六話、千早の乙女心
「う、うーん…。」
目を覚ました武が見たのは、医務室の天井だった。
「武っ!心配させてっ!」
起き上がった瞬間、横から千早に飛びつかれた。
「ぐえっ!いや心配させたのは…。」
誰のせいだよ、と言おうとしてやめた。まあ心配かけたのは事実だし。
「で、お礼は?この私が心配してあげてるのよ?」
「この私って、偉くもない同期だろ。あるいはただの幼馴染。」
「…。」
ん?返事が返ってこない。思わず千早の方を向く。
「どうしたんだよ、別にお礼を言わないわけじゃない…」
「本気で…言ってるの?」
声を震わす千早だが、武にはわけがわからない。だって同じ15期生だし、幼馴染だし…。
「本気も何も、本当のことだし…」
「あっそう!じゃあ武にとってはその程度だったんだね!」
突然、口調を強め怒り出す千早。
「もう知らない!」
そのまま武に背を向けると、
“バタァン!”
逃げ出すように医務室を出て行った。
「ど、どうしたんだ千早…。」
初めて見る千早の行動に、唖然とするしかない武。
そんな演習と見張りの毎日が一週間続いた。
日没を迎えた午後6時、「青葉」艦橋。
「時刻だな。」
時計を見ながら、和田が言う。
「CIC、艦橋。近くに誘導船らしき艦船は認められるか?」
ここはフィリピン東部近海。極秘に入港することになっている港へ、誘導船と会う手筈になっているが…。
『艦橋、CIC。対水上レーダーには、それらしき反応なし。』
「艦橋、了解。…ふむ。」
まーた、「これだから他国の海軍は…」とかなんとか言い出しそうな雰囲気の和田。
『艦橋、CIC!ソナーに感!本艦進路上3000メートル!』
一気に空気が張り詰める艦橋。
「対潜戦闘用意!…潜水艦の音紋特定を急げ!」
和田の声に、全艦が慌しく動き始める。
『対潜戦闘、用ー意!』
「何、潜水艦?戦闘部署は出したか。」
艦長椅子でウツラウツラしていた大滝を、和田が叩き起こす。
『艦橋、CIC!潜水艦が浮上を始めます!深度200からさらに浮上中!』
「ピンガー打て!警告せよ!」
不意をつかれた格好になったのか、大滝が怒号を飛ばす。
“カァーン!”
『…潜水艦、浮上止まりません!』
「機関三戦速!短魚雷発射用意、アクティブの最大距離2500!」
大滝の低い声。小倉は急回頭に備え、舵輪を握り締めている。
『艦橋、CIC!水中電話です。…応答しますか?』
水中電話?艦橋中が微妙な空気に包まれる。
「…機関原速に落とせ。CIC、俺のところへ繋いでくれ。」
カチャッと受話器をとる大滝。
「…こちら日本海軍所属の巡洋艦青葉だ。貴艦の所属と艦名を答えよ。」
『ガッ、…こちらは日本海軍第8艦隊、潮2号。貴艦の先導のために浮上する。』
「はぁ?」
つい出てしまった、大滝の声。艦橋中も呆れかえっている。
「何かと思えば…。」
「沈められたいのかよ、危ねえな。」
和田が部署解除の命令を、力の抜けた声で伝えた。
“ザバア…”
暗い海上に姿を現した、潮2号の艦影。
「潮2号より発光信号!“我ニ続ケ、繰り返す我ニ続ケ”」
「了解と伝えろ。…全く、変なことしやがって。」
寝起きで機嫌が悪いらしい大滝。
それから2時間後、「青葉」はとある港へと入港した。
“ズ…、ズズン…”
「接岸完了!」
「よし。向こうの連中にでも会ってくるか。副長、ここは頼んだ。」
大滝が先陣を切って艦橋を下りる。自分のことには行動が素早い艦長である。
「あ、艦長!」
舷梯が下りるのを待っている最中、大滝は千早に呼び止められた。
「潮2号に行かれるのですか?」
「ああ。現地指揮官の指揮下に入れと言ってきたから、話を聞きにいく。」
「わ、私も同行させて下さいっ!お願いします!」
うーん…、まあ邪魔にならなければ構わんが。と答える大滝。
「ありがとうございます!」
いつもより数倍は礼儀正しい千早。こんな性格だったかなと思いつつも、準備の終わった舷梯を下りる大滝。
潮2号は、日本海軍の最新鋭の潜水艦である。艦の中央部にセイルプレーンを配置したその姿は、前方気味に配置している既存の潜水艦と比べ異様とも言える姿に見える。
