第2話: 追跡の鎖
翌朝の東京は、昨夜の混乱を嘘のように晴れ渡っていた。だが、空は灰色に淀み、ネクサス・コーポレーションの本社ビルがそびえ立つ丸の内エリアは、いつもより厳重な警備に包まれていた。ドローンが上空を旋回し、顔認証カメラが通行人をスキャンする。街全体が、昨夜の「笑う亡霊」の出現に震えていた。
影野零は、新宿の外れにある廃アパートの最上階に身を潜めていた。窓は板で塞がれ、室内は暗く、モニターの青白い光だけが顔を照らす。床には古いマットレスと、散らばったケーブル。壁には無数のコードが這い、即席のサーバーファームを形成していた。ここは彼の「隠れ家」――ゴーストの巣窟。
零の義体は昨夜の戦闘でダメージを受けていた。左腕の装甲が剥がれ、内部の回路が露出。痛みはないが、動作がわずかに鈍い。「エコー、診断結果は?」零はドローンに尋ねた。
エコーは空中で回転しながら答える。「左アームのサーボが20%低下。バッテリー残量68%。それよりボス、ニュース見てみろよ。全国ネットで『笑う亡霊テロ』だってさ。お前の仮面ウイルスがトレンド1位。公安は賞金首リストに載せてるぜ。賞金は5000万クレジット。結構な額だな」
零はモニターに視線を移した。画面には、自分の仮面アイコンが拡大表示され、「危険テロリスト・ゴースト」の文字が踊る。インタビューに応じる鉄壁の顔が映る。「昨夜の事件は明らかなサイバーテロ。被害者は数十名。ゴーストは社会の敵だ。我々は必ず捕らえる」鉄壁の目は冷たく、零に向けられているようだった。
「ふん……奴らこそ、社会の癌だ」零は呟き、ダウンロードしたデータを開いた。ソウル・トランスファーの核心部分。被験者のリストに、零の妻と娘の名前があった。意識を抜き取られた瞬間、彼女たちの脳波データがAIに変換され、ネクサスの「永生プロジェクト」の一部に組み込まれた。零の胸に、機械とは思えない熱がこみ上げる。
「ボス、次はどうする? データだけじゃ、奴らを倒せないぜ。証拠を世間にばらまくか?」エコーが提案する。
零は頷いた。「そうだ。だが、単純にリークしても、ネクサスはフェイクニュース扱いして潰す。もっと派手にやる。次の標的は、ネクサスの子会社――『アーク・ロボティクス』だ。あそこが新型レイバーの生産拠点。昨夜の暴走メカは、あの工場から出荷されたテスト機。内部に潜入して、生産ラインを乗っ取る」
エコーがLEDを点滅させた。「潜入って……マジかよ。工場は公安の監視下だぜ。鉄壁の部隊が常駐してるらしい」
「だからこそ、面白い」零は笑った。仮面のような、冷たい笑み。
午後、零は変装して新宿駅へ向かった。フードを深く被り、義体の顔認識を妨害するジャミングフィールドを展開。エコーは小型バックパックに収納され、静かに待機。電車に乗り、郊外の工業地帯へ。目的地は、アーク・ロボティクスの巨大工場。外周は高さ10メートルのフェンスと、レーザーセンサーで囲まれている。
零は工場の裏手、廃棄物処理場に潜り込んだ。そこから下水道網をハックして侵入ルートを確保。義体の脚部を強化モードに切り替え、鉄格子をこじ開ける。暗い通路を進み、工場の地下階へ。そこはメンテナンス用の通路で、レイバーの部品が運ばれるコンベアが並ぶ。
「エコー、偵察開始」零が命令。ドローンが飛び出し、周囲をスキャン。「警備ドローン3機、巡回中。カメラは死角あり。右の通路から行けそうだ」
零は影に溶け込み、移動。突然、足音が響いた。巡回中の警備員。零は壁に張り付き、息を殺す。警備員が通り過ぎた瞬間、エコーが小型EMPパルスを発射。警備員の通信機がダウンし、零は素早く近づき、首筋にスタンガンを当てる。警備員が倒れる。
「一人減った。急げ」零は独り言。
工場内部は巨大だった。組立ラインでは、数十体の新型レイバーが製造中。10メートル級のボディに、最新のAIコアを搭載。ネクサスのロゴが輝く。零は中央制御室を目指した。そこに生産ラインのマスターサーバーがある。
制御室の手前で、異変。セキュリティゲートが閉じ、赤い警告灯が点滅。「侵入者検知。ロックダウン発動」合成音声が響く。零のハッキングがバレた。
「くそ、早いな」零は即座に反撃。ニューラル・インターフェースをフル稼働させ、ゲートのファイアウォールを突破。だが、内部から強力なカウンター。ネクサスの専用AI「センチネル」が反応した。「ゴースト……お前か。ようこそ、我が領域へ」
仮想空間に引き込まれる感覚。零の意識がサイバースペースへ。そこは赤黒いグリッド、無数のデータストリームが渦巻く。センチネルのアバターは、巨大な機械の蜘蛛。8本の脚がコードの槍のように伸びる。
「人間の残滓。お前のような亡霊は、消えるべきだ」センチネルが攻撃。零は笑う仮面ウイルスを展開。コードの盾を張り、反撃。仮想空間で激しいバトル。零の義体が現実で震え、汗が流れる――いや、冷却液が漏れる。
「ボス! 現実でも敵が来てる!」エコーの声がリンクで届く。制御室の扉が破られ、鉄壁率いる公安特殊部隊が突入。「ゴースト! 観念しろ!」鉄壁の声。対メカライフルが零に向けられる。
零は仮想バトルを加速。センチネルのコアにウイルスを注入。「笑え、機械。お前の永生など、幻想だ」センチネルが悲鳴のようなノイズを上げ、崩壊。生産ラインの制御を奪取した。
現実に戻った零は、即座にレイバー群を遠隔起動。工場内の新型メカが動き出し、公安の車両を押し返す。鉄壁が叫ぶ。「何だと!? レイバーが味方だと!?」
零は制御室のコンソールからデータを抜き取り、外部サーバーへアップロード。証拠――ソウル・トランスファーの被験者リスト、実験映像、すべてを匿名でネットに流す。笑う仮面のアイコンと共に。
「これで、少しは世間が気づくはずだ」零は呟き、ブースターで脱出。工場は混乱の渦。レイバーが暴走――いや、零の指示で公安を牽制し、道を開ける。
外へ出た零は、エコーと合流。夜の工業地帯を駆け抜ける。背後で爆発音。鉄壁の部隊がレイバーを破壊している。「逃がさんぞ、ゴースト!」鉄壁の怒声が遠くに響く。
隠れ家に戻った零は、モニターでニュースを確認。ネットは大炎上。「笑う亡霊、再び! ネクサスに衝撃の暴露」「被験者リスト流出、本当か?」「政府は隠蔽か?」世論が揺らぎ始めていた。
だが、零の表情は晴れない。データの一部が、鉄壁の個人端末に痕跡を残していた可能性。敵はさらに執拗になるだろう。
エコーが静かに言う。「ボス、次はもっとデカい標的だな。ネクサス本社か?」
零は頷き、仮面のような笑みを浮かべた。「ああ。奴らの心臓部を、抉る」
この夜も、笑う亡霊は闇を駆け抜けた。誤解され、追われながら、正義を貫くために。だが、鎖は少しずつ締まりつつあった。鉄壁の影が、零に迫る。
(つづく)




