第3話|白き翼の記憶
足仲彦天皇は、父ヤマトタケルの顔を、ほとんど覚えていません。
ヤマトタケルは生涯、遠征に明け暮れた英雄であり、幼い足仲彦尊がその姿を間近に見た時間は、あまりにも短かいものでした。
けれど――
父の葬儀の日の光景だけは、今も鮮明に胸に焼き付いています。
伊勢国の能褒野。
そこに横たえられた父の亡骸を囲み、集まった人々は皆、声をあげて泣いていました。
悲嘆にくれる声は風に溶け、空は重く垂れこめていました。
足仲彦尊もまた、母の両道入姫命に手を引かれながら、訳も分からぬまま涙を流しました。
幼い心には、ただ「偉大な父がいなくなった」という事実だけが、重くのしかかってくるのでした。
そのときです。
いつの間にか、ヤマトタケルの亡骸を入れた棺の上に真っ白な鳥がいて、ふわりと舞い上がりました。
白く輝く翼が広がり、静かに空へと昇っていきます。
「……ヤマトタケルだ!」
誰かが叫び、
誰かが膝をつき、
人々は一斉にその鳥を仰ぎました。
英雄は死して、美しい鳥となり、天へ帰っていく――
そう信じた人々は、白鳥を見つめながら声を詰まらせ、涙を流しました。
白鳥は空高く舞い、西へ、また西へと飛んでいきます。
母は幼い足仲彦尊の手を強く握り、その後を必死に追いました。
走って、走って、また走って――
ぬかるみに足を取られても、竹の切り株で足を切っても、ただ白い翼だけを見失わぬように、何日も追い続けました。
やがて足仲彦尊たちは、海岸に辿り着きます。
白鳥は天高く飛び去り、やがて見えなくなりました。
白鳥がとまった地には、新たに陵が築かれました。
そうしてヤマトタケルの陵は、三ヶ所となったのです。
そして死後、数十年を経た今もなお――
人々はそれらの陵を仰ぎ、ヤマトタケルの武勇を語り、最期に白鳥となって天へ昇ったという伝説を、神話のように語り継いでいました。
足仲彦天皇は、即位した年の冬、父の魂を慰めるため諸国に命を下します。
「白鳥を集めよ。国々の清らかな鳥を、我がもとへ」
それは単なる供養ではありません。
ヤマトタケルの名を敬い、その志を継ぐ者であると、天下に示すための儀でもありました。
やがて越国の使者が、白い羽を輝かせる四羽の白鳥を携えて都へ向かいます。
しかしその道中――
天皇の異母弟、蒲見別王が、それを見とがめます。
「ほう……これが、その白鳥か」
蒲見別王は鼻で笑いました。
「白鳥といっても、焼けばただの黒鳥よ。英雄だのなんだの、馬鹿馬鹿しい」
そう言い捨てると、彼は使者を押しのけ、
白鳥を乱暴に奪い去ってしまいます。
白い翼はもがきながら、蒲見別王の腕の中で暴れました。
その羽ばたきは、
もう、都へ届くことはありませんでした。
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次回、第4話「英雄の名の代償」。
父の名を守るため弟を罰した天皇は、
その代償として己の心を削られていきます。




