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向日葵―命の花―  作者: 藍川 透
入院4日目
44/47

小さい身体、意外な言葉。

大変長らくお待たせしました。ようやく更新できました…!

 時間も遅いので、先輩と少し話しをしてすぐに病院を出て、すぐ近くのバス停まで移動した。次のバスは、運良く10分後にくるようだ。

 隣にいた笹原が言う。


「はるちゃんのお姉さん、なんともなくて良かったですね〜」


「……うん」


「先輩は、はるちゃんのお姉さんのこと、すごく大切に思ってるんですね」


「そうだな。大切、だよ」


 本当は、大切なんて言葉じゃ足りない。

 あの人がいなくなるなんて、想像もしたくない。あの人が俺を気にかけてくれていなかったら、俺は本当に潰れていたかもしれないんだ。一番辛いときに気づいて支えてくれたのは、先輩だった。


「先輩が泣いてるところなんて、初めて見ました」


「忘れろ」


 実を言うと、有阪や笹原がいることを意識する余裕がなかった。我に返ったのは涙が止まってからだった。

 俺が泣いていたことを忘れさせるか、誰にも言わない約束をさせようと考え始めたとき、笹原の口から意外な言葉が発せられた。


「泣くことは、恥ずかしいことなんかじゃないですよ」


 初めて言われることだった。

 男は簡単に泣くもんじゃないと教えられて育ったし、実際、すぐ泣くやつは舐められて、何かとちょっかいを出されていた。ちょっかいを出されている人に対して、泣くなと思ったことはないし、別に咎めるつもりもないけど、俺は泣かないでおこうと思っていた。

 泣くことにはすごい理由がないとダメで、すぐに涙を流すことは良くないことだと思っていた。


「なんで……?」


 純粋に疑問だと感じた。


「笑うのも、泣くのも、怒るのも、心がある証拠だからです。涙は、心があるから流れるものなんです。だから私は、涙を流すことができる人を嘲笑ったりなんかしません」


 笹原が言うことも、間違っているとは思わない。そういう考え方もあるだろう。しかし、


「……俺は涙なんか滅多に流すもんじゃないと思ってるけどな。今回は事態が事態だっただけで」


 だからと言って、辛いことがある度に泣いていてはきりが無い。


「そうですね。そのほうが先輩らしいですけど、でも……無理しすぎないでくださいね。しんどくなったら、私にでも話してください」


 真面目な顔で笹原が言う。その表情がなんだか似合わなくて、思わず笑ってしまった。


「はははっ、なんだよ真面目な顔して」


「なんで笑うんですかっ! 心配してるんですよ?」


 むくれる笹原。


「お前はへらへら笑ってるくらいが丁度いいだろ」


「なんですかそれ〜! 馬鹿にしてませんか!?」


 むきー! とでも言い出しそうに、笹原が怒る。


「大丈夫だって。心配いらねえよ」


 口に出せば本当に大丈夫なような気がするのは不思議だ。

 くしゃっと笹原の頭を撫でる。


「けどまあ、ありがとな。無理はしないようにするから」


 笹原はいつも、何かと笑わせてくれる。いっしょに笑った後は気持ちが軽くなるのだ。

 そういうところに感謝していることは伝えておきたかったから、お礼を言った。……改まっていうのは照れくさくて、顔を見ることはできなかったが。


「はいっ!」


 笹原の顔がぱぁっと輝いた。

 ……やっぱりこいつは笑ってるほうがいいな。


 そうこうしているうちにバスがやって来たので、乗り込む。

 2人掛けの席に並んで座った。


「そういえばお前、門限過ぎてるって……。家に連絡したのか?」


「あっ! すっかり忘れてました……」


 案の定の答えが帰ってきた。というか、俺に付いてきてくれて、連絡する時間なんかなかったんだよな……。


「悪いことしたな。既に門限破ってるところに、余計に時間取らせて……」


「あんな状態の先輩置いて、自分だけ帰るなんてできるわけないじゃないですか」


 笹原は笑って、私は大丈夫ですよ〜! と言ってくれたが、まさか、はいそうですかと一人で帰らせるわけにもいかない。もともと送るつもりだったが、そこに事情の説明と謝罪も加えよう。


