一五話、交錯する心、情報、艦
太陽が徐々に傾き始めている。もう夕暮れの時間だ。
“ザザザ…”
夕日の反射で、キラキラと輝く海面を疾走していく青葉の姿があった。
「艦長、グアム島自治機関より連絡が届きました。アプラ港への入港を許可するとのことです。」
「おう。了解と伝えておいてくれ。」
横須賀をダッシュで出港してから早4日。青葉はグアムを目前にしていた。
青葉、CIC―
「ねえ、それで何を話していたのよ?」
「何って、他愛もないことだが…。」
千早が武へと詰め寄っている。
「ふーん…。幼馴染にも喋れないことなんだ。」
「…何だよ、その言い方。」
「悪いなんて一言も言ってないじゃない。ただ武もそういうオトシゴロなのかなって。」
「どういう意味だよ。」
「二人仲良くおしゃべりしてたもんね。」
「だって無言でいるのも気まずいだろ。大したことは喋ってねーよ。」
どうやら先日の休暇の帰り道に、石田と喋っていた時のことを言われているらしい。
「ねえ。」
「なに?」
「本当は琴音ちゃんみたいな娘が好みなんでしょ?」
「なっ!?」
いきなりとんでもないことを言われ、驚く武。
「とっても親そうにしてたもんね~、武ったら。無理しなくてもいいのよ?」
いつもと声のトーンが変わっている千早の言葉からは、不機嫌さが見え隠れしていた。
「…千早。」
「なに。」
「はっきり言えよ。何が言いたいんだ?」
「武こそ、ちゃんと答えなさいよ。…琴音ちゃんが好きなんでしょ。私には飽きたんでしょ。」
向き合ったまま沈黙する二人。
「俺は…」
武が言いかけた時だった。
「ソナーに感っ!左30度!」
ソナースクリーンに、グリップが現れた。
「音紋を照合せよ。僚艦ではないだろう。」
大滝が低い声でCICへと伝える。このあたりの海域で、味方の潜水艦が行動していないことを把握していた。
「まさか、世界政府の…?」
小倉の一言に、サッと空気が変わる艦橋。
「いや、連中は探知不可能な深度にいるはず…」
『音紋一致!…世界政府所属の潜水艦です!』
あっさりと大滝の予想は裏切られた。
『2-7-0へ9ノットで移動中!深度600から浮上中の模様!』
「どういうことだ?いかにも見つけて下さいと言っているようなものではないか…。」
腕を組み、考え込む大滝。
「通信長、第八艦隊の司令宛に暗号で打電だ。世界政府所属の潜水艦を発見したとな。」
「了解です。」
こんなところで出くわすとは…。
『潜水艦、さらに浮上中!距離13000!』
「このままでは攻撃を受ける可能性があります。針路を変更しますか?」
小倉の問いかけに、首を横に振る大滝。
「いや、下手に動く方が危険だ。このままでいい。」
対潜戦闘の部署を発動しろ、と和田に合図する。
「対潜戦闘用ー意!繰り返す、対潜戦闘用意!」
「艦長、司令部より返信!“極力察知されぬよう、追尾せよ。”…以上です。」
頷く大滝。突然の発見報告に、司令部もまともな指示が出せないのであろう。
「航海長、針路を2-7-0に合わせ9ノットに減速。…両方ともゆっくりな。」
「はっ。…取舵30!機関、赤5!」
青葉はゆっくりと艦首の方向を変え始めた。
それからの夜は長く、そして息すら躊躇われるほどの苦しい時間だった。
「…。」
「…。」
武も、千早も、そして橋本。いや青葉のCICにいる全員が、この重苦しい空気の中を耐え抜いていた。交代したところで、息をつくのが精一杯の雰囲気だ。
この時点で、青葉は最も近い僚艦と500海里以上離れており、実質的に単独での追尾となっていた。
「目標、針路速力ともに変化なし。深度200を維持。」
