エマの決断
魔物達の足止めをするため、二人は村の方向へと向かっていた。
「あなた、武器はちゃんと持ってるの?」
言いながら、マリナは既に薄暗くなってきている森の中を駆ける。
エリックはそんなマリナと並走しながら、彼女の質問に応えた。
「問題ないよ、ちゃんと村を出るときに念のためと思って持ってきたよ」
エリックはそう言うと、腰に下げた剣を鞘から抜いて見せる。その剣は長年使っていないとは思えないほどにその刀身は美しく輝いていた。
それはエリックが現役時代にずっと使っていた愛剣であり、彼の相棒と言ってもいい代物だ。エリックは冒険者を引退して以降も愛剣の手入れだけは欠かしていなかったのでその切れ味は未だに現役として使って行ける状態であった。
「私は大丈夫だが、むしろマリナの方こそ大丈夫なのかい? いくら君がかなりの魔法の使い手だとししても今回はさすがに無手じゃ厳しいと思うけど?」
「あら、だからあなたが私を守ってくれるんでしょう? あの頃もそうだったじゃない。あなたが、守り、私が魔法で決める。何も変わりはないわ。違うかしら?」
「……そうか、そうだったね。確かにそうだ。私が守って、君が決める……昔からそうだった。それは今も違いはない」
「ふふ、それでこそあなたよ。さぁ、急ぎましょう、時間が無いわ」
「ああ……そうだね」
そうして二人は暗い森の中を駆けて行く。大切な者を守るため、自分達の信念を貫くため、そして、嘘を本当にするために……力強く駆けて行く。
そうして、駆け抜けていた二人の耳に、魔物達の地を蹂躙するかのような音が聞えて来た。
どうやら、既に群れの先頭に近づいていたらしい。
「さぁマリナ、準備はいいかい?」
「ええ、いつでも大丈夫よ」
「それじゃあ、行こうか。私達の愛する娘を守るために」
「ええ、行きましょう、あの娘の未来を守るために」
二人はお互いの戦うための理由をもう一度確認すると、たった二人で魔物の大群へと挑んでいった。
◆◆◆◆◆◆
「パパ……? ママ……? どこに行っちゃったの?」
エマは暗い森の中を村の皆と共に駆け抜けながら、突然姿の見えなくなった自分の両親の姿を必死に探していた。
最初こそこんな絶望的な状況の中でも、大きく、力強い声で皆を先導していた二人だが、いつの間にかその声は聞こえなくなっており、その姿も見えなくなっていた。代わりに皆をまとめることは村長が行っている。自分の両親の姿が見えない現状と父であるエリックがいつも使うわけでもないのに何故か丁寧に手入れをして仕舞いこんでいた剣を携えていたことがさらにエマの不安を駆り立ててていた。
―――もしや……いや、まさか……?
そんなよくわからない疑念が彼女の頭を支配していく。そんなどんよりとした不安を前に、エマは居ても立ってもいられなくなった。何か行動をしなければ、この不安に押しつぶされてしまいそうだった。
「そうだ、村長さんなら……」
村長さんなら、今自分達をまとめている村長さんなら、二人の姿が見えなくなった理由を知っているかもしれない。
そう思ったエマは、走る速度を上げ、何とか村長の元まで近づいて行った。村長は皆をまとめているとは言っても、年配で、そう早くは走れないため、かなり後ろの方にいる。エマは速度を緩めるだけで村長の元へ近づくことができた。
村長のすぐ隣に並ぶと、村長は驚きと、悲しみを織り交ぜた表情を見せたが、それに構わずエマは言った。
「ねえ、村長さん、私のパパとママは……?」
「それは……」
それきり村長は言葉無く、苦虫を噛み潰したかのような顔で俯いてしまう。しかし、その姿こそが二人が悲しい選択をしたことを何よりも雄弁に語っていた。
「ねえっ!! 答えてよ村長さんっ!! 私のパパとママはどこに行ったのッ!?」
そう叫びつつも、エマは心のどこかで二人がどこへ行ったのか、なんとなくではあるが察しはついていた。しかし、それを認めるわけにはいかない。認めてしまえば、それは現実になってしまう。エマがそれは認めない限り、誰かがそれを口にしない限りは、それはあくまでも推測の域を出る物ではなく。現実にはなり得ないのだ。
