霜天と空隙の漂流者
冬のある日、俺は空を見上げていた。
とても綺麗とは言えない曇った空……そしてその曇った空の空隙……どこまでも澄んでいる様な晴天を見た。
俺はこの空に不思議と心を囚われていた。そしてその晴天を目指して駆け出していた。
自らの頭上が晴天になっていたと気づいた時にはどれだけ走っていたか分からない。
降り注ぐ冬にしては暖かい太陽の光の下で、俺は一人の少女が道で倒れているのを見つけた。
「……大丈夫か!?」
一瞬倒れてる姿に見惚れて倒れているという事実を忘れてしまっていたが、すぐに声をかける。
「ん……」
彼女はゆっくりと目を開ける。その目は美しい天藍石の結晶のような色をしていた。
「誰……?」
「俺は名乗るほどのものじゃないさ」
咄嗟に格好つけてしまったが、彼女はそれで納得してしまったようだ。
「ここはどこか聞いてもいい?」
彼女は自分がどこにいるか分からない様子だった。まぁ道の真ん中で倒れている様ならばあり得ない話でもないが。
俺は彼女に此処はどこで今は何時でもうすぐ天気予報では雪が降るということを伝えた。
その後彼女は首を傾げてこう言った。
「そう……ところで今日はあなたの家に泊てくれない?」
「はい……?」
「そう、ありがとう」
疑問を声に出したら肯定と捉えられてしまった……知らない男の家に女の子が泊まるのはどうなのだろうと思ったが黙っておくことにした。
俺の家に向かう道中、彼女とは様々な話をした。
好きな食べ物は何か。好きな花は何か。とりあえず思いつく限りのことを聞いてみた。
その中で、元々住んでいたところはどこか。という質問をした時だけは反応が違った。
「……分からないんだ」
彼女は少し俯いてそう言った。
「分からないのか?」
そう尋ねてみると詳しく話してくれた。
「気づいたらね……知らない場所にいるんだよ……いつも」
「もしかして今回もそうだったのか?」
彼女はゆっくりと頷く。
「でもね……こういうのも悪くないんじゃないかなって私は思ってるんだ、なんか旅って感じがしてさ」
そう彼女は少し悲しそうに微笑む。
……
俺の家に着くなり彼女は家の猫と戯れていた。
「順応が少し早すぎやしませんかね、そこのお姉さん」
「猫は好き、どこにでもいて可愛いから」
「うちの猫をそこらの猫と一緒にしないでもらえますぅ?」
そうやっていうと彼女は猫を持ち上げながら笑う。
俺は彼女に聞いてみた。
「またどこか彷徨ったりするのか?」
「うーーん、暫くはこの街に居るんじゃないかな?」
俺はスマートフォンの雨雲レーダーを確認する。今朝の天気予報に反して街の上空には雲一つない快晴となっていた。
「こんなに天気もいいし、君さえよかったらデパートでも行ってみない?」
「……行ってみようかな」
彼女は首を左右に繰り返し傾けて悩んだ後、そう言った。
……
デパートに着くと彼女は目を輝かせながらショーウィンドウにへばりついて子供のように飛び跳ねていた。
「ショーウィンドウにはくっつくなよー」
そう呼びかければ彼女は俺の元に戻ってきた。
俺はその姿を可愛いと思っていた。もちろんそのような表情を見せるようなことはしなかったが。
「じ……」
彼女はそんな擬音語を使いながら俺のことを見てきた。
「なんだ? その服が欲しいのか?」
俺は気分が高揚していたため彼女のためなら何でもしてあげたいと思っていた。そのため、彼女に服を買ってあげた。
「……ありがとう」
彼女はその綺麗な目をさらに輝かせてお礼をいってきた。
「い……いや礼には及ばないよ」
と、普段は使わない様なこの場に正しいのか少し怪しい日本語が咄嗟に出てしまった。
「君は本当に優しい、見ず知らずの私にこんなに良くしてくれるなんてね」
下心があってそうしているのも少しはあるが……と俺は心の中で反省する。
「他にどこか行きたいところがあったりするか?」
「うーん、海ってここから近い?」