司令部からは何も追加電がこない。対応に困っているのか、それとも静かにしていろということか…。
「…。」
橋本が腕時計を見た。CICで交代したのは1時間ほど前からだが、すでに20回以上は見ている。
(午前4時か…。)
別に声を出したくらいで気づかれることはない。が、それを阻むような緊張感が青葉に満ち溢れている。
(…下士官は早めに交代させるか。)
橋本がクルーの身を案じ始めた時だった。
「ん?対水上レーダーに感?」
疲れているのか、レーダー員の声が小さい。しかし、静寂のCIC内に伝えるには十分な大きさだった。
「どうした?米海軍の艦艇か?」
レーダースクリーンの方へと橋本が近づく。
「いえ、違うようです。方位0-9-0、距離70キロ。」
「特定急げ。…艦橋へCIC、12時方向より水上艦接近。距離70キロ。現在識別中。」
スッとレーダースクリーンを見上げる橋本。…と、
「なっ!?」
スクリーンのに映る、“80.4kt”の文字。
「は、80ノット!?」
「砲雷長、判別不可能です!」
「ということは…。」
グリップが魚雷のような速さで移動していく。
「艦橋へCIC!接近中の艦艇は、不明艦の模様!」
「ついに…現れたか。」
静かに大滝が言った。
「このタイミングとは…。」
苦虫を噛み潰したかのような表情の和田。
「潜水艦が応援を呼んだのですかね?」
「の、可能性は大いにあるな。こっちが自由に手を出せないのは承知しているだろう。」
カチッとマイクのスイッチを入れる大滝。
「対水上戦闘用意。対潜戦闘は継続。」
大滝も、クルーの疲労を考えていた。
(二隻同時に攻撃を仕掛けられたら、対処できるだろうか。)
『艦橋へCIC!不明艦からピンガーを探知!』
「ピンガーだと?」
このタイミングでピンガーを打つ理由は全くない。むしろ潜水艦の存在を青葉に教えているようなものであるが…。
「もしや、両艦は味方ではない…のか?」
「攻撃準備段階の合図では?」
『艦橋へCIC、潜水艦は3隻います!』
「アスロック発射用意!…見えた目標をみすみす逃すのは邪道だ!」
大滝が叫んだ。
『CIC了解!アスロック諸元入力開始します!』
ゴツい艦橋、後方には大きなレーダーもついている。80ノットで疾走する全長160メートルの艦。これこそが、青葉の探していた不明艦の正体だ。
“バシュッ!”
夜の暗闇から解放され始めた海に、5本の魚雷らしき物体が放たれる。
“シャアアアア…”
物体は、まるで呪縛から解放されたかのようにグングンスピードを上げていく。
“ズドーン!”
慌てて海中へ逃げようとする潜水艦。だが、3隻とも物体の餌食と化してしまった。
“ギギギ…”
船体が軋む音。もう潜水艦が浮かぶことは二度となかった。
「CIC!何があった!状況を報告せよ!」
何が起こったのか、理解できない艦橋員。和田がマイクへと怒鳴っていた。
「一体何があったんだ?水柱が上がったようだが…?」
大滝にも、何があったのかさっぱりわからなかった。混乱する艦橋。
『艦橋へCIC!ふ、不明艦の攻撃により、潜水艦が3隻とも沈んだようです!現在、詳細を調査中!』
「なにぃ!?潜水艦が沈んだだと!?」
あの高性能潜水艦が?今の超短時間で?
「か、艦長…。不明艦より通信です…。」
緊張で震えた声。
「こっちへ繋いでくれ。」
「僚艦なのか?」
「だとしたら、これほど心強いことはないですね。」
カチャッと受話器を上げる大滝。
「こちら、日本海軍所属の巡洋艦青葉だ。貴艦の所属を問う。」
大滝がすばやく訊いた。
やがて返事がきた。低めの声だった。
『青葉。最後の目標は、貴艦です。』