青葉の左舷側すぐに接岸している潮2号。艦の前には水兵らしき人物が立っていた。
「青葉艦長の大滝だ。貴艦の艦長と話をさせて欲しい。」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ。」
水兵に案内され、狭い潜水艦内を歩く二人。士官室へと通された。
“ガチャ”
「…大滝 大佐ですね。ようこそ我が艦へ。」
ヒゲが特徴的な、いかにもオッサンが一人。隣はそれより若そうな士官だった。
「増渕 艦長、お久しぶりです。」
「誰かと思えば西園寺 二曹ではないか。…おっと、今は昇進して一曹になったか。」
ん?知っているのか?大滝が不思議そうに尋ねる。
「青葉に来る前、私はこの艦の勤務だったんですよ。」
「なるほど、じゃあ乗員とも顔馴染みというわけか。」
昔の艦への訪問は、母校へ帰るようでどこか懐かしい。多くの艦を渡り歩いてきた大滝にとって、同行したがったワケが理解できた。
「先ほどは失礼しました。ですが任務上、ああするしか方法がなかったのです。…あ、自己紹介が遅れました。」
増渕の隣にいた士官が口を開いた。大滝と千早が座るのを待って、再度喋り始める。
「私はフィリピンの駐在の海軍中佐、大月 恭平です。長谷川 長官より、すでに連絡はいただいております。」
「つまり青葉は君の指揮下に入るのか?」
「いえ、私はあくまで連絡役です。可能であれば、独自の裁量で動かせても構わないという指示も受けております。」
長官もどうすればいいのかわからない、というわけか。
「とりあえず、特務ですが急ぐような任務ではございませんので、お休みになられてはどうでしょう。長官には私の方から連絡し、大まかな指示を仰いでおきます。」
「あ、ああ…。お願いする。」
休みと聞いて、横から期待の視線を向けている千早を見ると断りきれない大滝。
(この歳になると、若い娘にはかなわんか…。)
「では、艦の補給の方も済ませておかねばなりませんね。手配しておきましょう。」
「西園寺 一曹、上陸したい連中はこっちへ連れてこい。ここから町へ出るには車が必要だからな。」
「お言葉に甘えさせていただきます。」
すでに上陸のことを考えている千早。そして、それをわかっている増渕。
同時刻、第20兵員室。
「…はぁ。」
ベッドに横になり、ため息をつく武。
「お前、今日何度目のため息だよ。」
下から松平の声が聞こえた。
「そんなにしているか?」
「しているよ。ここに来てから5回は聞こえたぞ。」
そんなにしてたのか。自分ではわからないものだな。
「ははーん…。西園寺のことだろ。」
「なっ、そんなことは…。」
「わかりやすいなぁ。最近はとんと会話がないことくらい、俺らも知ってるのさ。」
医務室で出て行かれて以来、演習でのやり取り以外は全く会話がなくなっていた。
「ケンカでもしたのか。」
「…いや、偉くもない同期で、ただの幼馴染って言ったら本気なのって聞かれて。本当のことだろって言ったら、その程度かって。」
観念し、医務室での出来事を語る武。
「なるほどね。…それはお前が悪いよ。」
はぁ?と下段ベッドを覗き込んでしまう武。
「西園寺はだな、ただの幼馴染ってのに幻滅したのさ。」
「なんだそりゃ?」
「乙女心をわかってねえなぁ。遠まわしに、私の事好き?って訊いてるの。」
「わかるわけないだろ。第一、あいつのことは…。」
ここで言葉が詰まる武。
「放っておけはしないけど…。」
「ただの幼馴染なら、あそこまで気にかけることはしないだろうな。」
羨ましい限りだぜ、と上体を起こす松平。
「それで、どうするんだ?気になるんだったら上陸の時にデートでも誘えばいい。」
「で、デートって…。」
かーっと顔が赤くなる武。そんなことできるわけがない。
「なに顔を赤くしてるんだよ。今まで一緒に行動してたじゃねーか。」
「そ、それは幼馴染として一緒にいたわけで…。」
まあお前次第だな。くれぐれも変な気起こすなよ~。と布団を被る松平。
「ちょっ!他人の話を聞けよ…。」
…デート、か。