こんな冬に海という答えが返ってくるとは予想していなかった……
「海ね、冬だけど海に入るのか?」
「入りはしないけど……見たいだけ」
「わかった、海見に行こうか」
……
ということで海に来たわけだが、冬の海からの風は少し体に堪えた。
冬の海にしては澄んだ水色をしていて、その色は彼女の眼と同じように見えた。
「いつもね……私には晴れた空と海がつながっているように見えるの」
確かに晴れた空は海と似たような色をしていて美しかった。
「わかってくれるかな?」
「もちろん、ここまで綺麗に見えたのは久しぶりだ、教えてくれてありがとう」
実際、雪予報だったのがここまで晴れ、それが海と共に見えることでとても美しい綺麗な景色になるとは思っていなかった。
「ところで海、好きなのか?」
「うん、ずっとどこまでも続いてるようなこんな景色が好きなの」
彼女はどこか寂しそうに遠い目をしていた。
そのことが少し気になったが特に何も聞かないことにした。
「そろそろ……帰ろうか」
「別にあなたの家じゃないんですがね」
「猫ちゃんが私を待っているの……」
確かに懐いてたもんな……俺よりそうとう……
そんなツッコミどころしかない会話をしながら家に帰る。
……
「この服どう思う?」
彼女は家に帰るなりどこかで先程買った服に着替えてきたようだ。
正直、可愛いと思ったが少し恥ずかしかったので黙って頷いておいた。
「なかなか気に入ってくれたようで何より……」
「そういえばお礼に何でもしてあげるよ?」
「……なんでも」
なんでも、というその響きは甘美なものだ。
だが俺は惑わされずに別にお礼なんてする必要はないと、またまた格好つけてしまった。
「そういえば、なんかゲームとかでもする? ゲーム機ならいっぱいあるけど」
実際友人と外で交流するという事はあまりなかったので家には大量のゲームがあった。
「……やりかた、教えてくれる?」
「もちろんだ」
そうして、俺は彼女にゲームを教えることになった。
……
どうやら彼女は格ゲーが得意らしく、すぐに俺を負かすまで成長していた。
「やった!」
「何故だ……これでも学生の頃は負けなしだったんだぞ」
と俺のプライドには少し傷がついていた。
一息ついた頃、俺は彼女に聞いた。
「帰るところがないって言ってたけど、逆にどこかこれから行くところがあったりするのか?」
「……ないよ」
「そうか……悪いな変なこと聞いてしまって」
「いいよ、実際これからの事は考えなきゃならないんだから」
そうだ、彼女をいつまでも家に泊めておく事はできない、そう遠くないうちに真どこかへ行くことになるのだろう。
「実際、どうやって移動してるのか分からないのにパッといなくなったりするものなのか?」
「本当に……どうして消えているのか分からないし、どうして別のところにいるのかも分からないんだ……」
彼女は少し申し訳なさそうな顔をしてそう言った。
「ならさ、いなくなるまではうちにいて良いからさ、その間楽しもうぜ」
「私がどこかに旅立つその時まで一緒にいてくれると言うならお言葉に甘えます……」
「俺に任せておきな」
暗い話ばかり続くのもよくないと思い俺は話題を変えようと思った。
「今日の晩飯は何がいい?」
……
晩飯を食った後、彼女はすぐに寝てしまった。
「風呂入らなくていいのかな……」
などと考えてしまうが、本人がいいと言うならば強制する必要はないだろう。
別に汚いわけでもないし、うん。
俺はこれからのことについて考えることにした。
夜空はまだ晴れていて、星がよく見えていた。
彼女がいなくなるのはいつなのだろうか。
別に俺はいなくならなくてもいいとは思っているが、それが運命なら従うことしかできないと己の無力を嘆いた。
『明日、明後日の天気は晴れですが、その次の日からは雲が増えてきて曇っていくでしょう』
部屋でつけっぱなしにしていたテレビからはそのような天気予報が流れていた。
