日常?への帰還
「……ッ……ここは……」
ぼやける視界の中、彰は目を覚ます。
起き立てて上手く働かない頭をゆっくりと働かせるように頭をさすりながら上体を起こすとようやくぼやけていた視界が定まってきた。
「ここは……ああ、見覚えのある部屋だな……ははは」
周囲を見回してそう呟く。
そこは何というかかなり質素な感じの部屋だった。
壁や床は今時珍しく一目で木製と分かるような壁紙などの無いむき出しの木でできており、なんというか別荘のログハウスと言われた方がしっくりくる。
部屋の隅にはこれまた木製のタンス、部屋の中心にはぽつんと寂しくテーブルが置かれており、それが逆にこの部屋の物の無さを強調していた。
そして、その簡素な内装は記憶の中にある“あの場所”と酷似している。
改めて辺りを見回すと、そんなに昔の事でもないのに何故かそれが随分昔の事であるかのように感じられた。
「はは、なんだか懐かしいな……この世界に来たのなんてついこの間のはずなんだけど……なんでだろ?」
そう、この世界に来てからせいぜい二、三か月程度。
彰がこの世界に飛ばされたあの日から、まだそこまで長い時は経っていない。
だが、それでも彰にはあの日のことが随分昔の事であるように感じられた。
その理由はきっと……、
「きっと、この世界に来てから過ごした時間がそれだけ濃密なものだったからだろうな……」
この世界に飛ばされてからいろいろなことがあった。
見知らぬ森で散々サバイバルをし、力尽きたところをタール村の皆に助けられた。
かと思えば、村の子供達を攫った盗賊団と戦うことになり、なんとか助け出すことに成功。
助けた子供達を王都へ送り届けるため、村の皆に見送られながら旅に出た。
王都では騎士団長と戦ったり、獣人の女の子を保護したり、エルフの女の子が仲間になったりしたし、勇者とも戦った。
次に向かったウォ―ドラスでは闘技大会に出てたくさんの強敵と戦い、初めて本気の苦戦を強いられた。
そして、今回の魔人との壮絶な闘い……どの経験も彰にとっては刺激的なものばかりだ。
長い時間を過ごしたかのように思えてしまうのも無理はない。
それだけ濃密な時間を過ごしてきたのだから……。
彰がそんな感慨に浸っていると、ドアの向こうから何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「ちょっとッ!! ボクが先にアキラに褒めてもらうんだから邪魔しないでよ、ノエルっ」
「……リン、少し落ち着くべき……そんなに暴れると、乳が取れる、よ」
「取れないよっ!? いくら大きくてもそんなことにはならないからねっ!?」
「―――ブチッ」
「あわわわ……ノエルの頭からなっちゃいけない音がっ!?」
「……もう怒った……もぎ取ってやるッ」
「いやああもぎ取らないで……って取れないよっ!? そんな着脱出来るようには出来て……ちょっ、本当にえっ、あんっ、ちょっ、あっあああああ痛い痛い痛いっ!! 本当にもぎ取ろうとしないでぇぇえええっ!?」
「……あははは、本当何やってんだあいつらは……つか、どうでもいいけど俺も混ぜてくれねぇかな? いや、ほんとどうでもいいし、興味なんてないんだけどさ……いや、ほんとに」
彰が若干羨ましそうに呟きながらドアの向こうから聞こえる会話に耳を傾けていると、
「お姉ちゃん達入らないならエマが先に入るね~」
「「あっ」」
しまったという感じで茫然とするノエルとリンの声を背に、エマがガチャリとドアを開けて漁夫の利を得るようにアキラのいる部屋へと入ってくる。
エマは入ってくるなり上体を起こしている彰を見つけると、満面の笑顔になり、彰の元へと駆けよって来た。
「アキラお兄ちゃんっ!!」
「うおっと!!」
いきなり飛びついてきたエマを彰はなんとか受け止める。
体の節々が少し痛んだが気にするほどでもない。
彰は飛びついてきたエマを抱きかかえると優しく頭を撫でてやる。
「あ、アキラお兄ちゃん……く、くすぐったいよぉ……もうっ……えへへ……」
