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向日葵―命の花―  作者: 藍川 透
入院3日目
33/47

家族の話と違和感。

 

 95点のテストがあったとする。

 そのテストを見たときに、正解した95点を誉めるより間違えた5点を責めるのが俺の母親だった。




 もっと頑張りなさい。

 はい、お母様。


 こんなのじゃダメ。

 ごめんなさい。


 もっともっと。

 はい。


 もっと頑張らないとダメ。

 はい。


 こんなのじゃダメなの、琥珀。

 はい。


 あなたはもっとできる子でしょう? 

 はい。


 良い高校に行って、良い大学に行って、この家を――この会社を継ぐのよ。

 …………はい。


 どうして出来ないの?

 ごめんなさい。


 もっと頑張れる子だと思っていたのに。

 ごめんなさい。


 こんなことも出来ないなんて。

 ごめんなさい。


 期待はずれだわ。

 ごめんなさい。


 満点なんて当たり前でしょう?

 ごめんなさい。


 どうしてあなたはいつも……。

 ごめんなさい。



 

 家では、いつも母の望む答えを返すことしか許されなかった。


 これでは人形と大差ない、と苦笑してみる。

 しかし人形には心がないのだから、俺が人形ならば苦しまずに済んだのだろう。

 俺に心がなければ、傷つかずに済んだのだろう。

 だったら、(むし)ろ人形だったら良かったのに。

 本当に人形だったら良かったのに。


 ――何度そう思ったか知れない。





 母は、俺の頑張りに欠片も興味を示さなかった。

 

 バイオリンのコンテストで優勝しても。

 ピアノのコンテストで優勝しても。

 作文のコンクールで金賞を取っても。

 成績がオール5でも。

 母が習わせた何を頑張っても、何で一番になっても、


『当たり前』


 その一言で片付けられる。

 三つ上の姉が同じことをすれば抱き締めて、好きなものを買い与えて、その日の晩餐(ばんさん)はとても豪華なメニューになった。


 二つ下の妹は、何もしなくても可愛がられていた。


 誰の目から見ても、俺は母親に気に入られていない。大切にされていない。

 そりゃ金は掛かっていたかも知れないが、愛情を注がれて育ってはいなかった。


 姉貴が(うらや)ましくて、悔しくて。

 俺にもそれくらいできる。もっと凄いことだって沢山できるのに。

 


 そして、不満はやがて自分を責める気持ちへと変わっていった。 



 

 そうか、俺が悪いんだな。


 俺が、悪いんだな。


 そうか、そうだな。


 そうに決まっている。


 俺が悪い以外に理由がないじゃないか。


 同じことをして姉貴が誉めてもらえるのが証拠だ。




 じゃあ、もっと頑張れば――いや、無駄か。ゴミがいくら頑張っても、精々少しましなゴミになるくらいだ。




 オレッテ、ナンデイキテルンダッケ。


 アレ、ホントウニイキテルンダッケ。


 シンデルンダッタキガスル。


 アァ、シンデルンダナ。ソウダッタソウダッタ。オモイダシタ。





 ――生きてたことなんて、今まで一度もねぇや。





 ずっとお母様の人形で。


 生きてたんじゃなくて、生かされてた(・・・・・・)





 多分、そのときの俺の心は殆んど死んでいたのだと思う。

 なにか、おかしくなっていた。

 見たものと感情が結び付かない。

 きっと、そのときは目の前で突然人が死んだとしても『死んだ』という事実しか認識せず、怖いとか悲しいとかという気持ちには繋がらなかっただろう。


 

