一撃。
「早くしろ!! 時間稼ごうとしてんじゃねぇだろうなぁ!?」
流石に痺れを切らしたらしく、男が吼える。店員のもたつきがわざとらしすぎた。
「ひっ!? ご、ごめんなさい!!」
怒鳴られた女性店員は恐怖のあまり、床にへたり込んでしまった。
男は舌打ちをすると、店内を見回し始めた。
代わりにレジを開けさせる人間を探しているのか……? それなら――――。
俺は半分ほど残っていたアイスコーヒーを飲み干し、グラスを派手に倒す。
氷が溢れ、勢いのついたグラスはそのまま床に落ち、大きな音を立てて割れた。
「げ。やべ……」
焦った表情を作る。
後ろ手に携帯を先輩に押し付けた。代わりに撮影してもらう為だ。先輩は小さく頷き、それを受け取った。
案の定、男はこちらに走ってくる。
「お前!! 何してる!!」
ナイフを突きつけ、叫ぶように詰問する男。
「えっと……その、手が滑って、それで……すみません!!」
ヘタレを演じる。思いきり頭を下げた。
すると、自然にナイフとの距離が縮まる。
「うわっ……!!」
驚いて、身を引く。
うん、我ながら馬鹿っぽくやれたのではないだろうか。いや、実際俺は馬鹿だが。
「ふん。丁度良い、お前レジを開けろ」
男は鼻で笑い、俺に予想通りのことを命じた。
「えっ!? む、無理ですよそんなの……!!」
男は俺を睨み付けると、ナイフの平らな面を首筋に押し付けてきた。
「わ、わかりました、やる!! やるからナイフを離してください……っ」
盛大にビビり倒すと男がナイフを離す。
「はぁ……」
これは安堵ではなく、面倒臭さからきた溜め息だ。本当は今すぐにでも顔面に叩き込んでやりたい。
しかし、狭い通路では他の客に危害が及ぶ可能性があるため、俺は大人しく男に続いてレジの前まで移動する。
「えっと……それで俺は、レジを開ければいいんですか……?」
「そうだよ。いいから早くしろ。おい、こいつに鍵を渡せ」
まだ床にへたり込んでいる女性店員に、男が命じる。
「は、はい……っ」
女性店員は震える手で俺に鍵を渡した。
「どうも……あぁっ!!」
俺はわざと鍵を取り落とす。鍵は少し床を滑り、女性店員の足元へ。
「すみません……」
女性店員が鍵を拾って、手渡してくれた際に、そっと耳打ちする。
『ここから離れて』
女性店員は一瞬、え? という表情になったが、すぐに真顔に戻り、目で頷いた。
「あ、あの……」
「なんだ!!」
男が女性店員の方にナイフを向ける。
「もう少し離れていてもいいでしょうか……? そちらの方がレジを開けるなら、私はもう必要ないですよね?」
「冷めた世の中だな。自分の代わりになるやつが見つかった瞬間見捨てて、身の保身か? まぁ、いい。勝手にしろ」
小馬鹿にしたように言う男。
女性店員は、すぐに店の中央ほどまで離れる。
それを見た客たちは、我先にと店の奥まで逃げようとし、押し合い圧し合いの大騒ぎだ。
「おい、止まれ!! 今から逃げようとしたやつは殺す」
男の一声で、全員が一気に行動を停止する。
「……えぇっと……鍵はどこだ? あ、これか……。あれ、鍵が回らないな……あー、逆だ」
いちいち呟きながら作業を進めていると、男の怒りが急速に高まっていくのが目に見えてわかった。
「おい!! いい加減にしろよ……!!」
胸倉を掴まれる。
「すみません……って、先に謝っとくわ」
突然口調が変わった俺を、男が訝しむ暇も与えずに手加減なしで間近にあった男の爪先を踏みつける。
「い゛っ!?」
男の口から日本語に無い音が発せられ、胸倉の手が離れる。間抜けなことにナイフまで落としている。とりあえず、遠くに蹴飛ばしておいた。
左手で胸倉から離れた手を取り、右手で男の襟元を掴む。そのまま九十度身を捻り、前傾姿勢を取る。
「てめっ……!! なにすん、」
男の非難は中途半端なところで途切れた。綺麗に投げ飛ばされ、床に仰向けに叩きつけられた為だ。
俗に言う背負い投げ。
そのまま馬乗りになるが、男は俺が関節を固める前に俺ごと転がり、上下を逆転させる。俺も体重的に軽い部類には入らない方なのに、とんでもない馬鹿力だ。
「この……っ」
俺は暴れた。上に下に転がりながら、とにかく暴れた。手は男を押さえるのに使っているから、脚を使うしかない。そこで、膝だの爪先だのを使ってところ構わず蹴りを入れた。
「がっ……!! ぐぁぁ……」
十数発入れただろうか、俺を殴ろうと腕を振りかぶっていた男が突然悶え苦しみだした。
どこに当ててしまったのかはすぐに理解できた。思わず謝罪しそうになった。そこまでするつもりはなかったのだ……。
