30.推し、ここにいる
「ただいま……」
私はなんとか家まで辿り着き、玄関ドアを開けた。
玄関に座り込み、少し休もうとする。
奏が走って寄ってくる。
「夕莉?」
私は力無い目で奏を見る。
「あ、奏、ただいま」
そのまま壁にもたれ掛かる。
「ちょっ……夕莉?どうした?」
奏が珍しく、慌てて駆け寄る。
「ちょっとね……熱が……」
そこまで言って、意識が飛びそうになる。
「夕莉っ!?」
「あ、うん、大丈夫」
奏の大声に、意識がはっきりする。
私は体を引きずり、ベッドまで辿り着く。
「……着替え……」
奏がそこにいるけど……。
今日はちょっと無理かな。
その場で着替えを始める。
「ちょっ……夕莉?」
少しだけ顔を赤らめながら、奏は後ろを向く。
「ごめんね、ちょっと今日は移動する元気、ない」
もたもたと着替えを済ませ、私はそのまま布団に潜る。
枕元に、奏が来る。
「……夕莉、大丈夫か?」
奏の心配そうな声。
ふふっ。
ちょっと貴重だね。
それから、あっと気づく。
「ねぇ、奏には、風邪うつんない?」
奏は少し驚いた顔をして、それから困ったように笑った。
「たぶん、大丈夫だろ?だって……俺、フィギュアだから」
「うん、ならいい」
私はそう答えて、ゆっくりと目を閉じる。
そっと、奏の小さい手が私の額に触れた。
熱を持たない、ひんやりとした手が心地いい。
それから、優しく、髪を撫でていく。
こんな萌え状況、普段の私なら悲鳴をあげているだろう。
でも、今日はもう、体が動かない。
意識がゆっくりと、落ちていく。
「……奏の手……気持ちいい……」
私の意識はそこで途切れた。
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眠りに落ちたのを確認すると、奏は撫でていた手を止める。
ふぅーっと長い息を吐く。
「……俺、なんもできねーじゃん……」
寝顔に向かって、呟く。
少し、拗ねたように。
「……奏……」
寝言に、ドキッする。
「ここに……いて……」
意外なその言葉に、奏は目を見開く。
それから、ふっと顔を綻ばせて、また髪を優しく撫でる。
「あぁ、ここに、いるよ」
その答えは、誰にも届かない。
でも、穏やかな気持ちで奏は髪を撫でていた。




