魔人
「これが……魔人か……」
思わず声に出ていた。
俺は眼前の魔人の僅かな隙も見逃さぬよう視線を向ける。
耳にはナタリーの嘆きの声が響いている。
あの常に穏やかだった彼女が、恥も外聞もなく父の安否を心配し、叫んでいる。
全ては愚王であったアルバート王の自業自得。
俺に助ける義理などないが……流石に耳障りだ。
俺は仕方なく奴の動きを中断させるため、剣閃を飛ばそうとして……気づいた。
魔人に何かをされているアルバート王の体が何やらぐつぐつと内部で何かが脈動している。
あれはいったい……?
「ちッ、なんであろうと、害あるものに間違いはなさそうだ、なッ!!」
俺は声とともに剣袈裟懸けに振り下ろし、剣閃を奴に向けて飛ばす。
ただの剣閃とはいえ本来ならそこらの木々なら裁断できる程の一撃だ。
だが、奴はそれを一瞥すると、片手でもって振り払い、相殺して見せた。
「……ほぅ、これは高速の斬撃で空間を切り裂き、かまいたちのように剣閃を飛ばしているのですか……なるほど、下等種族の分際で小賢しい真似をするものです……いいでしょう、この方はアナタ達にお返ししましょう!」
奴はそう言い放つと、手にしていたアルバート王を目の前に放り投げる。
投げ捨てられたアルバート王は地面をのたうち回りながら意味の分からぬうめき声を上げていた。
「あ、あああ、あああああああああああああああ」
「あ、ああ、お父様ッ!!」
「まてッ!! ナタリーッ!! 迂闊にそいつに近づくなッ!!」
「ゆ、勇者様……!?」
俺は慌ててアルバート王へと駆け寄ろうとするナタリーを制止すると、アルバート王の様子を伺う。
のたうち回る彼の体は全身がブクブクと沸騰したように蠢いており、明らかに彼の内部で何らかの変化が起こっていることがうかがえる。
恐らくは……もう手遅れだろう。
魔人がアルバート王に何をしたのかはわからないが、何か致命的な変化が彼の中で起きてしまっている。
迂闊に近づくのは危険だ。
そして、しばらくすると俺の予想通り、アルバート王の姿が原型を失っていく。
気が付けばアルバート王は元の二倍、否三倍の巨躯を持つ赤黒い人型の化け物へと変貌していた。
「ひゃはははッ!! いやぁ~なかなか愉快な化け物になったではありませんか!!
下等種族の間において禁忌とされる鮮血石、それを加工し体内に取り込ませ、私の力で増幅、促進させただけでまさかここまでの変化が起きようとはッ!!
いいでしょう、次はその力をワタシに見せるのです!! いけ、そいつらを殺しなさい!!」
「ぐぎががぎごっぎゃぎゃぎゃgyがyがやgyぎゃああああああああああああああああ」
どうやら化け物に変貌したアルバート王は魔人モーリスの命令に従うらしい。
かつてアルバート王であった化け者は悲痛な狂声をあげながら、俺たちへと襲い掛かってきた。
「あ、ああ、お父様……何てこと……」
「下がってろナタリーッ!!」
俺は変貌したアルバート王の心を覗いてしまったらしく、酷く動揺しているナタリーを後ろに下げさせ、背に庇うと、アルバート王へと相対する。
おそらく、奴のパワーは正しく化け物クラスだ。
元の肉体より遥かに肥大化した全身の筋肉、そして、全体的に大きくなった奴の巨躯がそれを物語っている。
加えて、あれは魔人の話を信じるなら、マジックアイテムと何らかの力、おそらく魔力によるものだ。
呪文を唱えて発動するれっきとした魔法により行われたドーピングではない以上、奴の変化はこの鎧では打ち消せない。
一撃でも当たれば必死。
否、掠るだけでも重傷は免れない。
だが、
「行くぞ、愚王。せめて最後くらい安らかに散れッ!!」
「ぎゃがやぎゃっがyがやgysyぎゃぎゃがyぐあああああああッッッ!!」
―――それでも、こいつは俺にとって脅威でも何でもない。
化け物と化したアルバート王は大ぶりの拳を放とうと大きく振りかぶる。
俺はその間に冷静に奴の動きを観察し、軌道を見抜く。
