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5.推しのせいで、心ここにあらず

いつものカフェ。

いつものモーニング。


一通りのピークが過ぎた頃。


「夕莉っ?」


急に名前を呼ばれて、私は慌てて手を止めた。

カウンターの中のテーブルの上で、注ごうとしていた珈琲が溢れていた。


「わっ」


自分でもびっくりして、慌てて拭く。


声をかけてくれた葵さんも手伝ってくれる。


「心ここにあらず」


ダスターを流しですすぎながら、葵さんがぽつり。


「え?」


ちょっとドキッとした。

間違いではない……のかも知れない。


最近、仕事中も奏のことを考えてしまう。

いや、今までも考えてはいたけど……違うんだよね。


……今は家にいる『奏』のこと、考えてる。


「……そんなこと、ないですけど……」


返事を返すが、中途半端な物になってしまった。


「なんか、隠してない?」


「えっ」


再び、ドキリとする。

バレて……るはずないと思うんだけど。


その時、お店のドアが開いてお客様がなだれ込んでくる。


「あ、行かなくちゃ!」


葵さんは慌ててホールに向かう。

去り際にこんな言葉を残して。


「今日!仕事終わったら!行くよ!」


その言葉はいつもの合図だった。

推し活で語りたい時の。


でも、今日は違うよね。


いつもならその台詞にわくわくするのに、今日はちょっと気が重い。


――早く帰りたいんだけどなぁ。


思わず奏の顔が頭に浮かぶ。


いつもの、挑発的な笑顔。


困らされてばかりなのに、楽しいかも、なんて思ってしまう自分に気づいて、慌てて首を振った。

――そんなの、間違いだ。


そこで、私もお客様に呼ばれて慌ててホールへ向かった。


そのまま、考え込む暇もなく忙しさに飲み込まれた。


気づけば、閉店作業。

エプロンを外した頃には、外はもう薄暗くなっていた。


結局、そのまま流されるように、葵にいつもの店に連れて行かれた。


「で?心ここにあらずの原因は?」


座るなり、単刀直入に質問を浴びる。


「ゔっ」


こんなに時間はあったのに、言い訳考えてなかった。

どうしよう?


「いや、それは……」


やっぱり言葉に詰まる。


あぁ、葵さんの目が怖いっ。


正直に言ってしまおうか、という気持ちにさえなってしまう。

でも、こんな時にまで、奏の顔がチラついて。

心の中でだけ、首を振る。


「……ま、今日は深追いしないでおく」


私の様子を見た葵さんが、溜め息と共に言った。


「何かさ、困ったことがあったら、言ってよ。出来ることならやるから」


その言葉が嬉しい。


「……ありがとう」


私もほっと安堵する。


「今日は久々に楽しくご飯食べよっ」


急に雰囲気が変わり、葵さんはメニューを開いた。


「最近、夕莉、いつもすぐ帰っちゃってつまんないよー」


確かに最近は家にいる奏が気になりすぎて、仕事後はすぐに帰っていた。

以前は……よく葵さんとこの店で、NOCTISについて語り尽くしていた。


「そうだね、ごめんなさい」


今日は私も久しぶりに、なんの遠慮もなく、推しトークしよう。


そう思いながらも、私の頭の片隅から家にいる奏の顔が消えることはなかった。





「ただいま」


いつものように玄関を開けて声をかける。

すぐに返ってくるはずの答えが、今日は少しだけ遅かった。


「…………おかえり」


いつもの明るい声とは少し違っていることに、私は気づいた。


急いで電気をつけて奏を探す。

でも、奏はいつもの場所――お気に入りのソファの上にいた。


「……遅かったね」


奏の顔を見た途端、私は察した。


――これは、拗ねてる顔だ!!


メイキング映像で映ってた、メンバーといる時の素の奏。


ゔっ、可愛すぎるっ。


またしても心を撃ち抜かれる。


私の心臓、耐えてくれ。


「ごめんっ、葵さんに拉致られてた」


ニヤケそうになるのを必死で堪えながら、謝る。


「うん……」


沈黙があって。


「そっか」


そう言って奏は視線を逸らす。

私の好きなグレーの瞳が逸らされたことが、少しだけ胸に痛みを残した。


ホントに怒っちゃった……?


「ごめんね、すぐ帰るつもりだったんだけど……」


さっきよりも真面目に謝る。

ちょっとだけ、しゅんとする。


そうすると奏は、いつもの余裕のある笑みを浮かべた。


「……葵さんって推し活仲間の?」


いつもの調子に戻った奏を見て、ほっとする。


怒ってたわけじゃ、ない……のかな?


「……うん、そう!」


私の声は弾んでいた。

奏がいる窓辺の下に座って僅かに見上げる。


「久しぶりに推し活話してきたの!」


つい、嬉しくなってうきうきと報告する。

すると奏は私を見ながら、


「ふぅーん?俺の話?」


そこでハッとする。

ぼッと音が出たような気がして真っ赤になるのがわかる。


「ちがっ…………っ……くない……です」



慌てて否定しようとするけど、「推し活話」って言っちゃってるから、否定もできない。


奏は勝ち誇ったような顔でふふっと微笑った。


その顔がまた……。


私は今日も推しに勝てません……。


こんな日常が当たり前って、ちょっとおかしくない?






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