エルフ
その後もスケルトンやグールなどの魔物がたくさん出て来たが彰達に出番はなかった。
なぜなら彰達が魔物を発見すると同時にリンが素早く詠唱、魔法で出てくる敵を全滅させてしまうからだ。
あまりにも何もすることなく、ただ洞窟を進んでいた彰は正直『これほんとにリンだけで十分じゃね?』と思い始めていた。
そして同時に、内容はともかく、依頼の達成だけならもうすぐ終わるだろうと、
―――――そう、思っていた。
しかし次の瞬間、異変は起こった。奥の方から彰達よりも先に進んでいたいくつかの冒険者のパーティーとその監督官が必死の形相で走って逃げてきたのだ。
これには彰達のパーティーについていた監督官も驚いたらしく、彰達の前までやってくると逃げて来た者達を引き止め、事情を聴こうとする。
「どうしたお前たち!?一体何があったんだ!!」
「だめだ!早く逃げるんだ、奴が、べヒーモスが来るぞ!!」
「バカな!?奴はこの洞窟の最深部にいる魔物じゃないか!なんでこんな場所にいる!?」
「知るか!!そんなことより早く逃げないと全滅するぞ!」
そう彼が叫んだその時だった。
洞窟の奥の方から洞窟が揺れるほどの地響きとともに巨大な魔獣―――ベヒーモスがその姿を現したのだ。その恐ろしさは今まで彰が出会った魔物達の比ではない。
「ウォオオオオオオ!!―――――」
ベヒーモスはその恐ろしい雄たけびを上げ、辺りに破壊をまき散らしながら彰達の方へと迫ってくる。
誰もが恐れ、逃げようとする中、彰はノエル達が逃げる時間を稼ごうと決意したところで、微かに『仕方ないかな?』という声が響く。
何故かその声はひどく悲しそうで、しかしひどく優しく聞こえた。
―――その直後だった。
「我、求むるのは万物を燃焼し、放たれたその一帯を焦土と化す業火、燃やし尽くせ!!―――地獄の業炎」
薄暗い洞窟の中に凛と響き渡る詠唱。すると、その詠唱に呼応するようにリンの魔力が収束し、やがてこればでとは比べにならない熱量と規模を持った形を持たない業火がその姿を現し、ベヒーモスへと放たれる。
詠唱はリンのものであったのだ。彼女の放った業火はこちらに向かって疾走していたベヒーモスのその巨躯を丸ごと包み込み、その動きを強制的に停止させた。
彼女の放った炎はそれほどの威力を内包していたのだ。
「ウォオオ!!―――グォオオオオオオ!!―――――」
ベヒーモスは恐ろしい雄たけびを上げながらその場で業炎を振り払うかのように暴れる。
しかし、業炎はその程度では振り払えず、むしろますます燃え上がりその巨躯を焼き焦がしていく―――――いつの間にか彰にはベヒーモスの雄たけびがまるで断末魔のように聞こえていた。
やがて業炎はベヒーモスという存在そのものを焼き尽くし、その場にはただ破壊の跡が残るのみだった。
ベヒーモスが倒されたのを確認するとゆっくりとこっちを向くリン。
「リン、お前やっぱすげ―――な……」
ベヒーモスを倒したリンに賞賛を送ろうとして彼女の方へ首を向けた直後、そこで彰は言葉を失ってしまった。リンが羽織っていたローブのフードが外れて、彼女の素顔が露わになっていたのだ。
その容貌はとても美しかった。優しげで丸みを帯びた目、澄んだ海の如く碧い瞳、そしてその整ったそれらを際立たせる綺麗な金髪、ツインテールに結われた髪はとても彼女に似合っていた。
しかし、彰以外の者は全員ある一点のみを凝視している。それは―――彼女の頭の両側から飛び出ている長い耳だった。
誰かがまるで化け物を見るような、何かに怯えるような、そんな声で言った。
「キサマ…エルフだったのか……」
「―――――ッ!!」
その言葉でリンは自分のフードが外れていることに気づき、咄嗟にフードを被ったがもうすでに遅い。その姿はその場にいた大勢のものにしっかりと見られてしまっている。
周りからぽつぽつと『なに、エルフだと……』『なんでエルフがこんなとこに……』という声が上がり始めた。
そして次第に彼女へと侮蔑や恐怖の視線が集中する。その視線を彼女はただ黙って俯いて甘んじて受け入れる。それが当然の反応だとでもいうかのように……。
だが、それは彼女にとっては当然のことで、ある程度の覚悟はしていたことだった。
こうなることは、自分があの強大な魔法を使った時点で分かっていたのだ。例えフードが外れていなかったとしても、気づいたものはいただろう。今までだってこんなことはたくさんあったのだから……。
最初に居た場所は既に絶望の中だった。何とかそこから逃げ出したものの、そこでもエルフの証である長い耳を見られるたびに、多くの人々に怯えられ、遠ざけられる毎日。
それが嫌で素顔を隠して生活し、誰かと関係を築いたところで、自身の本性を知った途端に一人の例外もなく、手のひらを返し、離れていく。
今回だってそうなのだ。使えばばれると、またどこかに移動しなければならないのだと、頭ではわかっていたのだ。
しかし、身体はいうことを聞かず、気がつけば詠唱を始めてしまっていた。結局は自業自得なのだ。
だから、ここは大人しく罵りを受けよう。罵声を浴びせられよう。だって全ては自分が招いた出来事なのだから。
大丈夫、こんなものはすぐに終わる。どうせそのうち怯えるようにして皆逃げて行くのだ。
だから……今は少しだけ……耐えなくちゃ……。
そうして彼女は心の中で、密かに泣いていた。自身の正体がばれればどういった扱いを受けるかを全てわかっていて、それでなお、他人を見捨てることができなかった彼女は俯き、叫びたい気持ちを抑え、一人―――心の中で泣き叫んでいた。
この状況はリンとしては納得していた状況だ。当然だ。彼女はこうなる可能性があるとわかった上で行動したのだから……。
―――だが、それに納得できないものもいた。
「……お前らふざけるのも大概にしやがれ」
「……あなたたち、おかしい…今回はリン…なにも悪くない」
「……え…?」
彰とノエルである。二人はリンと他の者達との間を遮るように立ちはだかった。
それを見てリンは驚愕に目を見開く。
目の前の光景と、こんなことはあり得ないという自分の思いがぶつかり、彼女の思考は止まっていた。
そうだ、そんなことがあり得る筈はないのだ。
この都市の人間にとって、エルフは恐怖の対象か、ただの商品でしかない。
だから、自分を庇う人間なんているはずがないし、増してや自分のために怒るなどもってのほかだ。
そう、そのはずなのだ。
だけど……それでも彼らは、そんな自分と、呆然とする一同をよそに、言葉を続けていた。
「こいつは……リンはお前らを助けたんだぞ!!