だからこそ、村長に真実を問うエマは、同時に心のどこかで答えないで欲しいとも思っていた。
しかし、現実は残酷で、非情で、無慈悲だった。
「……ごめんよ、エマちゃん。君のパパとママは、ここに居るみんなを逃がすために、二人で……」
「嫌だっ!! そんなの聞きたくないよっ!!」
「エマちゃん……」
自分が矛盾したことを言っているのはわかっていた。
何せこの言葉を村長の口から引き出してしまったのは紛れもなく自分自身だ。それは疑いようもない。しかし、理性ではわかっていても、感情がそれを否定する。気がつけば、彼女はさらに口を開いていた。
「うそ、嘘だよ……だってパパとママがそこまでする必要なんてないはずだもんっ!! いくら村の皆のためだからって、自分達の命まで投げ出す必要なんかないはずだもんっ!!」
「…………ッ」
エマはまるで駄々をこねる子供のように感情のまま叫ぶ。否、事実彼女はまだ子供なのだ。いくら多少しっかりしているとはいえ、彼女はまだ12歳、まだまだ両親に甘えて育つ年頃なのである。村長はその姿を前にまるで何もできない自分を悔やむかのようにうつむき続けていた。
「もういいっ!! 私がパパとママを連れ戻してくる!!」
エマはそう叩きつけるように言うと、今までとは逆の、魔物達がいるはずの方へと向かって走り出そうとする。
「だめだエマちゃんっ!! それはいけないっ!!」
しかし、それは村長によって遮られる。村長はエマの体を抑えると、無理やり引っ張って引き留める。
「放してっ!! 放してよっ!! 私が、私が二人を連れ戻すのっ!! みんなで一緒に逃げようって、みんなで一緒に生き残ろうって、そうじゃないと意味がないって、連れ戻さなきゃいけないのっ!!」
「気持ちは分かるがそれは無理だ、無理なんじゃよエマちゃん!! 今から言ってはもう間に合わんし、何より、それでは二人の気持ちを裏切ることになってしまう!!」
村長の『二人の気持ち』という言葉を前に、エマの動きは僅かに止まる。
「パパとママの……気持ち……?」
「ああ、そうじゃよ。二人は誰のために命を懸けて時間を稼ごうとしていると思う? わしのためか? みんなのためか? 王都のためか? 確かに、それも少しはあるじゃろう。じゃが、そのために命を賭けるなどできるはずがない。それができるのは、他でもない、君のためだからなんじゃよエマちゃんっ!!」
エマは村長の言葉が理解できないとでもいうかのように首をかしげた。
「私の、ため……?」
「そうじゃエマちゃん。わしは二人に君のことを頼まれておる。君だけは何があっても逃がしてくれと、そう強く頼まれておる。親というものは、我が子のためならば命すら賭けることができる生き物なんじゃよ!! 君は、そんな二人の決死の思いを、覚悟を、願いを、裏切ってしまってもよいのかっ!?」
「―――ッ!?」
それは残酷な言い方だった。しかし、村長にはそれ以外に彼女をこの場に引き留めるための言葉がついぞ思いつかなかったのだ。そうしなければ、エマは止まらない。エマを守るために、彼女の大切な両親の、彼女のためを思って残した思いを、幾ら救うためとはいえ、彼女を傷つけるような形で言わなければならないというのは何という皮肉だろうか?
しかし、そこまでしたかいあってか、エマの足は止まった。
「不甲斐ない話じゃが、今、わしらが二人のためにできることは、逃げることしかないのじゃ。二人の思いを背負って、生き延びること。それ以外に二人のためにできることなどないのじゃっ!!
だから、エマちゃん、頼む。今は一緒に逃げてくれ!! じゃなければわしは二人に会わせる顔が無いっ!!」
「…………」
エマは無言だった。しかし、村長の言葉にコクリと頷きを返した。
「そうか、わかってくれたか……それじゃあこうしちゃおれん! 早く逃げるのじゃエマちゃん!!」
村長はそうして走り出す。エマは悲しげに自身の両親がいるであろう方向を一瞥すると、思いを振り切るように村長の後をついて走り出した。