エマは少し恥ずかしそうにしながらも、頬を赤らめて嬉しそうに彰に身を委ねる。
その姿を見て、リンとノエルが“やられた”とでもいうかのように悔しそうな顔で言う。
「ああ~っ!! ずるいよエマちゃんっ!! それはボクが一番にしてもらうはずだったのにっ!!」
「……しまった……油断した……こんな無駄乳エルフに、構ってる場合じゃなかった……」
「……ねぇノエル? なんか最近ボクの扱いが明らかに雑過ぎない? ボクいい加減泣くよ? 号泣するよ?」
「…………」
「なんか言ってっ!?」
彰は開いたドアの向こうで未だにアホな会話を繰り広げる二人から目を逸らすようにエマを優しくなで続ける。
エマを撫でていると、なんだか荒んだ心が現れるような、そんな感覚に襲われた。
「(あ~なんだろうこの可愛い生き物、癒される感が半端じゃないな……だから、見えない。奥で醜い争いを繰り広げてる二人なんて俺には見えないんだ……)」
しばらくそんな風に現実逃避をしていた彰だったが、ふと自分がここにいる経緯が気になり、そのことを聞こうとエマを撫でる手を止める。
エマの“あっ……”という寂しげな声に、彰はもの凄く後ろ髪をひかれつつも、なんとか自分を律して彼女自分の中で燻ってる疑問を問いかけた。
「え~と、エマ。よかったら、俺が意識を失った後に何があったか教えてもらえるか?」
彰が優しく問いかけると、少し寂し気にしていたエマは自分が頼られたことが嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべて元気よく「うん!! 任せて!!」と答えると、彰が気絶してからの事を話し始めた。
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「……ってーと、つまりはあれか、俺が倒れた後、リンとノエルが二人で魔物の残党をやっつけて、タール村は安全な場所に戻りましたと。それで、今は戻ってきた村の皆と一緒に村を立て直してる真っ最中で、俺はあの後丸々一日熟睡していたってことか?」
「うん、そうそう、そんなかんじだよっ!!」
エマは満面の笑みを浮かべて彰の言葉に首肯する。
どうやらエマは彰と話すだけでも嬉しいらしく、彰と言葉を交わすたびに花が咲くような笑顔を浮かべてくれるのだ。
その笑顔を見て、彰は改めてこの笑顔を守れてよかったなと、思う。
「……そうか、みんなが無事で何よりだよ」
「むっ、アキラお兄ちゃんはまたそんなこと言ってー、みんなアキラお兄ちゃんのこと心配してたんだよ?」
彰が思わず口を突いて出た言葉が、エマの心に触ったのか。エマは頬を膨らませて不機嫌な表情になったと思うと、そのままさらに俯いてぼそりと、
「心配、したんだよ……?」
と少し悲し気に呟いた。
その姿を見ていると、彰は思わず胸を締め付けるような思いに駆られる。
今回、彼女は幾度も怖い目にあったはずだ。
それは本来齢十二の女の子には重すぎる経験のはずで……そんな思いを彼女にさせてしまった自分の力の至らなさがたまらなく嫌になった。
「ごめんな、エマ。怖い思いたくさんさせちゃって……俺がもっとしっかりできてればエマにそんな顔させなくて済んだのにな……」
「違うよっ!! アキラお兄ちゃんはちゃんと約束守ってくれたもんっ!! エマを助けに来てくれたもんっ!! エマが言いたいのはそんなことじゃないんだよ……?」
エマは俯いていた顔を跳ね上げると、まっすぐに彰の目を見て彰の言葉へと反発するように主張する。
彼女の目元にはうっすらと涙が浮かんでいた。
真摯な目で問いかけてくるエマ。
だが、彰にはその顔を前にして、なんて言葉をかけるのが正解なのかがわからない。
だが、そんな彰の戸惑いを他所に、エマは再び彰に抱き着いてくる。
「……無事でよかったよ。アキラお兄ちゃん……あんまり無理しちゃ嫌だよ……」
その言葉でようやく気付く。
エマは彰を責めたかったのではない。
自分の身を顧みず、戦い続けた彰のことがただただ心配だった。