しかし、そんなことを気にしている場合ではないことを思いだし、男が悶絶している間に男ごと再び上下逆になる。
悶えてはいるものの、力が入っていないわけではない為かなり苦労したが、何とかうまくいった。
「強盗です。すぐに来てください。住所は――」
先輩のそんな言葉が耳の端に聞こえた。
素早く男の体の下に足を突っ込んで蹴り、俯せにさせてから男を膝で押さえて両手を後ろで捻り上げる。
そこまで行くと観念したのか、男は一切抵抗しなくなった。
後は、先輩が呼んだ警察が三分後に到着し、証拠の動画と男を引き渡して終わりだった。
「よく捕まえられたねぇ……」
警察官の一人が俺を驚きの目で見ながら、感心したように言った。
「はぁ、まぁ……」
決定打になった攻撃が攻撃だけに、俺は少々歯切れが悪い。というか、悪いことしたな……。犯罪者とはいえ、気の毒だった。
「だが、危ないから、もうこんなことするなよ」
警察官の言葉に、俺は頭を垂れた。
「はい、それはもう……」
色々、もうしません。
少し痛みを想像してしまい、そう固く心に誓った。
「ご苦労様」
俺の肩を、労いの意を込めてなのか軽く叩き、警察官は喫茶店を出ていった。
野郎vs野郎だったからか、はたまた俺に怪我がなかったからか、殆んどお咎めの言葉を貰うことがなかったのは少しだけ拍子抜けだった。
外に目をやると、さっさと歩けと急かされ、妙な歩き方でパトカーに乗り込む男の姿があった。
支払いを済ませ、俺たちも店を出た。助けてもらったお礼と女性店員は代金を半分にしてくれた。一応断ったが、聞き入れてもらえなかった。……本当に良かったのだろうか。
少し引っ掛かるところはあったが、俺と笹原は二人で歩き出す。
「あ!! まずい……。母さんに買い物してこいって言われてたんだ!! 三時までに家に着いてなかったら晩飯抜きにされる……!」
店を出るなり先輩はそう言って、凄い勢いで走って行ってしまっていた。
別にいいよとか言ってた、商店街に来た用事ってそれだったのか。
時計の時間は午後二時十三分。
どうか、先輩が晩飯にありつけますように。
「あー、怖かった……」
俺が先輩の為に祈りを捧げていると、笹原が言った。
「ほんとになぁ。俺も負けるかと思って正直焦った」
「すごいですよ、強盗捕まえるなんて。充分強かったです」
「そうか? ……まぁ、その……ありがとな」
どう答えていいかよくわからなかったのが、褒められたようなので、迷った挙げ句に取り敢えず礼を言っておいた。
そんなことを言い合いながら商店街を抜け、少し歩道を歩いた。
その先は三叉路になっていて、俺たちはそれぞれ進む方向が違う。
笹原は真っ直ぐ信号を渡り、俺は右の信号を渡るのだ。
右の信号は丁度青で、俺はそれを渡るために笹原に別れの挨拶をしようとする。
「じゃあ、また……」
「叶先輩……ちょっと、待って下さい」
しかし、笹原に引き止められた。
「うん?」
笹原の話を聞くために、三叉路で立ち止まる。
「あの、私……部長頑張りますから!!」
笹原は、よく通る声ではっきりと宣言した。
「あぁ」
俺は頷いた。
「叶先輩より、良い部長になりますから!!」
腹の立つ言い方では、なかった。
素直に応援しようと思えた。
「あぁ、頑張れよ」
そう言って、低い位置にある笹原の頭に少し腰を屈めて自分の掌を乗せた。
くしゃっと撫でる。髪の毛を乱さないように、一応気を遣いながら。
笹原は顔を俯かせ、
「だから、たまには見に来てくださいね」
そう言って、俺の服の裾を掴んで軽く引っ張った。
「そうだな、時間があれば見に行ってやるよ」
「優しくするだけじゃなくて、厳しくもできる部長になります」
俯いたまま、笹原は続けて宣言した。
「……ほどほどにな。部のメンバーで行く遊びの誘いとか来なくなるぞ」
言っておくが、実体験では決してない。
俺にも遊びの誘いは回ってきていたし、顔も出していた。
「わかってます」
そう言い、笹原が信号を振り返る。
丁度青が点滅し始めている。
「じゃあ、私もう行きます。ありがとうございました!!」
次の青まで待てば良いのに、笹原は俺に頭を下げると、走って横断歩道を渡った。
ポニーテールが体の上下に合わせてぴょんぴょん跳ねる。
その背中も小さくなり、やがて視界から消えた。
――何故か、笹原の後ろ姿が少しだけ嬉しそうに見えたのは……気のせいだろうな。
お読みいただき、ありがとうございました!!
漸く閑話が終わり、次回からは通常運転に戻れそうです。
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