週明け、月曜日
月曜日の朝、修は駅にいた。出勤のためではなく透に会うためだ。こうして透のことを待つだなんて初めてのことだったし、約束をしている訳でもなかった。通勤ラッシュの真っただ中の時間帯でもあった。
会えなければ会えなくてもいい。それぐらいの気持ちだった。会えなければそのまま出発するつもりでいた。
「修」
しかし透は修を見つけた。酷く驚いた顔をして、透は人波に逆らって修に駆け寄った。透が乗ろうとしていた電車は走り出したが、すぐに次の電車は来る。修は片手を挙げて驚く透に笑いかけた。
「どうしたんだ? 会社、こっちじゃなかったろう」
「今日は休みなんだ」
修は肩をすくめてそれに答える。何気ない仕草であったが、透は修に言いようのない不安を覚えた。まさか会社を辞めるなんてことはないだろうが、修の心身になにかが起こったことはわかった。
「フェルメール見て来たよ。全く、恐ろしいな」
透は黙ったままでいる。透の背後で電車が生ぬるい風を吹かせた。
「何となくな、朝起きてお前に会って行こうと思って。だから本当に特に意味はないんだ」
でもそうだな、と修は腕を組んで微笑む。それは透にとって絵画じみた不可思議な笑みであった。
「お前はあの絵、どう思う」
「胸糞悪いね。褒め言葉として」
透は修に気圧されないように意識して笑って見せる。しかし修にとってそれは悪魔じみた笑みに見えていることに、透は気がつかない。そしてその目はかの絵を前にした時の挑戦的なそれであることに、透自身が気がつかない。
「そろそろ行くよ。お前も仕事頑張れよ」
呼び止める間もなくふらりと修はホームを後にする。透は人の波に押し込まれ、学校へと向かう電車に乗るしかなかった。
そしてどうにも修が気になった透は、昼休みに修の勤める文具会社の電話番号を調べて電話した。すると修は会社の商品ディスプレイの企画を終えて有給を取ったと伝えられた。
「社内でも話題ですよ。ディスプレイの出来。アイデア勝ちというか、やったもの勝ちというか。思い切ったなと」
透の応対をしてくれた社員は人が良く、そんなことを教えてくれた。そんなことを言わると一目見たくなり、ディスプレイを見に行くことにする。修が帰って来てからでもいいかとも思ったが、透は修がいないならどうせ自分は暇なのだと思い返す。
部活帰りの学生を見送り学校を後にし、普段は乗らない自宅と逆の電車に乗る。ビジネス街に向かう路線だったので、空調の効いた車内に人は少ない。駅から出て地図アプリで修の勤め先のビルを探す。あまり大きな商社ではないので、探すのに手間取ってしまった。
夕暮れ時のビジネス街を歩く。絹ごしされたような柔らかいオレンジの光が、時折ビルの硝子の反射で鋭く透の目を刺す。ちかちかした視界に瞬きを繰り返しながら、透は目的のビルにたどり着く。
ビルは他の会社と共同で借りているらしく、一階部分のディスプレイ部分も、工事現場に使う重機の案内や、会社の案内なんかが入り混じっていた。しかし透は一瞬でこれだと確信を持って目的のディスプレイに近寄ることが出来た。
一面の青に黄色が一筋。黄色のラインの上には万年筆の売り文句が書かれていて、その背景に万年筆がディスプレイされていた。眩暈がするほどの鮮やかな青の質量は、正面に立った透を圧倒する。それは遠い異国の海の青であった。
それは夕暮れのオレンジの中なお鮮やかで、確かに各社の様々なデザインの並ぶこのような場所ではとても有効に思えた。広がっているのはただ一つの素晴らしい青。しかし朝に修と交わした会話のお陰で、透には別の一面が見えていた。それは修のメッセージのようでもあった。
透はその後に修の家に向かった。やはり修の家はもぬけの殻で、彼愛用のシトロエンも姿を消していた。説明は出来なかったが、なんとなくわかってはいたのだ。だから透は別段焦ることはなかった。
ただ修は再び透の前に姿を見せるだろうか。そんなことを考えていた。そして梨香に連絡を取る。梨香は電話の向こうで、そうなのとだけ言い、それから少し間を置いて言った。
「なんとなく、そんな気はしたのよ。あなたもでしょう」
梨香は少しスッとしたのよと付けくわえて、明るく笑った。