それだけなのだ。増してやその頑張りが自分を守るためだとわかってるからこそ、倒れた彰の姿はエマにとってとても重いものになってしまっていたのだろう。
なら、今彼女に必要なのは謝罪ではないはずだ。
彰はそう思い至ると、再びエマの頭を優しくあやすように撫でる。
「そうか、そうだよな……心配かけちゃったよな……辛かったよな……怖かったよな……」
「う゛う゛ぅーーアキラお兄ちゃん……」
「……ああ、よく頑張ったな。エマは俺の自慢の妹だよ」
そのまま少しの間、エマは彰の胸の中で泣き続けた。
そうしてしばらく泣き続けていたエマだったが、やがて落ち着いてきたのかぐすっぐすっと鼻をすすりながらも顔を上げる。
「ぐすっ……違う、もん。エマ、アキラ、お兄ちゃん、の、妹じゃ、ない、もん。お嫁さん、に、なるん、だもんっ!!」
そう彰に答えたエマの顔には目元は赤く腫れているし、瞳は未だに涙ぐんではいたものの、いつも通りの元気な笑顔が戻っていた。
その顔を見て、彰は胸が温かな気持ちになる。
とはいえだ。エマはお嫁さんと言ってはいたが、彰にとっては彼女はまだ子供。
彰としてはやはり彼女は妹のようにしか思えない。
だが、エマの顔を見ていると、今だけは彼女の言葉に乗ってあげてもいいのかもしれないなという気持ちになってしまう。
「ああ、そっか、そうだったな。エマは俺のお嫁さんに……んっ?」
彰はエマの言葉に乗るように、そこまで言ったところでふと気づく。
そういえば、今の今まで空気を読んで静かにしていたらしく、そのおかげで忘れてしまっていたが。
今、この光景を見ている人物が確かもう二人いなかっただろうか、と。
「……アキラ、お嫁さんとは、どういうこと……? ……詳しく、聞かせてもらう……」
「ははは、アキラってばそんな小さい子まで毒牙にかけてたなんてちょっと見境無しなのかなァ……?」
「ひいっ!」
彰が思わず気配を感じてドアの方に目をやると、そこには明らかにただならぬ雰囲気を身に纏ったリンとノエルの姿があった。
その姿はまるで般若のようで、思わず彰の口から情けない悲鳴にもならぬ言葉が漏れる。
まずい、一刻も早くこの場から逃げなければいけないと、頭の中で警鐘が鳴り響いているが、残念なことに彰の体は既に無垢な少女により拘束されており、身動きが取れない。
そもそも、唯一の逃げ道であるドアを抑えられてしまっている。
つまり……彰に逃げ道など既に存在しなかった。
「あわわわわわ……ちっ、ちがっ、これは違うんだ……落ち着こう、まずは落ち着いて話し合おうじゃないか……そもそも人間は対話を大切にする生き物であってだな―――」
「ふふふ、そうだねアキラぁ~。たっっっぷり対話をしようかぁ……? もちろん――――その体にねッ!!」
「い、一応言っておくがっ、それは対話じゃないからなっ!?」
「……アキラ、その小さなお嫁さんについて……詳しく聞かせてもらうっ」
「いや待てノエル。小さい小さいってそもそもお前もそんなに変わらな……まてっボウガンを構えるんじゃないっ!! それは死ぬっ本当に死んじゃうからっ!! エマ、悪いんだけどちょっと俺を開放してくれないかな? このままだと俺本当に殺られちまうッ」
「えへへ……アキラお兄ちゃんの臭い……くんかくんか」
「ちょっとエマさぁぁぁあああんっ!? そんな嬉しそうに臭いを嗅がないで……ぁああーでも畜生っ可愛いじゃねぇかっ!! でもだめ、お願いマジで放して、俺を開放してっ!!」
喚き散らして暴れる彰、しかしそんな彰の言葉が聞こえないかのようにエマは一心不乱に彰の胸元で鼻をくんかくんかし続ける。
すると、その姿を見ていたリンとノエルの頭から“ブチッ”という何かが決定的にぶち切れた音が聞こえた。
「あ、ああ、待て、待ってくれ、リン、ノエル。ここは穏便に……平和的な解決をだな……」
「「ブチコロスッ」」
「ぎゃぁぁぁああああああああああああああ」
のどかな昼下がり、幾つもの家庭が穏やかなお昼の団欒を行うその時間帯。
エマ達の家の中には悲痛な男の悲鳴が響き渡ったのだった。