 勉強にも身が入らなくなり、今までで一番酷い点数を取った。

 確か……80点。中一の三学期期末の社会だった。


『これは……どういうことなの?』


『…………』


『どういうことなの!!』


『ごめん、なさい……』


 やっとのことで、母の望む答えを引っ張り出す。


『だから部活動は反対だったの!! 帰りも遅いし、勉強時間も減るじゃない……。彼方(かなた)さんが言うから仕方なく許しただけ。私はあれほどダメだと言ったのに!!』


 叫ぶように言う母。

 俺の右頬から、風船が破裂したような凄い音がした。頬を引っ叩かれたのだとわかるのに、数秒かかったと思う。

 バスケ部に入るのは、親父(おやじ)が母を説得してくれたから認められたことだった。


『もういいわ。あなたに期待した私が馬鹿だったのね。…………あなたなんて――』 








 ウマレテコナケレバヨカッタノニ。


 ドウシテウンデシマッタノカシラ。








 だってよ。





 心が、壊れた。粉々に砕け散った。









『あ、そう。じゃあ俺、死ぬから。さよなら』








 どこで死のう? 真面目に考えながら部屋を出ようとする。が、腕を掴まれて動けない。

 誰? あ、母だ。


『ま、待って……死ぬなんて、冗談よねぇ……?』


 ……出た。

 一転して『焦った表情』の母。


『本気ですけど?』


 母に対しては敬語。我が家の決まりだ、俺だけの。

 やべぇ……さっき忘れてた。また怒られるかもな。 


『やめて、はー君。そんなことしたらダメ……はー君がいなくなったらママ……』


 はー君、懐かしいな。幼稚園くらいまではそんな呼ばれ方してたっけ。

 あの頃はまだママとか呼んだりしてたな。母も優しかったし。一番良い時代だった気がする。


『どうしてそんなことしようとするの……? お友だちに意地悪されているの? ママがなんとかしてあげる。だから、はー君……いなくなったりしないで……!!』


 すがり付かれた。

 あぁ、そうですか。自分が作り上げた完璧な『作品』が潰れるのは、そんなに嫌ですか。


 それにしても凄い変わりようだな。これが同一人物かよ。




『……俺、もうお母様と一緒に暮らせる気がしません』


 俺は口を開いた。


『え?』


 母が顔を上げる。 


『……俺が幾ら頑張ったって、(あきら)には勝てないんでしょう?』


 晶は俺の姉貴の名前だ。


『そんなことないわ……はー君は、あきちゃんと同じくらい大切よ?』


『嘘。俺だってそのくらいわかります。馬鹿にしないでください……あれだけ差を付けた態度、取っておきながら』


 この後どうなるかとか、こんなこと言っても無駄だとか、普段なら考えることをこのときは考えなかった。


『違うの、はー君。あれはね……はー君に立派な大人になってほしくて――』


『晶にも、そうなってほしいですよね。だったらなんで、ああも態度が違うんですか……別にいいですよ、気を遣ってもらわなくても。はっきりお前が嫌いだからだって言ってくれた方が、俺も楽ですから』


 さあ、早く本音を言ってしまえ。俺を悪者に仕立て上げようとしてるのはわかってんだ。

 俺が反抗しようとしたら使う、いつもの手じゃねぇか。こっちから謝らせて、丸く納めようとしてやがる。

 今までなら、途中で諦めていた。でも、今日は違う。


『はー君、どうしたの……どうしてそんな酷いことばかり言うの……?』


『お母様といることにうんざりしたからです』


 親子でも、本気で気が合わないことはあるらしい。


『………………』


 黙った。


『お母様、俺――』


『もう嫌。あなたとは話していられないわ!!』


 母が再び口を開き、立ち上がる。

 うん、最近流行りの逆ギレか。いや、流行っても困るが。


『この家から出ていきなさい。あなたの顔なんてもう見たくない……お姉様の家で住まわせてもらいなさい』


 母の姉、つまり俺の叔母様だ。かなり強烈な人で、お姉さんと呼ばされている。

 なるほど。あの人なら家もこの近所だし、転校させなくても通わせることが出来るか。

 

『そうですね……ここにいるよりずっと良さそうです』


『お姉様には私から言っておきます。養育費もきちんと渡しておきますからね。だから――もう、この家には顔を出さないで』


『わかりました、明日にでも移ります』



****



「――とまぁ、こんな感じでな」


 叶は溜め息を落とし、それを誤魔化すかのように、ふっと笑った。


「……あとは中学卒業まで叔母様の家でお世話になって、高校入学と同時に一人暮らしに切り替わったってだけの話。生活費は送られてくるから、待遇よく放り出されてるってことだな。」


「そう、なんだ……」


 なんて返したらいいかよくわからなかったから、無難に相槌を打つだけに留めた。

 

