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向日葵―命の花―  作者: 藍川 透
入院4日目
47/47

残った違和感

『お前ほど気が合うやつはじめてだわ』

 お前が俺を見てそう言ったのが、3年前。毎日2人でつるんでは馬鹿なことばっかりして。不安なんて何もないくらい楽しくて、毎日笑ってたっけ。


『お前さ、なんかちょっと変わったよな』

 一番の友達だったはずが、中二になる頃にはあまり目を合わせてくれなくなって、次第につるむこともなくなっていった。


『いい加減にしろよてめぇ……!』

 ほどなくして部活で嫌がらせを受けるようになり、お前が首謀者だと知った俺は、お前を床に突き倒してそう怒鳴った。

 ショックだった。会話すら激減していたとは言え、かつて親友と呼べるほどまでに仲が良かったこいつが、俺いじめの中心だったなんて。

 後輩に止められなければ殴り倒していただろうと思うくらいに怒りを感じたし、怒っていなければ涙になって気持ちが溢れだしそうだった。


 それから中学を卒業するまで、部長と副部長としての事務的な会話以外に言葉を交わすことはなかった。



「えーっと、山崎 了です。部活はバスケ部入ろうと思ってます。よろしくお願いしまーす」

 高校に入学して、最初の自己紹介。耳を疑った。

 なんでこいつがここにいる?

 この声、聞き間違えるはずもない。間違いない。……でも、苗字が違う。

 みんな、自己紹介をしている人の方を向いているから、ここで振り返っても不自然ではないだろうーーそう思って、できるだけ自然に確認した。

 やはり、あいつだった。


 司野宮 了が、そこにいた。



「おーい、叶! 戻ってきてー!」

 ドライヤーの音に紛れて、俺を呼ぶ声が耳元で響く。その声で、意識を昔に飛ばしていた俺は我に返った。見上げると山崎、もとい司野宮が怪訝そうな顔で俺を見ていた。


「なんだよ」


 髪を乾かしたいとうるさく訴えてきたので絶対に嫌だと断固拒否したが、勝手に洗面所に侵入してドライヤーを探し出してきやがった。

 そして、嫌がる俺を無理やり椅子に座らせ、いいからいいからと後ろに立って勝手に髪を乾かし始めたのだ。人の家で、どこまでも自分勝手なやつだ。


「何回も呼んだのに……」


「はいはい、悪かったよ。で? なんの話だったっけ?」


「俺さ~美容師目指してんだよね」


 なんだか慣れた手つきで俺の髪を乾かしていく。

 初めて聞く話だった。前は教師とか言ってなかったか? でも、3年弱もあれば夢も変わるか。


「へぇ」

 どんなのが上手な乾かし方なのかなんて知らないが、なんとなく上手だと感じていた。なんというか、気持ちいい。力加減とか、たまに髪を潜っていく指の感触とか。

「妹の髪で乾かす練習させてもらってる。あと、アレンジとか」

 練習してるのか、なんて口に出して言わなかったのに、考えていたことにしっかり返事が返ってきた。

「ふーん」

 思ったよりも普通に会話ができてしまっていることに驚いて、少し動揺している。変なことを口走りそうだから、適当に短く相槌を打った。


「髪、ちょっとキシキシしてる……もったいない」

 毛束を取って触っていると思ったら、そんなことを確かめていたのか。

「何ももったいないことねぇだろ」

 男が髪の毛サラサラでも何があるわけじゃなし。女の子は髪質とか気にするんだろうけど。

「いや、元は細くてまっすぐな髪質っぽいのに、傷んじゃってるから。それでもサラサラだけど。もっとちゃんとすればいいのにさ」

 本当にもったいなさそうに、少し傷んでいるらしい俺の髪を何度も指で梳く。人に頭を触られるのは苦手だったが、今はそんなに悪くないと思えた。なんだか穏やかな気持ちになる。

