第一部 第4章:断罪の夜、確信の咆哮 ―― 「捨て石」たちの覚醒
黒鉄期一七三三年、冬。 フランク王国の東端、国境へと続く街道の脇に、俺たちは身を寄せ合うようにして小さな火を囲んでいた。上空では、凍てつく冬の星々が、地上で喘ぐ俺たちを嘲笑うかのように冷たく瞬いている。爆ぜる薪の乾いた音だけが、刺すような夜の静寂をかろうじて押し返していた。吐き出す息は白く、指先の感覚はすでに麻痺し始めている。
馬車に背を預けていたオットーさんが、深く、重いため息をついた。その視線は揺れる炎の奥、今はもう存在しない「憂国の傭兵団」の本陣へと向けられているようだった。 「……皆、聞いてくれ。俺は、あの日……あの最後の戦いの前夜に、伯爵の本陣で何が語られていたのかを、お前たちに話さねばならない」
その言葉に、虚空を見つめていたガーブ、ヤミル、クリス、ハンスの視線が一斉にオットーさんへと集まった。だが、俺――シンだけは、動かなかった。俺の脳内では、あの日以来ずっと解けなかった「数式」の未完成な部分が、不気味な脈動を始めていた。
(――ようやく、答えが出る)
俺の中で欠けていた最後のピース。あの日、死を覚悟したはずの団長たちが、なぜあんなにも急いで、俺たち若手だけを戦場から逃がそうとしたのか。その残酷なまでの「理由」が、今、目の前に提示されようとしていた。
________________________________________
オットーさんの語る真実は、俺の最悪の予測をなぞるように、冷酷で、あまりにも残酷なものだった。 あの日、決戦を前にしたオルレアン伯爵は、我ら『憂国の傭兵団』を含む八つの傭兵団の団長を、豪華な天幕が張られた会議場へと呼び出したという。
そこには、暖かい暖炉の火、上質な葡萄酒、そして地図を広げた冷徹な「怪物」がいた。伯爵は、団長たちの戦況報告を聞き終えると、明日の戦いのために茶を啜る程度の気軽さで、表情一つ変えずにこう言い放った。
「――死んでくれ」
その一言の意味を、団長たちは即座に理解できなかった。だが、伯爵は淡々と、事務的な連絡事項を述べるかのように続けた。 『明日の戦い、傭兵団は全軍をもって正面中央から突貫せよ。屍を晒してでも、帝国軍を足止めするのだ。正規軍が戻るまでの二ヶ月、一歩も引くことは許さん』
あまりの無茶振りに、歴戦の猛者である鉄鋼傭兵団の団長が「死ねと言うのか!」と、椅子を蹴り飛ばして吠えた。それに対し、伯爵は感情を動かすことさえせず、標本箱の虫を見るような、底冷えのする目でこう答えたという。
「――では、死ね。所詮は傭兵風情だ。帝国軍を引き連れて地獄へ行くか、今ここで我が領軍に屠られるか……選ぶがいい」
オットーさんの言葉を聞き、焚き火を囲む仲間たちが息を呑んだ。ガーブの拳は白くなるほど握りしめられ、ヤミルの巨躯が怒りで震えている。だが、俺の心は驚くほど冷えていた。
(やはり、そういう話だったか。伯爵にとって、俺たちの命は「人間」のものではなく、ただ戦場にばら撒くための安価な撒き餌に過ぎなかったのだ)
________________________________________
さらに最悪だったのは、その後のことだ。 オットーさんは、会議場の扉の影で、立ち去り際の伯爵が側近と交わした密談を耳にしていた。 『二ヶ月、傭兵どもは実によく働いた。帝国軍を疲弊させ、弱体化させた。……だが、そんな者たちはこの国に、少なくとも我が領内にはいらぬ。すべて排除しろ。奴らのおかげで勝ったなどという、不名誉な噂を流させるな』その言葉が、俺の中で何かのスイッチを静かに入れた。
(――これは裏切りじゃない。「仕組み」だ)
誰が団長であっても、どれほど忠義を尽くしたとしても、結果は同じだったのだ。力を持つ者が、持たざる者を使い潰し、その存在ごと歴史から消し去る。それが、この王国の、この大陸の、歪んだ「合理性」という名の正体だった。
「団長たちは……それを分かった上で、若いお前たちだけを逃がそうとしたんだ」 オットーさんの声が、初めて震えた。親父さんたちは、自分たちが名誉も命も奪われる「仕組み」の歯車であることを理解した上で、その歯車から俺たちを無理やり引き剥がし、未来という名の「重荷」を託したのだ。
________________________________________
「ふざけるな……! 伯爵の野郎、ぶっ殺してやる!!」 沈黙を切り裂いて叫んだのはガーブだった。彼女は狂ったように立ち上がり、剣を抜き放って、今来た道――オルレアン伯爵の城がある方向へと飛び出そうとした。
だが、その背後に一瞬で回り込んだのは、オットーさんだった。 「……かはっ」 最強と謳われたガーブの腹部に、オットーさんの重い拳が沈み込んだ。彼女は、信じられないものを見たという表情のまま、たった一撃で崩れ落ちた。
「……すまない、ガーブ。だが、今は死なせん。それが、団長との約束だ」 気絶した彼女を担ぎ上げるオットーさんの背中を見ながら、俺は立ち上がった。俺の瞳からは、もう迷いは消えていた。
(――もう、疑う余地はない)
伯爵個人に対する怒りは、もちろんある。だが、それ以上に俺が許せなかったのは、俺たちを「使い捨ての石(捨て石)」として処理しても何ら痛痒を感じない、この世界の傲慢な構造そのものだ。
(この戦争は、最初から“殺す側”と“殺される側”に分かれていた。俺たちは、盤上の駒ですらなかった)
俺は、もう二度と「殺される側」のままで、誰かの手のひらで踊るつもりはない。 「行こう、オットーさん。……ゲルマニアへ」
暗闇の先に広がる荒野を見据え、俺は決意を新たにする。俺たちが手にするのは、単なる復讐の刃ではない。この理不尽な仕組みそのものを、根底から塗り替えるための「圧倒的な力」だ。
「金と交渉はオットーさんに。俺は組織の構築、団員募集、戦略を考える。……俺たちの力で、あの『合理の怪物』の盤面そのものを叩き潰すんだ」俺の静かな宣言に、ヤミル、クリス、ハンスが深く頷いた。
黒鉄期一七三三年、冬。 『緋色の傭兵』 ――。 後に大陸の歴史を塗り替え、伝説として語り継がれることになる狼たちが、自らの意思で、最初の一歩を踏み出した。それは、絶望の淵から這い上がった者たちによる、確信に満ちた咆哮であった。