「親父は、母親が俺を手放すことを自分に相談なしに決めたことに腹立ててたみたいだけどな……元々どっちかっていうと俺の味方だったし。親父はよく誉めてくれてたけど、米国むこうに行ってることが多くてな。滅多に帰ってこないから……俺のことも親父がいない間に決めたんだ」 


「……そうなんだ」


 同じ相槌になってしまった。


「よくある話だし、同じような境遇の人も、もっと酷い境遇の人も沢山いるだろうけどな」


 苦笑する叶。


「……うん」


 僕の反応を見てか、叶は申し訳なさそうにこう言った。


「それだけ。……ごめんな。人のこういう話って反応に困るよな」


 何か気の効いたことでも言えればいいんだけど、そう都合よくは浮かばない。苦肉の策で曖昧に微笑んでみる。

 思ったよりも深刻そうな話だったから、というのも適当なことが言えない理由のひとつだった。

 ……こちらこそ、ごめん。


「まぁ――まぁ、いいか……もう。終わりってことで」


 珍しく口籠りながら叶が話題を打ち切る。


「自分から言っといてだけど……なんつーか、あれだ。聞いてくれてありがとうな。後、聞かせてごめん」


 叶は、感謝と謝罪を同時にしてから、更に質問してきた。


「なぁ、性格の形成って多少は家庭環境に関係あると思うか?」


 突然何かとは思ったけれど、とりあえず僕の考えを言ってみる。


「まぁ、性格……というか、考え方の基本形成には少しは関係するんじゃない?」


 親にきついことばかり言われて育つと、余所でもそれが普通だと思うようになる……とか、甘やかされて育つと我が儘な子になる……とかだよね。


「俺、さ……やっぱり変わってるよな。性格悪いし。でも、それって母にされたことに本当に関係あるのかって思って。ただ俺がおかしいだけなんじゃないかって――」


 本当に、今日の叶は一体どうしたのだろう。話しに脈絡があるようで、まるでない。

 こんな話しの仕方は叶らしくない。いつもならきちんと順を追って話すし、話題が急に飛んだりしないのに。

 それに、後ろ向きな発言も目立つ。


「何かあったの、叶?」


「いや。久し振りに自分の話して疲れただけだ。……疲れたも何も、自分から言い出したんだけどな」


 首を横に振って、少し笑う。


「そう――……? だったら良いんだけど、さぁ」


「だろ? もう俺の話も飽きただろうし、気にするんなら……ほら、」


 叶は、笑いの質を変える。口端を引き上げる程度の微笑みから、にやにやと悪戯っぽい笑みへと。


 あ、もしかして――。


「お姉さん、にどうやって告白するか――だろ?」


 ……だよねぇ、来ると思った。


 それにしても、今日の叶はよく笑う。







「――もうすぐ、告白しようと思ってる」


 自分で思ったよりも真剣な声が出た。


「お、ついに」


 叶は一瞬の沈黙の後、そう言った。

 その声にはふざけた様子もなく、だからといって重苦しさも感じられず、本当にいつも通りのものだった。


「頑張れ、な」


 少しだけ『頑張れ』を強調しているように聞こえた。それは、素直な応援の言葉。


「お姉さんの絵を……書いてるんだ。その絵が完成したら、告白する」


「うん。うん……そうか。お前の絵なら、きっとちゃんと伝わる」


 そう、頷いてくれた。


「だから、頑張れ。応援してる」


 優しい、声だった。


「うん」


 短い言葉だけれど、本当に頑張ろうと思える。


「お前なら、絶対大丈夫だ」





 不器用な友人の、ありふれた言葉。



 しかし、どんな言葉よりも気持ちが伝わってきた。励まされた。



 どんなに綺麗な言葉よりも、どんなに立派な言葉よりも。



 しっかりと、伝わった。 




 だから僕も、この一言にすべてを込めた。





「ありがとう」





 お姉さんにも、こんな風に告白できたらいいな。


 沢山の綺麗な言葉で飾るよりも、ありふれた言葉でもいいから、自分の気持ちをきちんと伝えるんだ。




 また、叶に教えてもらった。



 やっぱり叶は、かけがえのない友達だよ。


 まぁ、本人に言っても特に反応は返ってこなさそうだけどね。 



 お読みいただき、ありがとうございました。

 

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