「予定通り送っていくわ。説明も俺がする。お前が怒られないように、ちゃんと話す」


「いえ、でも……」


 表情を曇らせて、申し訳ないからと頑なに断ってくる。しかし、拒否する理由が遠慮だけであるにしては、断り方が少々強過ぎるようにも感じる。


「なに遠慮してんだよ。雨足も弱まってないし、暗いから危ないだろ。それに、俺が門限破らせたんだから謝らないと……」


「……」


 笹原は黙ってしまったが、その表情は何か言いたそうにも見えた。


「どうしたよ」


「あの、先輩……」


 何かを決意したかのように、笹原が顔を上げる。


「ん?」


「うちの母は厳しすぎるんです。……先輩が説明しても聞く耳を持たずに、先輩のこと叱りつけると思うんです」


 笹原は気を遣っているのか、早口に言い切った。


「そうか」


「母と話したら先輩が嫌な思いをするんじゃないかって……全然優しくないから、大目にみるとか、そういうことも一切ないですし」


 ……本当にそうか?

 笹原のお母さんと話をしたが、厳しいところはあっても、本当は優しい人だとわかるのに時間はかからなかった。理解のある人だ。特に話をしていて嫌な思いをしたこともない。

 厳しいだけで優しさがない人なら、わざわざ俺に声をかけて、娘のことを頼んできたりするだろうか。叱るのはきっと……。 


「それはお前のことを心配してるからだ。本当に優しくなかったら、叱ることすらしてこないんじゃないか?」


 愛娘を、ちゃんとした大人に育てたいと思うのは普通のことだ。

 試合の時に会った際、笹原のお母さんから声を掛けられたことがあった。


『あなたが琥珀くんね? あなたのことはよく真琴から聞いてるわ。いつも真琴がお世話になってるみたいで……。あの子、ぼーっとしたところがあるから、心配なのよ。これからも、たまに気にかけてやってもらえると嬉しいんだけど……』

 

 なんて、頼まれたっけ。

 厳しい言い方だって、愛故になんだろう。だって、笹原を見ていれば、たっぷりと愛情を注がれて育ったとすぐにわかる。俺なんかはちょっと羨ましいくらいに。


「でも、先輩が怒られるのは……」


「大丈夫だ。俺に気ぃ遣わなくていいから」


 

「……」


 何を思ったのか、笹原は黙って窓の外と俺の顔を見比べる。

 なんだ? なんでそんなに無表情を作ったみたいな顔を……。

 こっちを向いたかと思うと、すぐに顔を背けた。しかし、見えてしまった。笹原の右目に光ったものを。


「……っ」


 口を引き結んで、こらえている。喉が震えているのがわかる。笹原は泣いていた。さっきの妙な表情は、必死に泣くのを堪えていたのだろう。

 少し迷って、手を伸ばした。1回空中で止まりかけたその手を、勇気を振り絞って笹原の頭の上までたどり着かせた。ゆっくり、撫でる。すると小さい肩が揺れて、その目からは、ぶわぁっと涙が溢れ出してしまった。


「なんでお前まで泣くんだよ……なぁ、泣くなって」


 参った。目の前で、しかも急に泣き出されてしまってはどうしたらいいのかわからない。頭を撫でたり背中をさすったりしてみるものの、泣き止む気配はない。

 俺もうろたえてしまい、しょうもない慰めの言葉しか思いつかない。

 ひっく、ひっく……と、しゃくりあげる声といっしょに、笹原の身体が上下する。


「俺のせいだな、ごめんな……」


 頭を撫でるよりも背中をさすったほうが、嗚咽がましになって息がしやすそうなのに気づいたので、言いながら背中をさする。

 首を横に振って、次々と溢れる涙をごしごしと拭う後輩。

 その拭い方はあまりに乱暴で、痛そうだった。


「馬鹿、目腫れるぞ……」


 早く涙を止めたいのか、無理やりせき止めるように目元を押さえているその手を掴んだ。

 笹原の手を掴んだ右手はそのままに、左手を笹原の頬に添える。


「あー。赤くなってんな……」


 こすったせいで腫れてしまっている下瞼を、軽く撫でる。これじゃあ明日はもっと腫れ上がってしまうかもしれない。


「えっ、ちょ……」


 左手を頬から後頭部に滑らせ、少し力を込めてこちら側に引き寄せる。笹原の頭は丁度、俺の胸辺りにすっぽりと収まった。掴んでいた右手を離して両腕で、ぎゅうっとその小さい身体を抱きしめた。



 

 

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