨ばかりの表情が、少しずつ見えている…
鰐鰐鰐鰐鰐鰐鰐鰐…やはり悠久の響き…卓越した音響のセンス…今度は小刻みに、しかしながら高速で激しさをなお一層ますばかりで…
とうとう露骨となった頬骨が砕かれた…
ぶしゅあっ!髄液がスプラッシュ!飛沫は私の目の前の観客へと直撃していた…そしてソレを見届けた男の、狙いすましたかのような…ドヤ顔!!!
うっうっうっうっ…泣いている…誰が泣いているのか…
「男!!!」
私は捉えていた!骨さえ砕かれて、元の肉体といえば眼球ヒトツくらいしか残っていない男のドヤ顔のまなこに、一筋の、涙が溢れていることを…
それでも…男は笑みを浮かべながら…ドヤ顔を崩すことはなかったのであった…!!!
表情筋とは文字通り筋肉の一種だったはずである、しかし、この卓越した男の肉体構造は、彼の骨格さえも捻じ曲げて、ドヤ顔を形成するに事足りる不気味な笑みを体得するための骨角度を、手に入れているのだ!
私は号泣していた!何故だろう!苦しみ悶絶を想像してのことか!リアルな凄惨への対峙が齎した反射であるか?
理屈はとうに捨て去った私は、知っている。これはもはや、神の天啓なのだ!涙に、理屈など無かった!!!
「うっうっうっうっ…」
驚くことすら忘れ、四半世紀、生き別れた家族との不意の遭遇に出くわしたように…聴衆は皆、泣いている…声を上げ…そして呼吸することすら困難なくらいの引きつけを起こしながら…
魂や精神が震えていた…肉体をゆうに超越した感覚は、私を、全く新しい宇宙へと連れていくのだ!逃れられない新世界、そして過去世界と宇宙への別離…
背中…震えが収まっていた…男はもう、痛みや恐怖を超越しているのだろう…ピタリと静かに、そして定時へと齎された掌のポジションに、私はもう驚くことはなく全て受け入れるのであった…
脇腹…そして…
男は全ての精力を籠めているようだった!
骨格の土台となる顎から頬骨、頭頂部にかけて全ては砕かれて、そして今度は今まで以上に執拗に、複雑な過程をモーションが物語るのであり、そのいちいちはもはや『破壊』。そのものを記録し、上映するのである!!
現れた脳髄…ソレを、ぐちゅありと握りつぶして…
西班牙西班牙西班牙西班牙西班牙西班牙…
もはや漢字かどうかさえ疑わしい、セオリーを粉砕し棄却する男の迸るエナジー!!!
脳みそはぐちゅありぎゅちゅありに溶け、脳の飛沫は観衆の肌を優しく撫でた。正面に対峙する私と男…たった一つ、ぶらりと神経の管に支えられて下がった眼球が、焦点も不定かに、私を睨みつけて…目力のみで全てを語り尽くした…ドヤ顔!!!!
そして、とうとう男は特異点を迎え、発狂したのだろう…残された眼球や僅かな残滓を隈なく粉砕し、かなぐり捨て去って、男はとうとう首なしになってしまった。
音楽は終わっていた…
男は首なしのまま、私からぐるりと向きを変えて、ターンテーブルを降りたかと思うと、スタスタと足早に、闇の奥へと歩き去って会場から控え室へと消えてしまった…
次はどうなることでしょう、ご期待下さい。