「はいはい、」

 また適当な相槌を打ったが、自分でも驚くくらいに棘のない声が出た。まるで、昔に戻ったみたいだ。こいつが俺をいじめる宣言をしていなければ。

 俺は基本的にあまり喋らずに、こいつが色んなことを面白おかしく話すのを聞いていることが多かった。そして、それがとても楽しかったのだ。

 今のこの状況は、昔とほぼまるっきり同じだった。


「中学の時みたいだね」

 また、同じことを考えていた。さっきから、なんでもバレてるみたいなのが気に食わない。でも、考えていることがわかってしまうくらいに仲がよかった頃が本当にあったという証明のようで、少しだけ……嬉しくないと言ったら嘘になる。……が。


 思い切って山崎を振り仰ぎ、しっかり目を合わせる。何か見えやしないかと、その目の奥を覗き込むように。

 山崎は身じろぎ、少しの間固まって、それから思い出したようにドライヤーのスイッチを切った。雑音が消えた部屋は奇妙に静まり返って、張り詰めたような緊張感に満たされていた。

「何、そんなに見つめてー」

 また、おどけたような顔で目を逸らそうとする。

「こっち見ろ」

 顔を背けて、目を逸らして。人のことをこれだけ翻弄しといて、自分だけ上手くかわそうなんてそうはさせねぇ。

 そんな思いで、山崎の両頬に手を添えて俺の方を向かせる。……添えるというか、挟み込んでいると表現したほうがいいかもしれない。そのくらい力を入れて固定している。その状態で少しこっちに引いた為、立っている山崎は腰を屈める羽目になり、少し変な体勢だが気にしてやらない。


「えー……」


 困った声を出しても無駄だ。いくつか聞きたいことがある。それに答えるまでは離すつもりはない。

 こっちだって、好き好んで男の頬に手を添えているわけじゃない。でも、こうでもしなければこいつはのらりくらりと逃げてしまう。捕まえていなければ、いつまでも上手くかわされるだけだ。

 この際全部聞いてしまいたい。こいつの考えがわからないのだ。わかりたいのにわからないなら、もう本人に聞くしかない。

 もういい加減嫌だった。こいつのわけのわからない行動に振り回されるのも、それに怯えて醜態をさらす自分も。

 答え合わせのできない問題をぐるぐる考え続けるなんて、そもそも向いていないし、らしくもないのだ。

 問題の答えが目の前にいる今、そろそろ答え合わせと行きたいところだった。もう充分考えただろう。


「何考えてやがる」


 気になっていた全てを乗せた問いだった。


「……えーっと? それはどういう意味?」

 こいつもなかなかに動揺しているのか、声はしっかりしているが目が泳ぎまくっている。

「質問に質問で返すな馬鹿。そのままの意味だよ、お前は何を考えて俺をいじめようと思ったのか……それなのに、なんで今日ここに来たのか。まだ聞きたいことはあるが、まずはこの二つだ」