「……晴れている間にあいつとどこかに出かけようかな」
俺はそう呑気なことを考えていた。
……
「おはよう」
「んあ? ああ……おはよう」
彼女の方が先に起きていたらしく、俺は起こされてしまった。
時刻は9時で結構寝た方であった。
「今日も冬にしては暖かいな」
「そうなの?」
「ん? そう言うもんじゃないのか?」
「私はいつもと変わらないように思うけど……あ、夏よりは涼しいね」
んなこと当たり前じゃい、と言おうと思ったが黙っておくことにした。
「今日、どこか行きたいところはあるか?」
と聞いてみたが返答は簡素なものだった。
「今日は家でゲームしない?」
「おう……そうか……」
てっきりどこかへ出かけるつもりだった俺は少し腰が抜けてしまった。
……
彼女は本当にゲームがうまかった。
何度も言うが、俺は学生の頃はどのゲームでも負けなしだった。
それが彼女には全くと言っていいほど勝つことができなかった。
「なんで勝てないんだ……」
「なんでだろうね?」
と彼女はあっさりと言ってのけた。
これが天性の才能ってやつかなのか……
……
しばらく遊んでいるうちに、すぐに夜になってしまった。
「嘘だろ……飯食うことも忘れてたのかよ俺ら……」
「まぁいいんじゃないかな?」
今日は出前をとる事にした。
ピザと寿司を頼んだが、彼女が一瞬にして寿司を平らげて、俺がピザを食うことになった。
「ところでお風呂って使ってもいい?」
「ああ、いいぞ」
とすぐに風呂を沸かしたが、彼女の着替えがないと言うことに気づく。
「お前、着替えどうするんだ?」
「……君の使ってもいいかな?」
「……ああ……」
そう言われてしまって断る事はできずに俺の服を渡した。
……
「お風呂上がりましたよ」
と言われて振り向いて見れば、俺の大きな服をダボダボに着ている彼女が立っていた。
「正直目のやりどころがないんだが」
「……」
普通にこれは言うべきではなかったな、と俺は反省した。
彼女の入った後の風呂に入るのも何か罪悪感を感じてしまう気がしたので、今日は俺が風呂に入らなかった。
……別に外に出てないからいいだろ……
……
「おはよう」
「うぁ、ああ……おはよう」
今日の朝も昨日と同じくらいの時間に彼女が俺を起こした。
「ちょっと冬らしい気温になってきたか?」
「……そういうものなのかな?」
彼女は気温に鈍いらしくあまり違いがわかっていなかったようだ。
数値的には3度くらいの気温差があるのだが。
「今日は何がしたい?」
と聞くと彼女はこちらをじっと見つめて言った。
「今日は君に任せるよ」
そう言われてしまったわけだが、俺には自分の住んでいる地域にあまり魅力的な場所はないことをよく知っていた。
「それは……また悩むなぁ」
……
結局、俺は彼女を連れて近くの丘の上にある展望台にいく事にした。
「どうだ? なかなかいい眺めだろ?」
「海が見えるね……」
「そりゃ、海が近い街だからな」
この展望台はこの街でも唯一と言えるかもしれない観光スポットだ。
観光スポットらしく、多くの人が来ていたが、海を見るくらいの余裕はあった。
「いい景色だね……」
彼女の美しい瞳の先には、少し曇りかけた空と海が見えていた。
……
その後、俺達は飲み物を飲んだり、ゲームセンターに行ってみたりと楽しんだ。
ゲームセンターではクレーゲームでもアーケードのテレビゲームでも彼女は簡単と言わんばかりになんでもこなして見せた。
「本当にお前はゲームが上手いな」
「あなたが教えてくれたから……だよ」
そう言ってくれたことが俺には少し嬉しかった。
……ずっと負けっぱなしだけどな
……
『明日の天気は朝から雪となるでしょう』
家に帰った後、つけたテレビの天気予報が明日は雪だと言っていた。
「明日雪みたいだけど、家でゲームでもするか?」
「……うん」
彼女は少し悲しそうな顔をしていた。
雪が苦手なのだろうか?
