七話、二人の距離は遠し
ここはマニラ周辺を飛ぶ、YS-11の機内。
「zzz…」
武は爆睡していた。旧式機ゆえに快適とは言えないシートであるが、起きる様子はない。
「スー…スー…」
少し離れた席では、同じように千早が寝息をたてている。
この二人が揃いも揃って寝ているのは理由がある。青葉を発つその直前まで、橋本に演習をたっぷりとやらされていたのだ。わけもわからない突然の演習だったが、上官の命令に背くわけにもいかない。
その二人を横目に見ながら、何やらコソコソ話し合っている四人。
「…んで、そこに山本と石田が西園寺を連れて登場するワケ。」
「真田のヤローが逃げ出したらどうするんだ?」
「それを阻止するのがお前の役目だ、酒田。それで…」
「おい軽く流すんじゃない。」
千早が寝ているのを確認する石田。
「現地へ行ったら一旦別行動になるんですよね?」
「そう。車の都合をつけておいたから、適当に回って来てくれればオッケー。」
「で、誰が運転するんです?」
あ…。と固まる松平。
「考えたら、西園寺って運転下手じゃん。」
「あのー…、私が運転してもいいですか?」
山本が声を上げた。
「晴奈ちゃん、運転できたの?」
「ええまあ。別に琴音ちゃんが運転するならいいけど…。」
「私はやめておく。原付くらいしか乗ったことないし。」
とりあえず問題が解決したらしい。よしっ、と声を出す松平。
「じゃ、各自予定通りに。」
酒田が締めて皆頷く。内心は一番面白がっている…?
しばらくして、YS-11はニノイ・アキノ国際空港の滑走路へと滑り込んだ。
空港駐車場
「松平、車はお前が都合つけたんだってな。」
「ああそうだ。」
「では何故ハイエースなのか、説明してもらおう。」
現行よりひとつ手前のハイエースが目の前にあった。
「三人で行くのにミニバンが必要か?」
「いや、色々考えた結果こうなったのだ。」
(ホントは車種名言われてもわからなかっただけだろ…。)
真実を酒田が飲み込む。
「まあいいか。あやしい軽よりもいい。」
珍しく車に無関心な武。
(あの真田が珍しい…。)
一方、女性陣には十年くらい前のコンパクトカーが用意されていた。
「じゃあ今日は私が運転しますね。」
「西園寺さんはゆっくりなさってください。」
二人が半ば冷や汗をかきながら千早の運転阻止にかかる。
「あ、そう…。お願いね…。」
まだ寝たりないのか、あっさりと運転を任せる千早。
「スゥー…」
早くも寝息が聞こえ始める。
「…いいのかな。」
「…いいと思う。」
余計に心配する山本と石田であった。
“ゴー…”
ハイエース車内
「で、目的地は?」
「三つ目の信号を左だ。」
はぁ…。ハンドルを回しながら、ため息をつく武。
「女か。」
「どういう意味だよ。」
「どうせ、最近女に恵まれないから…とかいう意図が隠れてんだろ。松平さんよ。」
「アホか。」
呆れながらCDをオーディオに突っ込む松平。車内にアニメソングが響いた。
「…嫁は画面の中、か。」
「おい。」
武のジト目。頭の痛い松平…。
(こんなんで大丈夫かよ…。)
前途多難だな…。不安をつのらせる酒田。
しばらくの後、武たちはマニラ近辺のビーチへと着いた。
「ふぅ。わりと近かったな。」
近くからは日本語が聞こえる。ここは日本人に人気の場所だ。そのせいか軒を連ねる店にも日本語の表記が目立っている。
「ホラ、松平は女でもナンパしてこいよ。」
「あのなあ…。」
松平の反撃を避けるように、トボトボと歩き始める武。
「真田、どこ行くんだ。」
「日陰でゆっくりしてる。」
追っかけようとする酒田を松平が制した。
「放っておけ。予想範囲内だ。」
そろそろか…、と松平が腕時計を見た時だった。
“ギャーッ!”
派手なスキール音。サッと振り向いた視線の先には、交差点のど真ん中でケツを振って進行方向を変えるコンパクトカーが目に入った。
「おいおい…大丈夫かよ。」
コンパクトカーは、交差点を脱出するとスピードを出し気味でビーチの駐車場へと入ってきた。
“キィッ”
「あー…、焦ったー。」
「ご、ごめんなさいっ。」
冷や汗ダラダラの石田と必死に謝る山本。
「あ、着いたのね。」
何ごともなかったかのように車から降りる千早。眠いようではなさそうだが、いつもの元気はどこにもない。
「あっ。」
「ダブっちゃい…ましたね。」
目で合図し、順調を伝える石田。松平がコクリと頷く。
「西園寺さん、向こう空いてますんで行きましょう。」
「そうね。」
素っ気ない返事を返しながら、山本たちについていく千早。
「…。」
「…。」
武と目が合った。いや、武が目を合わせたとも言えた。だが会話はなかった。
「…やはり避けてるね。」
「こんな西園寺センパイ、初めて見た。」
石田も山本も初めて見る、元気のない千早。
その後も、武は日陰でお昼寝タイム、千早は波打ち際で足を濡らすに留まり、二人の間に交わりはなかった。
“カランカラン”
「いらっしゃい。六名様ですか?」
「はい、そうです。」
山本の意見で、六人一緒に昼食をとることにした。ビーチからさほど離れていないレストランである。
本格的なレストランというわけではなく、時間も相まって店内の客は少なかった。カウンター前の席に案内される六人。
「ご注文はお決まりですか。」
「あ、俺は日替わりランチで。マンゴージュースも。」
「はい、日替わりランチとマンゴージュースね。」
「じゃあ俺はフライ定食で。」
「私は…どうしようかな。」
なんだかんだで注文を終えると、四人は目で合図を送りあった。
「あ、私はちょっとトイレ行ってきます。」
「すいません、私もです。」
「ああ、いってらっしゃい。」
山本と石田が席を立つ。
「そうそう酒田、一昨日くらいにまたあったらしいぜ。」
「何が?」
「副長バーサス砲雷長。」
「おい、それ知らねーぞ。」
会話を交わしながら、席を立つタイミングを見計らう。
“ガタッ”
「ゴメン、私カウンターにいる。」
突然、千早が席を立った。有無を言わさぬ素早さでカウンター席へと移る。
“…ガタッ”
「ちょっと、そこの絵を見てくる。」
武も席を立った。タイミングこそ千早を追ったように見えたが、その足は明らかに避けていた。
店の壁にかかっている“戦艦 金剛”の絵画を見つめる武。
「…どうする?」
「…二人を呼び戻せ。様子を見る。」
小声で言葉を交わす松平と酒田。ここまで二人が離れるのは予想外だったからだ。
「…。」
絵画からゆっくりと目を切ると、武はカウンター席の端へと座った。もう一端に座る千早との距離は、そのまま二人の心の距離にも見えた。
「…どうするんですか。」
「…しばらく様子見だ。」
席に戻ってきた山本と石田に耳打ちする松平。
“カランカラン”
誰かが店に入ってきた。