 いつまでもこいつの頭の中だけで話が進むのは悔しい。


「……」

 返事はなく、ただ瞬きを繰り返すだけ。

「なんか理由があったんだろ? まさか気分でとか言わないよな」

 気分でこんな目に合わされていたんだとしたら一発殴る程度じゃとても足りない。

 黙ったままの山崎を観察していると、だんだん目が伏せられ、口元はぎゅっと引き結ばれた。なんだかしょんぼりしているように見える。

 なんでお前がしょげてんだよ。落ち込みたいのはこっちだってのに。

 でも、もう逃げることもなさそうだったので両頬を掴んでいた両手は離すことにした。


「……なんでかな」

 ずっと黙っていて考えた挙句の答えなんだろうが、それにしてはあんまりにお粗末な返事だと思った。

「叶のことは嫌いじゃなかった……いや、むしろ一番好きな友達だった。なのに、なんでだろ」

 伏し目がちに話す山崎の声は、過去を手繰りながら話しているような調子だった。

「好きなのに、叶を見てるとイライラすることが増えて……」


「俺なんかしたか……? お前をイラつかせるようなこと」

 黙って聞こうと思っていたが無理だった。


「叶は多分わかんないよね……人気者の隣で、見られてるようで誰の目にも写ってない、写ってても添え物程度にしか思われてない人間の気持ちなんてさ」

 ーー 叶みたいにいつも周りに人がいて、注目の的で、光が当たるような人には。


 山崎はすぐにそう付け加えたが、はっきり言ってまったく意味がわからなかった。


「すぐにたくさん友達ができて、そしたら俺のことはほったらかしになって……一番の親友だっていいながら全然……。それでイライラして……こっち向いて欲しかったのかな」


 そんなことで。

 そんな理由で、俺はいじめられてたのか。

 軽く目眩を起こしそうだ。


「なんだそれ……」

 あまりのことに目を右手で覆う。声が掠れて、ちゃんと聞こえるかもわからないような声しかでなかった。


 重すぎる。

 だいたいこいつだって他にも友達がいて、楽しそうにしてたじゃないか。俺が話しかけても、他のやつとの話に夢中で適当な返事だったこともあった。

 自分勝手すぎて、怒る気にもならない。友達って、そんな縛り付けるもんじゃないだろ……。


「あと、これは謝らなくちゃいけないと思ってるんだけど……」


 まだ何か言おうとしているが、全く頭に入ってこない。怒る気にもならないと行ったが、どうやらついていけていなかっただけのようで、遅れてぐらぐらと煮えるような怒りが湧いてきた。


 右から左に拳を振り抜いた。鈍い音と同時に山崎がよろけて床に尻餅をつく。前に立って見下ろすと、左の頬を押さえながら俺を見上げた。


「あ……」

 意味をなさない声を出しては、その先が思いつかないのか、すぐに口を閉ざす。

 気に入らないのは、その目だった。座り込んで立ち上がろうともしないまま、呆然と俺を見つめている。

 なんでそんな怯えたみたいな、哀しそうな目で俺を見てるんだ。今にも泣き出しそうに涙なんか浮かべて。

 泣きたいのは俺のほうだ。ただの変な独占欲でいじめられてたってわかった俺の気持ちを考えてもみてほしい。

 あほらしさと遣る瀬無さと、その他にも色々な気持ちがない混ぜになってこっちこそ泣きたいのだ。


「あの……ね、」

 話すのを諦めたようにしばらく黙っていた山崎が、おずおずとまた口を開いていた何も聞きたくなかった。


「帰れよ」

 そう言い放ってちらりと様子を伺えば、はっと目を見張ってまた泣きそうに目を潤ませている。

 

 やめろ。そんな目で俺を見るな。

 謝らねぇぞ。殴ったことも、お前の言い方を借りるなら、お前をほったらかしにしたことも。

 なんで、俺が悪いって言いたげな目をしてるんだ。

 いじめたのはお前だろ? 謝られることはあれど、こっちが謝るなんてことはないはずだろ。おかしいだろ?


 なんで、と小さく呟いた山崎には気付かないふりで、内心の動揺は隠して、能面みたいに無表情な声で繰り返した。

「帰れ」

 

 それでも、根っこでも生えたのかと疑うくらいに立ち上がる様子も帰ろうとする様子もない。


 痺れを切らす、という表現がまさにぴったりだと思った。

 未だに座り込んでいる山崎の手首を掴んで引っ張り起こし、机に広げていた教科書やらワークやらをまとめてバッグに突っ込んで押し付ける。

 そこまでしてやっと、山崎はよろよろと動き出し、玄関へと向かった。

 ようやく絞り出したみたいな声で、

「……お邪魔しました……」

 とだけ言って、外へと出ていった。


 早く帰らせることに成功したし、きっと二度と来ないだろう。それは本来なら満足感に包まれてもいいはずの状況だ。

 昔も、そしてこれからもいじめてくるやつに、あんな顔をさせて、いい仕返しができたと。一発ぶん殴ってまでやった。

 それなのに、締まるドアの音がやけに大きく聞こえるし、喉のあたりに気持ちの悪い、詰まったような感覚があるしで、何もいい気はしなかった。


「なんだよっ」


 腹いせに壁を蹴飛ばしてみたが、ただ足に鈍い痛みが来ただけで、ちっとも気分は晴れない。

 

 なんでこうなった……?

 自問してみるも、答えは出ない。

 

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