直後、振るわれる奴の一撃。
尋常ではない力が込められたその一撃はしかし、むなしく中空を切り、床へと大きな破壊を残す。
その後も何度か同じように拳が振るわれるが、ただの一撃とて俺には掠りもしない。
……遅い。遅すぎる。
その程度のテレフォンパンチを馬鹿みたいに振るったところで、過去の勇者の力より、【見切り】を引き出し、全ての動きを見抜いている俺には当たるはずもない。
如何な威力を持っていようと、当たらなければいいだけの話だ。
そして、自分の攻撃が当たらないことに業を煮やしたのかアルバート王が一層大きく拳を振りかぶり、俺を滅殺せんと右拳を振るってくる。
だが、もう終わりだ。
その時には既に俺はアルバート王の懐へと潜り込んでいる。
ここでようやく奴が俺に気づくが既に手遅れ、後の祭り。
あとはもう構えた剣を振りぬくだけだ。
それだけで、このアルバート王は沈黙するだろう。
……ふと、ナタリーを一瞥する。
こいつはどんな奴だったとしても、ナタリーの実の父だ。
戦闘前に覚悟していたとはいえ、いざこの状況になっても彼女同じ考えを保てているのかと疑問に思ったからだ。
……だが、どうやらその心配は杞憂だったらしい。
俺の思考を読んでいたらしい彼女は俺の目を真っすぐに見つめると―――ただ泣きながら頷いた。
ああ、そうか……俺にお前みたいな心を読む力なんてない。
だが、今のお前の思いは伝わった。
「アルバート王、いい娘を持ったなッ!! はぁぁぁああああああッ!!」
俺は気合の声と主に構えた剣を逆袈裟に振り上げる。
振り上げた俺の剣は一刀にて化け物の巨躯を斜めに切り飛ばし、瞬時にその生命を終わらせた。
「が、グガ……ありが……とう…………―――――」
アルバート王は最後にそう言い残して、物言わぬ死体となる。
化け物と化してしまった奴も最後の最後に再び人に戻れたのか、その双眸からは涙が流れ、安らかな顔で眠っていた。
「う、うぅ……お父様…………」
「……………ッ」
ナタリーはアルバート王の最後の思いを読んでしまったからか、はたまた実の父が死んでしまったことに対してか……いや、おそらくその両方だろう。
それがどれほど辛いのかは俺には最早想像などできない。
しかし、彼女の流す大粒の涙がその悲しみを物語っていた。
「ふっフヒッふひゃひゃははやひゃはややああぁぁ~~~ッ!!
いやぁ~~なんと、なんとも滑稽な最期じゃぁ~~ありませんかッ!!
誰よりも自己保身に走った王が、自身の身を悍ましく変貌させ、自らが利用するために召喚した勇者に葬られる。これを滑稽と言わずにはいられないッ!!
実に愉快な見世物でしたッ!!
最もぉ~? こうなるように仕組んだのはこのわたしなんですがねぇッ!!
ひゃははははははははは~~~~ッ!!」
「……………………………」
奇怪な笑い声を上げながら、魔人モーリスはアルバート王の最後を嘲笑する。
どうやら、アルバート王の悲痛な最期も、奴にとってはただの娯楽。
見世物の一つに過ぎないらしい。
確かにアルバート王は愚かな男だったのだろう。
簡単に魔人に利用され、愛した妻も殺されて、最後には自分も弄ばれた。
彼が愚王であったことは事実、その事実に間違いはない。
だが……かといって、それはその最後を嘲笑していい理由には成り得ないッ!!
ナタリーは泣いていた。
彼女は化け物と化したアルバート王心を読んで、最後の場に立ち会って、ただ泣いていた。
ならば、あのアルバート王の最後を笑うことは、彼女の気持ちを冒涜する行為に他ならない。
正直、俺はアルバート王がどうなろうと興味なんてなかった。
だが、なぜだか……ナタリーの思いを踏みにじられたことには不思議と怒りが沸いてくる。
「ひゃははははははああぁぁぁ~~~~~ッ!!
おやぁ? 黙ってしまってどうしたのですかぁ~~?
まさかこんな奴の死を悲しんでいるとでもぉ~~?
いや、まさか、まさかまさかまさかぁ~~そんなことはないですよね?
