35.推しの元は取れてます
「……ただいま」
「おかえり?」
奏が玄関で出迎えてくれる。
「うん、ただいま」
もう一度言う。
奏は首を傾げる。
「なんか元気なくね?」
「うーん……」
そう言いながら、私と奏はリビングに移動する。
奏をいつものソファに座らせて、私はその下に座る。
「今日は『朔推し葵さん』と一緒だったんだろ?」
「うん……そうなんだけど」
私は視線を落とす。
「楽しく『推し語り』してきたんじゃねぇの?」
「うん……でもね」
「でも?」
奏は立ち上がり出窓の際まで来て、私を覗き込むようにした。
ガバッと顔をあげる。
奏は驚いたように、少し後ずさる。
「私っ、奏と奏の区別つかなくなってるかもしれないっ!!」
「は?」
奏は間抜けな声を出した。
「だからっ、フィギュアの奏がいることに慣れすぎて、ホントの奏と区別つかなくなってるの!」
奏は呆れたように、私を見る。
「当たり前だろ?どっちも『夜宮奏』だ」
私は首を横に振る。
「『私』が問題なのっ!!」
「夕莉が?」
奏が首を傾げる。
「私の認識が、本物だったのか、フィギュアの奏だったのか、ごっちゃになってんの!!」
「へぇー?」
奏は少しにやっとして笑った。
え、今の要素に笑うとこある?
「今日もさ、葵さんにめちゃくちゃ突っ込まれて……」
奏の目が少し意地悪そうに灰色を増し、私に落とされる。
「何喋った?」
うっとなる。
私は手をモジモジとしながら、視線をそらす。
「いや……それは……えっと、奏のインタビューは朔脚本だった、とか……?」
ぶはっと声をあげて奏は笑った。
「それさ、メンバーしか知らねぇヤツ!!」
「やっぱそうだよねっ!!なんてこと、私に漏らすのよっ!?」
私は立ち上がり、奏に詰め寄る。
「夕莉なら、誰にも喋んないと思ったんだよ。それが……」
まだ笑ってる。
「まさか、無意識とは……」
まだ、笑う?
「ごめんって!」
ひとしきり笑った後、奏はソファに座り直す。
「ま、いんじゃね?」
「いや、葵さんに『ホントは奏に会ったことあるんじゃないか』って疑われてんだよ!?」
奏は真顔になった。
「間違ってないじゃん」
「いやっ、間違ってはないけど、言えるかっ」
「誤魔化した?」
「誤魔化した」
私も座り直す。
それから、クッションを抱えて顔を埋める。
「……私の生活どうなんのよぉ」
それを見て、奏は息をひとつ吐いた。
「仕方なくね?」
ぎろっと私は奏を見上げる。
奏は一瞬、たじろいだ。
「……じゃあ、俺、出てけばいい?」
ガバッと顔をあげ、私は奏を見た。
いつもの煽るような表情とも、茶化すような表情とも、違っていた。
深い灰色が奥で揺れているように見えた。
「それは、だめっっ!!」
私は反射的に答える。
にっ、と少しだけ奏は唇の端をあげた。
「うん……それはわかってる」
ほっとしたような、響き。
私も、ほっとする。
「だ、だいたい、あなたは3万円もするフィギュアなのよっ」
照れを誤魔化すように、私はつけ足す。
「3万円、な」
奏はくすっと笑う。
「まだ、元取れてねぇよな?」
再び立ち上がった奏は、煽るような表情であからさまに私を見下ろして、指差す。
今は、いたずらっ子みたいな淡い灰色の瞳。
「元、とらせてやろうか?」
放心……。
どれくらい?一瞬?
私の意識は飛んでいた。
「無理っ」
心臓がバクバクしてる。
顔中熱いっ。
奏の顔が、フッと元に戻る。
「……冗談」
そう言ってソファに戻る。
「……いなくならないで?」
私は少しだけ真面目に言う。
奏は一瞬驚いたような表情を見せて、
「わかってるって」
と、苦笑する。
それから、
「まだ元とってねぇしな」
にやっとする。
「だからっ、煽らないでっ!!」
私はクッションに顔を埋めた。
「十分、元とれてんのよっ、あなたのおかげでっ!!」
「そりゃあ……残念」
奏の残念そうな声が聞こえた。
ほんっと、いい性格してるよ。
……私の推し、こんな人だった?




