一九話、青葉の最期
「総員、退艦!」
和田の声に、クルー達の退艦が始まった。
“ザアン!”
次々と放り出されるゴムボート、下ろされる内火艇。艦外では早くも準備がスタートしていた。
「急げ、ここもすぐに満水になるぞ!」
CICでも退艦作業が始まった。橋本が扉を開ける。
「橋本 少佐、先に脱出し航海日誌の有無を確認。」
「はっ、了解しました!」
ラッタルを上がる橋本。
武は最後尾でCICを後にした。…と、
「西園寺 一曹!どこへ行く!」
大滝の怒鳴り声。さっと見ると、千早が走っていくのが見えた。
「どうしたんだ?あっちからの方が早いのか?」
松平の言葉に、そんなはずはないが…。と声を詰まらせる武。
「連れ戻してきます。すぐに戻りますから。」
おいおい…、と酒田が止めるのも聞かずに走り出す武。
水密壁をくぐりながら傾斜の中を走る武。千早が開けまくったのだろう。
「この方向、兵員室か。」
ラッタルの下をのぞいて、
「くっ!」
すでに浸水し始めていた。深さは腰ぐらいだろうか。
“ザバン!”
意を決して飛び込むと、腰まで浸かりながら第21兵員室を目指す。
“ズズゥン…!”
艦が激しく揺れた。艦後部で爆発が起こったのか。
「ぐ…うっ…!」
近くのパイプに何とか捕まり、やり過ごす。
「ちょっと待て、これはマズくないか?」
水が腹の辺りまできた。予想以上に浸水が早い。
ザブザブと水の抵抗を感じながら進む武。
「ハァ…ハァ…。」
第21兵員室の目の前まできた。予想通り、扉は開いている。
「千早!」
そう呼んだ瞬間、
“バチッ!”
真っ暗闇となった。
「くそっ!電力が落ちたか!」
確か懐中電灯があったなと、手探りで探す。
“ガツン”
「痛てっ。あ、これか。」
カチッと電灯を点けると、第21兵員室へと入る。
「ちは…、千早!」
ベッドに倒れ掛かり、半分が水に浸かっている千早を見つけた。
「おい千早!起きろ!」
激しく揺さぶると、細い声を絞り出した。
「…た…ける?」
「何やってんだ!退艦だぞ!」
ハッと見ると、右手にロケットが握り締められていた。
「これ…、取りに来たくって…。」
普段、オシャレに全くと言っていいほど無頓着な千早が、プライベートで唯一身に着けている装飾品だった。
「とにかく出るぞ。立てるか?」
「ちょっと…無理かな。てへ…。」
無理に作った笑顔だとわかった。
千早を背負うと、兵員室を出る武。すでに水は胸まできていた。
(ラッタルまで行ければ、まだ何とかなるはず。)
傾斜は40度以上になりつつあった。ただでさえ辛い傾斜の中、海水が行く手を阻む。
「…武。」
「ん?」
「私…置いてってよ。」
弱気な千早の言葉。迷惑をかけさせまいという考えだろうが、
「いや、引きずってでも連れて行く。」
「…なんでよ、なんで私を連れてくのよ…。」
答えに困った。なんて言えばいいのかわからなかった。
「それは…」
何とか答えようとして、
“ギギギーッ!”
「やばいっ!」
傾斜が急に増し始めた。とっさにパイプを掴む武。
「…!」
ラッタルまで数メートルのところで…。足が床から離れた。
「艦長!真田と西園寺がいません!」
「なんだと!まだ戻ってないのか!?」
海上では、急速に沈み始めた青葉の姿があった。すでに船体の後部は水中へと消えていた。
「真田 一曹…。」
「西園寺センパイッ!」
心配そうな目の、石田と山本。
「まさか浸水に助けられるとはな…。」
浸水の影響で体が浮き上がり、ラッタルまで辿りついた武。
「ちょっと潜るぞ千早。…千早?」
千早は意識を失っていた。腕がダラリと下がっている。
「くそっ!もう少し辛抱してくれっ!」
スーッと息を吸い込むと、水の中へと飛び込む武。手探りで水密壁をくぐった。
「…プハッ!」
上甲板に辿りついた。もう一つ水密壁をくぐれば艦外へと出られる。
「ハッハッハッ…。」
立ち泳ぎをしながら、もう一つの水密壁へと近づく。艦が直立している為、下はおそろしい深さになっている。
“…ガチャン!”
いつもなら何のことはない水密壁を、時間をかけて解放する。水の抵抗は凄まじく、武自信も限界に近かった。
「ハァハァ…、もうすぐ露天甲板か。」
水密壁が連続しているという正直軍艦としては問題ありな設計だが、今だけは助かった。
「せーの…それっ!」
重い最後の水密壁を開ける。
“ザバッ!”
「ぐへっ!?」
外から大量の水が入ってきた。
「マジかよ、もう沈みかけているのか。」
水流が収まるのを待ってから、水密壁の外へと飛び出す。もうそこは艦の外だ。
“ゴボゴボゴボ…”
水面までは数メートルあった。残りの体力で泳ぎきれるか。
(そして千早は大丈夫なのか…。)
後ろに背負っている千早を思い、ふと思った。
(…昔、こんなことあったっけな。)
千早が自殺しようとして、階段を夢中で駆け下って、車に乗っけて…。
(俺、なんでこんなに千早に一生懸命なんだろうな…。)
千早がずり落ちそうになる。慌てて抱え込む武。
“琴音ちゃんが好きなんでしょ。私には飽きたんでしょ。”
千早に言われた言葉。そうだ、答えようとして答えられなかった。
(あれが最後の言葉になるのはゴメンだぜ。)
武は千早に口づけすると、息を吹き込んだ。
(俺は…)
もう一度吹き込む。わずかであっても、可能性を作るかのように。
俺は千早が好きだ。千早のことが好きなんだ。
声に出したのか、心の中で言ったのかはわからない。自分でもわからなかった。
(くっ、意識が…。)
間に合わなかったか。千早を助けようとして、自分まで死ぬなんてカッコ悪い死に方だな…。
沈降する身体。海底に引きづり込まれていく…。
(…?)
急に腕を掴まれた。そのままグイッと引っ張られる。
(…???)
肩も掴まれた。身体が水面へと引っ張られていく。
(…ああ。)
遠のく意識の中で松平の顔がわかった。
(わざわざ助けに来たのか。ご苦労さん…。)
そのまま水面へと運ばれていった。
“ザバ!”
「ハァハァ…。真田、西園寺、両名を確保!」
「了解!ただちに運び上げろ!」
松平が真田を内火艇へと押し上げる。続いて山本が、酒田と共に千早を押し上げた。
「両名とも呼吸が停止しています!」
「人工呼吸だ!急げ!」
原田の声が飛んだ。