第9話 恋をすると、魔法は壊れる?
空は突き抜けるように青い。
それなのに、わたくしの視界は灰色にくすんでいた。
「――第3部隊、展開用意」
セオドア先生の声が、メガホンを通して演習場に響く。
今日は年に一度の「全校合同魔法演習」。
広大な草原エリアを舞台に、数百人の生徒が魔法障壁を展開する大規模な訓練だ。
わたくし、ミレイユ・フォン・クラウゼルは、その最前列に立っていた。
隣にはエドガー様。
完璧な布陣。
周囲からは羨望の眼差し。
けれど、わたくしの中身は空っぽだった。
(……うっとうしいんだよ、お前)
レオンの声が、耳の奥で呪いのようにリフレインする。
昨日の雨の冷たさが、まだ骨の髄に残っているようだった。
眠れなかった。
泣きすぎて、涙も枯れた。
「ミレイユ、集中してくれ」
エドガー様が、冷ややかに囁く。
「君の魔力供給が遅れている。僕の計算が狂うだろう?」
「……申し訳ありません」
「謝罪はいい。結果を出せ。君はクラウゼル家の誇りなのだろう?」
誇り。
そんなもの、もうどうでもよかった。
レオンに見捨てられたわたくしに、なんの価値があるというの。
杖を握る手に力が入らない。
体内の魔力は、鉛のように重く沈殿している。
動かない。
流れない。
息をするのも苦しい。
「開始!」
号令と共に、数百本の杖が一斉に空を向く。
光、炎、風。
多色の魔力が空中で絡み合い、巨大なドーム状の結界を編み上げていく。
美しい光景のはずだった。
ズキンッ。
胸の奥が痛んだ。
ペンダントがある場所。
そこが、焼け付くように熱い。
(……え?)
足元がぐらつく。
地面から、またあの「地響き」が伝わってくる。
ズズズズズ……。
地下の怪物が、飢えた口を開けて、わたくしの「絶望」を啜ろうとしている。
「おい、クラウゼル嬢の様子がおかしいぞ!」
誰かが叫んだ。
わたくしの身体から、勝手に光が漏れ出していた。
それも、いつもの柔らかな治癒の光ではない。
刺々しく、攻撃的な、悲鳴のような光。
「ミレイユ、制御したまえ! 結界のバランスが崩れる!」
エドガー様が叫ぶ。
無理です。
止められない。
わたくしの中から、何かが無理やり引きずり出されていく。
『……助けて……』
幻聴が聞こえた。
地下の水晶の中にいた、あの母の声?
それとも、わたくし自身の心の叫び?
「あ、あああああ……ッ!」
悲鳴とともに、世界が白く染まった。
ドオォォォン!!
わたくしを中心に、光の柱が天を突いた。
構築途中だった数百人の結界が、ガラス細工のように粉々に砕け散る。
衝撃波が草原を薙ぎ払い、生徒たちが吹き飛ばされる。
「きゃあああ!」
「な、なんだこれ!?」
「退避! 全員退避しろ!!」
阿鼻叫喚。
先生たちが必死に防御魔法を展開するが、わたくしの光はそれさえも喰らい尽くして膨張する。
痛い。
身体が引き裂かれるようだ。
魔力が枯渇してもなお、魂そのものを燃料にして燃えている。
(これが、恋をした罰?)
(身分不相応な夢を見た、報いなのですか?)
意識が遠のく。
光の渦の中心で、わたくしは独りぼっちだった。
エドガー様は?
彼は真っ先に後方へ跳び退いていた。
冷たい目で、わたくしの暴走を「観察」していた。
ああ、やっぱり。
誰も、わたくし自身を見てはくれない。
このまま燃え尽きて、消えてしまえばいい。
そうして目を閉じかけた、その時。
「――諦めんじゃねええええッ!!」
轟音を切り裂いて、野太い怒鳴り声が聞こえた。
目を開ける。
眩い光の向こうから、黒い影が突っ込んでくる。
防御魔法もなしに。
身一つで。
暴れ狂う光の奔流を、まるで紙切れのように引き裂いて。
「レ、オン……?」
幻覚だと思った。
だって彼は、わたくしを拒絶したはず。
迷惑だと言ったはず。
でも、影は実体を持ってそこにいた。
制服はボロボロで、頬から血を流して。
それでも、その瞳だけは、あの夜と同じように真っ直ぐにわたくしを見ていた。
「バカ野郎! 勝手に終わろうとしてんじゃねえ!」
彼は光の渦に手を突っ込み、わたくしの腕を掴んだ。
ジュッ、と肉が焼ける音がした。
「レオン! 離して! あなたまで死んでしまいます!」
「うるせえ! お前が泣き止むまで、離すかよ!」
彼は強引にわたくしを引き寄せ、その胸に抱きとめた。
ドクンッ!!
世界が揺れた。
二人の接触点から、凄まじい衝撃波が放たれる。
けれどそれは破壊の光ではなかった。
彼から流れ込んでくるのは、圧倒的な「闇」のような深い魔力。
それが、暴走していたわたくしの「光」を優しく包み込み、中和していく。
熱さが消える。
痛みが引いていく。
代わりに満たされるのは、どうしようもないほどの安心感。
「……なんで」
彼の胸に顔を埋めたまま、嗚咽が漏れた。
「嫌いって……言ったくせに……」
「嘘に決まってんだろ、バカ」
彼はわたくしの頭を、壊れ物を扱うように抱きしめた。
「お前を巻き込みたくなかったんだよ。……でも、俺が間違ってた」
彼の心臓の音が、トクントクンと早く打っているのが聞こえる。
それはわたくしと同じリズムだった。
「お前がいないと、俺の魔力も制御できねえ。……俺には、お前が必要なんだ」
その言葉だけで、十分だった。
わたくしの絶望は、春の雪解けのように消え去った。
暴走していた光の柱が、キラキラとした光の粒子に変わり、演習場全体に優しく降り注ぐ。
荒れ狂っていた風が止んだ。
静寂が戻ってくる。
わたくしたちは、数百人の生徒と教師が見守る中、草原の真ん中で抱き合っていた。
「……はは。派手にやったな」
レオンが苦笑して、顔を上げた。
周囲を見渡す。
惨状だ。
地面は抉れ、結界装置は黒焦げ。
そして、何重もの防御魔法を展開した教師たちが、鬼のような形相でこちらを取り囲んでいた。
「そこまでだ、二人とも!」
セオドア先生が杖を突きつける。
後ろには、武装した警備員たち。
そして、その輪の外側には、無表情のエドガー様が立っていた。
「アークライト、クラウゼル。魔力暴走および校則違反の現行犯で拘束する」
先生の宣告。
もう、言い逃れはできない。
退学どころか、もっと重い処分が待っているだろう。
怖い。
足が震える。
でも。
「……大丈夫だ」
レオンが、わたくしの手を強く握った。
彼の手は火傷だらけで、ボロボロだったけれど。
今までで一番、力強かった。
「俺が守る。何があってもだ」
その言葉に、わたくしは頷いた。
淑女としての未来も、家の名誉も、全部失ってしまったかもしれない。
けれど、後悔はなかった。
わたくしは、初めて自分の意志で選んだ人の手を、握り返した。
「ええ……信じていますわ、レオン」
警備員たちが殺到してくる。
わたくしたちの短い学園生活は、ここで唐突に幕を下ろした。
そして物語は、学園の地下深く、隠された真実へと引きずり込まれていく。