あなたはただ利用されていたのですよ?
あなたがどう感じていようと、私と、そしてこいつにはそのつもりしかなかったのですからねぇッ!!」
そう叫ぶと、好き勝手なことをしゃべりながらゆっくりと近づいてきていた魔人モーリスは変わり果てたアルバート王を蹴り飛ばし、足蹴にする。
…………こいつは……ッ
「モーリスッ!! いい加減にッ―――勇者様……?」
目に見えずとも、音などの他の情報から魔人モーリスの蛮行を悟ったのだろう。
怒りのままに前へと躍り出ようとするナタリーを片手で抑えると、俺は魔人モーリスへと一歩踏み出す。
「おやおやおやぁ~~~??
まさか勇者様、本当に怒っているのですかッ!?
きひ、きひひひひひひ、これはこれは実に―――」
「貴様の言う通り、間違いなく、アルバート=エドワードは愚王だった」
「はぁ……? それがいったい―――」
言葉を続けようとする魔人モーリスに俺はそれから先を喋らせぬよう、遮るように言葉を続ける。
「そうだ。確かに奴は愚王だった。貴様の掌の上で踊らされ、愛する妻も殺されて、愛娘すらいいように使われた愚かな王に他ならない」
そう、その事実に間違いはない。
そんなことはまんまと利用されていた、愚かな俺が誰より一番わかっている。
奴も……そして俺も愚かだった。
それは純然たる事実。
そこには一片の間違いもない。
だけど……ッ!!
「だがな……その全ての元凶である貴様がッ!! その最後を嘲笑いッ!! あいつに向けられた気持ちを踏み躙っていい理由など存在しないッ!!
後悔しろよ、魔人。例え利用するつもりだったのであろうと、この俺をッ!! 勇者をこの世界に呼び出したのは間違いであったのだと、地獄の底で嘆くんだなッ!!」
「勇者如き愚物の分際でこのワタシによくも吠えられたものです。
アナタこそ、その失言、死の間際で後悔するといい!!」
魔人モーリスの様相が変わる。
どうやら俺の発言は奴の怒りの琴線に触れたらしい。
魔人モーリスは内に秘めたる膨大な魔力を開放し、魔法の詠唱を開始する。
「恐怖せよ、戦慄せよ、我が起こせし災禍の前に恐れを成せ―――≪死の重圧≫」
何らかの魔法が発動し、詠唱を通して現出した魔力は形のない現象と化し俺へと襲い掛かってくる。
見えずとも、わかる。奴の魔力の禍々しさ、そして醜悪さ、引き起こす現象の悪辣さは否が応にも伝わってくる。
だが、いくら奴の魔法が脅威であろうと―――俺が恐れることはない!!
形がなく、されど確実に俺へと襲い掛かってくる無形の重圧。
それを俺は勇者の鎧を纏った右腕にて一蹴する。
「忘れたか魔人ッ!! この身に貴様の武器である魔法の一切は通じないのだということをッ!!」
「ちっそういえばそうでしたね。アナタは腐っても勇者、やはり魔法攻撃は通じませんか……まったく厄介なものですッ」
そうだ。勇者の鎧は俺に害意のある魔法を相殺する。
故に、奴がいかなる魔法を用いたところで、その全ては俺に通用することは断じてないッ!!