お前らを死なせないために、多大な魔力を使ってまでお前らを守ったんだ!!
なのになんでリンはこんな目に合わなきゃならない!?
何故誰も感謝の言葉を述べない!?
何故誰もねぎらいの言葉をかけない!?
少しはおかしいと、そう思わないのか!?
「……くっ、だが、そいつはエルフで……」
「だからどうした!!
エルフなら蔑まれて当然か?
お礼を言わなくて当然か?
感謝の言葉は言わなくて当然か?
……ふざけるのも大概にしろよ。お前らは命の恩人を化け物呼ばわりしているんだぞ!?
俺からしてみれば、お前らの方がよっぽど化け物に見えるくらいだ!!」
彰は叫ぶ。思いの丈を言葉にし、その場にいる全員のものにぶつける。
彼の言葉は正しい。しかし、この世界のこの地域においては、それは異端とされる考え方だった。当然その考え方は彼らには受け入れられない。
それでも二人はリンを庇い続ける。そんな二人を前に、リンはためらいがちに告げた。
「キミ達、なんで…ボクは…キミらにあんな酷いことを言ってたのに……」
「まぁ、確かに役立たずとか散々言われてちょっとイラッと来たけどさ…それとこれとは全然別の話だろ?今回は確実にリンはなんも悪くない」
「……ん…さっきの魔法…悔しいけど…かっこよかった」
二人はリンの方を向いてはっきりと告げた。そこに嘘偽りは一切感じられない。当然だ。二人にはそれをする理由が無い。
だが、その答えをすぐには受け入れることができず、戸惑いながらリンは恐る恐る質問を重ねる。
「でも…ボクはあのエルフなんだよ?…怖くないの?」
「エルフだからどうした?俺はそんなことは気にしないし―――正直どうでもいい」
「え?…どうでも…いいって…」
そんなはずはない。そんなことを言う人にリンは未だかつて出会ったことが無い。だが、そんなリンにノエルは優しく告げた。
「……アキラ…こういう人…私の時も…そうだった」
「私の時って…そう言えばキミ、ギルドカードに書いてあったからその人の奴隷だと思ってたけどよく見たら首輪がない…?」
そう、それは最初から疑問ではあった。この地域では基本、獣人は奴隷とならねばまともな生活すらできない。しかし、獣人であるはずの彼女の首には首輪は無い。これは一体どういうことか?
すると、ノエルは自分の首を指さして言った。
「……首輪は、アキラがとってくれた…アキラ…優しい…偏見…持ってない」
「なっ―――そんな……首輪を外すなんて一体どうやって……あり得ない…そんなことできるはずないよ!!」
「そう言われてもな……出来たもんはできたんだからしょうがないだろ?」
「そんなこと…あるはずが……」
そこで彰はもう一度他の者達の方を向いた。彼らはあれほど言われても自分たちの行動を改めるつもりはないらしい。
むしろ敵視するかのような険しい視線で彰達を見つめていた。
「キサマら…エルフの味方をするのか?」
「エルフの味方も何もない!! 命救ってもらってその態度はおかしいって言ってんだ! どうしてそれがわからない!!」
「おかしいわけがあるか!相手はあのエルフだぞ?その強力な魔法と魔力、何するかわかったもんじゃない」
一人がそう言うと何人かがそれに同調し『そうだ、そうだ!』という声がいくつか上がる。
「お前らマジでいい加減に―――――」
彰が彼らにそう叫ぼうとしたその時だった。
―――ドスンッ…ドスンッ
という何かの足音のようなものが洞窟の奥から聞こえて来た。その音は少しずつ大きくなってくる。
「何だこの音は?…まるで何かがこっちに近づいてくるかのような…」
誰かがそうつぶやき、全員が洞窟の奥に注目する。
やがて…その音の正体が姿を現した。
それは巨人だった。全身に漆黒を纏った巨人、その全身はさっきのべヒーモスよりも巨大だ。
また、その目は赤く血走ったかのように赤く、その双眸は闇の中で不気味に赤く光っていた。
「まさか…ティターン…だと…そうか、だからべヒーモスがこんなところに…」
そう、本来最深部にいるはずのべヒーモスがこんな場所にいたのは元居た場所から追い出された挙句、ここまで追い込まれたからだったのである。
そして、彰達をティターンが視界にとらえたその瞬間、奴の目がギョロッと彰達の方を向いたかと思うと彰達の方へとその巨体からは考えられないスピードで向かってきた。
―――――そう、悪夢はまだ終わっていなかったのだ。




