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向日葵―命の花―  作者: 藍川 透
入院4日目
39/47

女の子。

 まだ笹原はいなかった。俺はすぐに出てきたけど、女の子の準備には時間が掛かるという。男のようにぱぱっととは行かないのだろう。

 携帯を置いてきたので、暇潰しをするものがない。しかたがないので、ぼーっとコンビニの前で突っ立っていることにした。コンビニの中を見ると、レジに立っている店員の女の人と目があった。今は客がいないようだ。店に入ろうとせず、一人で立っている俺に、怪訝そうな顔を向けていた。適当な笑顔で会釈をしておく。


「はぁ……」


 早く来すぎたのは明らかだった。とにかく一刻も早く家から離れたくて、走ってきたのが間違いだったのだ。メールが届くのが怖かった。


「はあぁ……」


 溜め息ばかりが口から漏れる。こころなしか、胃まで痛くなってきた気がする。

 ってか、俺どんだけメンタル弱いんだよ。自分だけど呆れてきた。

 

「かのーせんぱーい!!」


 俺が自分に対して顔をしかめていると、元気な声と共に走りよってくるあいつが見えてきた。


「おう!」


 俺が右手を上げて答える間に、俺のすぐ近くに走りよってくる。


「お待たせしました……っ」


「いや、俺もさっき来たとこ」


「あ、そうなんですか?」


「うん。……さっきの声の張り方は73点な」


 本やドラマなんかでよく見るようなやりとりを自分がやっているという事実が、無性に恥ずかしくなって、そんな言葉を付け足した。


「おぉ。成長しましたね、私も」


 清々しい笑顔で笹原は言う。……たしか初めは3点だったっけか。


「……だな」


 俺もつられて薄く笑みを浮かべた。


「遠くからでも髪がきらきらしてましたよー。相変わらず綺麗な……」


 背伸びをして俺の髪を触る。


「やめろ」


 なんでこいつは、こんなに俺の髪が好きなんだろうな。


「えぇー。いいじゃないですか……さらさらでうらやましいです」


「半分やろうか?」


「え! ほんとですか!? やったー……って、できるわけないじゃないですか」


 本気で喜んだと思ったら、真顔に戻る。


「つっこみは2点な」


「き、厳しっ!」


 笹原が身動ぐ。顔は驚きの表情を浮かべている。


「っ……」


 笹原のころころ変わる表情に、小さく吹き出すと、


「もう……! 笑わないでくださいっ!」


 と、膨れられた。


「悪い悪い、じゃあ行くか」


 付いて来いよ、と手招きしてから歩き出す。笹原はパタパタと小走りで追い付いてきた。


「先輩の家に行くのは初めてですね」


 並んで歩き出すと、笹原が話しかけてきた。


「ん、そうだな。ま……あ、笹原は初めてか」


 別の呼び方をしようとして、やめた。笹原が嫌がっていたのを思い出したからだ。

 正確にいえば、部活のメンバーが遊びにきたことがあったのは叔母様の家だったから、部活関係のやつを今の部屋に入れるのは笹原が初めてだ。


「ケーキ、楽しみです!」


 わくわくした様子で言い、少し先を歩き出したかと思うと、くるりと振り返って笑顔を見せた。夏らしい白に涼しげな模様のワンピースがふわりと浮かび上がり、弧を描く。


「ケーキってそんなにうまいか? 俺にとってはただの甘すぎる塊だけどなぁ」


 この間、笹原に口に突っ込まれたケーキの味を思い出して言った。甘ったるくて、妙にしつこい。飲み込んだあとも口の中に残る感じは苦手だ。


「この気持ちは甘党にしかわかりませんよー」


 悪戯っぽく笑って、また俺の横に並んだ。


「……ふん」


 なら、俺にはケーキの良さはわからないって訳だな。

 息を吐き出した。空を見上げると、真っ青な中に入道雲が浮かんでいる。まさに夏。暑苦しい蝉の声も、汗ばむ体も許せるくらいに気持ちが良い天気だ。


「先輩んちってどんな感じなんですかね?」


「普通だよ、普通。普通のマンション」


「マンション? 一人でですか……?」


 不思議そうに、瞳を少し大きく開いて見つめられた。


「親に放り出されたからな」


 もう、このことは割りきっていた。なんでもないことだと思えるくらいには。


「……え?」


 しまった、という色が笹原の顔に広がる。それもすぐに慌てた表情に変わる。


「気にしなくていいよ。別に俺自身そんなに辛いとも思ってないから」


 謝られる前に否定した。複雑な家庭の事情に触れてしまった、と言いたげな雰囲気は嫌いだからだ。


「……あ、そうですか? だったら……」


 小さく頷いて、何かに納得したのだろうか、笹原はそれ以上触れようとはしてこなかった。

 

 それからは、他愛もない話をしながら歩いた。

 例えば部活の話、例えば俺も担任を持ってもらったことがある先生の話、例えば飼っている犬の話。面白おかしく話す笹原に、俺は何度も吹き出した。そして、そろそろ腹が痛くなってきた頃、俺が住んでいるマンションの前に着いた。


「ここだ」


 俺の部屋の辺りを指差すと、笹原はマンションを見上げて言った。


「わぁ……すごいマンションですねぇ。先輩の部屋はあの辺ですか?」


 俺が指差した辺りを見ている。


「そう、1202号室」


「へぇー。上の方なんですね」


「まぁな。それより、もう入ろうぜ。暑い」


 俺は半袖のシャツに七分丈の薄いパーカーを羽織っている。腕はほとんど覆われているが、露出している首や手首の辺りは容赦なく焼かれていて、まるで自分がトースターの中にいるような気がしてくる。じりじりと焦がされているかのような錯覚に襲われるのだ。

 日焼けは特に気にならない。問題はそこではなく、そろそろこの灼熱地獄に耐えきれなくなりそうなところにあった。

 笹原の先に立って、マンションの自動ドアをくぐる。笹原もついてきて、オートロックを解除する俺の後ろで待っている。

 決まった番号を入力すると、内側の自動ドアが開いた。ドアを入ると、クーラーの効いたロビーのひんやりした空気が俺たちを包んだ。汗が引いていくのが分かる。


「わあ、内装も綺麗ですねー! ステンドグラスなんておしゃれです!」


 笹原は、中の様子を見てはしゃいでいる。特に窓にあしらわれたステンドグラスに反応しているようだ。なんとなく、以前姉貴が言っていた、『女の子は、可愛いものや綺麗なものが大好きなのよ』と言う言葉を思い出した。


「そんなに良いか? ここ……」


 口の中だけで呟いた。

 正直、この内装はあまり俺の好みではないのだ。いつのまにかここに住む手はずが整えられていたので、父親の言うままに移り住んだだけのことだ。

 もし自分で選べていたら、こんな結婚式場かなにかのような、きらびやかなマンションにはしなかった。アパートで充分だ。


「いいなぁ。私も一人暮らしするようになったら、こんなマンションに住みたいなぁ」


 独り言なのか、敬語ではない。友達と話すときはこんな感じなのだろう。

 実は何度か敬語はいらないと言ってみたのだが、聞き入れてもらえなかった。

 敬語だとそれだけで相手が遠く感じたりするものだ。一つとは言え歳上だ、と言われてしまえばそこまでだが、これだけ仲良くなったのだから、そろそろ敬語をやめてくれても良いのではないかと思う。


「ま――じゃなくて、笹原! そろそろ、上行こうぜ」


 二人しかいないからだろうか、今日はついつい昔の呼び方が口をつく。

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