つまり、俺が恐れるのは奴の魔人としての身体能力と、その狡猾な策略のみ。
だが、
「勇者様!! 勇者様から見て右方、上段に奴の蹴りが来ます。モーリスはそれに魔法として形を成す前の魔力を纏わせることで威力を上乗せするつもりです!! まともに受けてはいけません!!」
「上出来だ、ナタリーッ!!」
「―――くッメスガキがッッッ小賢しい真似を……ッ!!」
その思考すらナタリーによって筒抜けにされているのでは最早奴など脅威ではない。
俺は勇者の剣に眠る数多の技能の中から、現状に有効な技術を検索し使用する。
選択したのは【見切り】のスキル。受けることが叶わぬならば、避けるまで。
俺はナタリーの宣言を聞いてか、僅かに着弾点をずらした魔人モーリスの魔力を纏った脚撃が中段に襲い掛かってくる。
既に放った蹴りの着弾点を強引にずらしてくるのは流石は魔人と言ったところか。
だが、その動きは既に【見切り】で見えている。
俺は奴の足元に潜り込むようにして脚撃を回避すると、無防備に残された右足を手にした剣で断ちに行く。
しかし、相手も流石に魔人。そう易々とは攻撃を食らってくれない。
魔人モーリスはそのまま左脚撃の勢いのまま跳躍し、俺の剣閃を回避するとそのまま空中にて身を捻じり、再び俺へと正対すると攻撃直後の俺に向けて右の踵落としを繰り出さんとしてくる。
【見切り】では対処できない視覚の外からの攻撃。
食らえばいくら勇者の鎧で守られているとはいえ、唯ではすまないだろう。
だが、それを俺は強引に身を捩り、背後に斬撃を繰り出すことによって対応する。
「くっ……」
刃物と足。
本来ならあり得ぬその拮抗はしかし、魔人の足の方に軍配が上がる。
剣を持つ俺の手に信じられない程の衝撃と痺れが走った。
これが魔人……この世界に君臨する絶対的脅威にして、畏怖の対象とされるその存在。
正直、想像以上だ。俺は何とかその威力を相殺しきると、即座に距離を取り、仕切りなおす。
俺のその姿を見ながら、魔人モーリスは心底意外そうな顔を向けていた。
「ほう、これを受けますか。どうやら勇者様も存外口だけでは無かったようですね。
最初は確かにただの愚物であったはずなのに、いったい何に影響を受けて成長したのやら……」
「ふん……いや、影響など受けてはいないさ。ただ俺は俺の未熟さに気づいた。それだけだ」
そうだ。
俺は鬼道彰に影響を受けたわけではない。
ただあいつが俺自身の間違いに気づくきっかけになった。ただそれだけだ。
だが、だからこそ、俺はこんなところで負けるわけにはいかない。
鬼道彰に勝つその日まで俺は……
「―――負けるわけにはいかねぇぇぇんだよぉぉぉッ!!」
叫びとともに俺が繰り出すのは不可視の刃。
しかし、ただの剣閃では奴には届かない。それは既に知っている。
だが、これは威力、大きさともに倍以上。
その威力は凶悪な魔物と知られるバンデット・オーガを倒すに至るほどのモノ。
その名は……
「ふははッ!! バカの一つ覚えでしょうか?
懲りずに同じ技を繰り出すとは愉快なものですね!
この程度の技では私には通用しないと先ほど……いや、これはッ!?」
「気づくのが遅い、切り裂けッ!! 絶対切断の牙ッ!!」
飛来する剣閃とまったく同じモーションで放たれる技でありながら、その内包する威力で一線を隔する存在である勇者の剣から引き出したる絶技、【絶対切断の牙】がただの剣閃と侮った魔人モーリスに牙を剥く。
先と同じく片腕で振り払わんとした魔人モーリスは慌てて回避に徹するも間に合わず、高威力の一撃をその身に受けた。
「やったか……!?」
「いいえまだです勇者様ッ!! 奴は何かするつもりです!! 急いで追撃を―――」
「ふふふ、はははははは―――ッ!!」
ナタリーの声に反応し、すぐさま追撃を加えようとする俺の耳に、奴の不気味な高笑いが届く。
どうやら本当に倒せてはいなかったらしい。
だが、俺の攻撃に対し、無傷とはいかなかったらしく、その体躯には巨大な裂傷ができ、血が滴り落ちていた。
魔人モーリスはふらふらと傷口を抑えて立ち上がると、言葉を続ける。
「いやぁ……正直、これは本当に予想外でしたよ……どうやら私は勇者という肩書を甘く見ていたらしい。
召喚されるものがどんな愚者であろうと、英雄に変貌させてしまう……それが勇者召喚の真の恐ろしさということのようですね……本当に、忌々しい術式だ……。
どうやら、あなた方をここで葬るためにはワタシも真の力を出す必要があるようです……」
「勇者様ッ!!」
「わかってるッ!! 黙ってくたばってろッ!! 切り裂け、絶対切断の牙ッ!!」
「見せてあげましょう!! ワタシの真の姿をッ!! ―――魔装、解放ッ!!」
直後、絶対切断の牙が魔人モーリスに再び襲い掛からんとし……突如奴の眼前にて消失した。




