色鉛筆とクレパス。
手が、上手く動かせなくなった。
……とはいっても、日常生活にはほとんど支障は無く、細かい作業の際に少し助けを必要とするくらい。
けれど、趣味であり、特技でもあると周囲からも認めてもらえていた絵を描くことは諦めなければならず、画家になる夢も断念することになった。
描こうと思えば描けないこともないのだけれど、細かいところまで書き表すことが出来ないし、絵のタッチも変わってしまった。
『こんなのは、私の絵じゃない』
そう思い始めると絵が描けなくなった。
もしかすると、絵が描けなくなった原因は手だけではなく、心にもあるのかも知れない。
◆◇◆◇
「お姉さんっ」
透き通った、控え目に弾んだ声が背後からかけられた。
病室の入り口に背を向ける形で置かれたベッドに、体を起こしていた私は、声の方を振り向く。
すると、そこには制服姿で微笑む少年がいた。
「悠樹」
私が意味もなく彼の名前を呟くと、彼は頷き、私が話し始めるのを真面目な顔で待っている。そんな悠樹がおかしくて、私は思わず吹き出してしまった。
「どうしたの? なんで笑うの!?」
彼は目を見開いて、驚いている。
「ううん。なんでもないよ。……あ」
首を横に振って言う。その直後、私はあることに気付き、思わず声をあげた。
「ん?」
悠樹は、私が小さく上げた声をしっかりと聞き取っていたようで、その声の意味について問う。
「……また、痩せたんじゃない?」
暑いからか、捲りあげられている彼のシャツの袖から見える腕は、最後に会った一か月ほど前よりも、更に細くなっているように見える。もとから余分な脂肪がほとんど無い彼の体は、これ以上痩せて大丈夫なのかと心配になる。
「……そんなことないよ」
悠樹は笑顔を崩さないまま、さりげない動作で捲りあげていた袖をおろして、見えていた腕を隠した。
「あ。そんなことよりさ、また新しく絵を描いたんだよ? 学校の中庭の向日葵なんだけど……」
暗い方向に進みそうな話の気配を感じ取ったのか、悠樹は話題を打ち切り、新しい話題を切り出した。
「へえ。見せて?」
悠樹が手に持っている、もとは私の物だったスケッチブックを手に取ろうと手を伸ばす。
「ダメ。出来上がってからね」
悠樹は私の手が届かないように、スケッチブックをひょいと遠ざけると、少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なんでよー」
不満をぶつけても、彼はもう絵については何も答えずに、微笑むだけだった。
「何よ。見せてくれたって良いじゃない。いつからそんな子になっちゃったの? 昔は素直で優しい子だったのにー」
冗談めかして言って、頬を膨らませると、悠樹は困ったように一瞬視線を落とす。そして近付いてくると、私の頬を両手で覆って膨らみから空気を抜く。目の前で優しく笑って、
「もう少しだけ待ってて」
そう言った。
「……」
私は、思ったよりも大きくて、硬い悠樹の手の感触に驚いていた。それから、最後に悠樹の手に触ったのがいつか思い出せないことに気付く。知らない内に、悠樹が成長していくことを今更だけれど実感して、嬉しいような置いて行かれたような、自分でもよくわからない気持ちになったのだ。
お読みいただきありがとうございました!
どうやら、休日中心の更新になりそうです。