外を見れば、雲は近くまで来ていて、明日の朝どころか深夜の間に雪が降り始めそうだった。
「今夜は少し冷え込みそうだから風邪引くなよ」
「……わかった」
彼女の態度は少しそっけなかった。
……
様々なことを済ませた後で、俺達は眠っていたが、俺は深夜の間に寒さで目が覚めてしまった。
彼女は寒がっていないだろうかと寝ていたはずの場所に目をやった時、その異変に気付いた。
彼女がいなかった。
「っ……どこに行った?」
俺は彼女がいなくなってしまったということはもう二度と姿を見せないのではないかと考えた。
家中を探し回ってみたが見つける事はできなかった。
「どこだ……」
彼女と行ったことのあるところを探してみようと考えた。
すぐに着替えて俺は外に出た。
冬の真夜中の寒さは身体に堪えた。
空を見上げれば、雲の空隙は残り少なかった。
デパートの方に行ってみた。
暗い大きな建物の近くで彼女を見つける事はできなかった。
海に向かってみた。
波の音だけが聞こえてきた。
展望台に向かってみた。
いた、暗くても光って見えるあの瞳。
「どうして……こんなことを?」
俺は息が上がっている中彼女に聞いてみた。
「起きちゃったんだ……」
彼女は悲しそうな目をしていた。
「本当は黙っていくつもりだったんだけどな……」
「そんなことさせるわけないだろ」
「うん……そうだよね、やっぱりそうだよね」
彼女はゆっくりとした口調で話していた。
「もうわかってるかもしれないけど……もう旅立つ時が来たみたい」
「そうか……結構短かったな」
俺は溜息をついた。
「何? 私がいなくなると寂しい?」
「そりゃ……そうだろ、これでも一応……少し好きだったんだから」
地味な告白を混ぜてみた。
どうせ最後になるのだ、これくらい言ってもいいだろう。
「……そっか、嬉しいよ、私もあなたの事とはとっても好きだよ」
彼女の瞳から涙が溢れる。
「だから……黙って出て行ったの……区切りをつけるために……」
……彼女も俺のことを思っての行動だったらしい。
「もう時間がないってわかるんだ」
彼女は空を見上げた。
俺も空を見上げた。
雲の空隙は今にも消えかかっていた。
直感で曇り切った瞬間に、全てが終わってしまうと確信した。
「もう少し……ちゃんと言った方がいいね」
彼女は深呼吸をしていった。
「あなたのことが好きです」
「……ああ、俺もだ」
するとわずかに見えていた星は完全に見えなくなってしまった。
「じゃあ、またね……」
彼女は少し微笑みながら言った。
次の瞬間彼女は忽然と姿を消した。
…………
ある霜天の日、空を見上げ、街の片隅に晴れ間が見えた。
美しいまでにきっかり区切られた空隙だった。
俺はそこに向かって駆け出した。
そこに……いると確信していたから。
……
「やぁ、久しぶりだね……元気にしてた?」
天藍石のような美しい瞳をもった少女がそこに立っていた。
「元気にしてたさ……」
「……また会えたね」
澄んだ青空に輝く太陽の光の下、彼女は微笑みながら言った。
「よろしくね、私の好きな人」
「ああ……そういえば名前……言ってなかったけ」
俺は少し涙を浮かべながら言った。
「今度は、俺のこと全部教えるよ」
俺と彼女は手を繋いで、歩き出した。




