第7話 バレたら終わりの、秘密の訓練
「……息を止めろ。光が漏れてる」
耳元で囁かれた声に、わたくしはハッとして口を押さえた。
暗闇の中。
旧校舎の最上階、埃っぽい屋根裏部屋。
窓の外では、警備員たちの持つ魔導ランプの光が、サーチライトのように庭を行き交っている。
「あっちを探せ! 侵入者はまだ近くにいるはずだ!」
怒号が遠くから聞こえる。
心臓が破裂しそうだ。
怖い。
見つかったら退学?
いいえ、あんな秘密を見てしまった以上、もっと恐ろしい目に遭うかもしれない。
(お母様……どうして、あんなところに……)
瞼を閉じると、水晶の中にいた母の姿が焼き付いて離れない。
死んだと聞かされていた。
流行病で、安らかに眠ったと。
あれは嘘だったの?
父も、エドガー様も、みんな知っていたの?
恐怖と疑念が渦を巻き、体内の魔力が沸騰する。
指先が勝手に発光し始める。
「チッ、またかよ」
隣に潜んでいたレオンが、わたくしの手を乱暴に掴んだ。
「落ち着けって言ってんだろ。お前が光ったら、ここが標的になる」
「で、できません……! 止めようとすればするほど、溢れて……!」
「あーもう、クソッ!」
彼は悪態をつくと、わたくしを強引に引き寄せた。
背中にある古びたソファーに押し倒される。
埃が舞う。
逃げる間もなく、彼が覆いかぶさってきた。
「な、何を……!?」
「静かにしろ。……『中和』する」
彼の胸が、わたくしの胸に押し付けられる。
ドクンッ。
心臓の鼓動が直に伝わる距離。
彼の体温が、ドレス越しに染み込んでくる。
不思議な感覚だった。
沸騰していたわたくしの光の魔力が、彼の闇のように深い魔力に吸い込まれていく。
熱いのに、心地よい。
恐怖で震えていた身体が、彼に包まれている部分から溶けていくようだ。
「……んっ」
「……変な声出すな。気が散る」
レオンの声も少し掠れている。
暗がりで目は見えないけれど、彼の吐息が鎖骨にかかるたび、背筋に電流が走る。
窓の外を、強い光が横切った。
警備員のライトだ。
二人は息を潜め、石像のように固まる。
秒針が進むような沈黙。
やがて、足音と光は遠ざかっていった。
「……行ったか」
レオンがふぅ、と長い息を吐き、身体を起こした。
重みが消える。
途端に、強烈な寂しさが襲ってきた。
わたくしは震える手で、自分の胸元を握りしめた。
「……レオン」
「なんだ」
「わたくし、どうなってしまいますの? お母様のことも、この魔力も……」
涙声になってしまう。
完璧な令嬢の仮面なんて、もう維持できない。
ただの怯える17歳の少女として、彼を見上げた。
レオンは月明かりの中、複雑な表情でわたくしを見ていた。
そして、乱れた黒髪をガシガシとかきむしる。
「……お前は何も悪くねえよ」
彼はぶっきらぼうに言い、床に胡座をかいた。
「ただ、今のままだとマズい。感情が揺れるたびに発光してちゃ、明日にはバレる」
「でも、どうすれば……」
「訓練だ」
「訓練?」
「ああ。お前の魔力制御は『抑え込む』やり方だろ? 貴族特有の、感情を殺す教育だ。でも、今の爆発的な魔力量にはそれが合ってねえ」
彼はわたくしの手を取り、自分の手のひらに乗せた。
「抑えるんじゃなくて、流すんだ。俺に」
「あなたに?」
「俺の体質は『魔力欠乏』に近い。いくらでも吸ってやる。だから、感情を否定するな。怖いなら怖がれ。……誰かを好きになりそうなら、それも認めちまえ」
好きになりそうなら。
その言葉に、心臓が跳ねた。
彼はどんな顔で言っているのだろう。
逆光でよく見えないのが、今は救いだった。
「……やってみます」
わたくしは目を閉じ、彼の手を握り返した。
意識を集中する。
恐怖、不安、そして目の前の彼への信頼。
すべての感情を魔力に乗せて、指先から送り出すイメージ。
温かい奔流が流れていく。
彼の手が、それを優しく受け止めてくれる。
「……いいぞ。その調子だ」
「レオン、手が……熱いです」
「俺もだ。……やっぱ、お前の魔力、すげえ純度だな」
彼が少し身を乗り出した。
距離が縮まる。
手が触れているだけなのに、魂が口付けを交わしているような濃密な繋がり。
これが「共鳴」。
エドガー様とのダンスでは一度も感じたことのない、全肯定される感覚。
わたくしは薄目を開けた。
すぐ目の前に、彼の顔がある。
月明かりに照らされた、長い睫毛。
普段は意地悪な唇が、今は真一文字に結ばれている。
(……この人に、触れたい)
思考よりも先に、本能が動いた。
繋いでいない方の手が、彼の頬へ伸びる。
吸い寄せられるように。
「ミレイユ」
彼がわたくしの名前を呼んだ。
お嬢様でも、優等生でもなく。
その響きがあまりに優しくて、わたくしは動きを止めた。
「……これ以上は、訓練じゃなくなるぞ」
彼の声には、自制の色が滲んでいた。
わたくしの指先が、彼の頬に触れる寸前で止まる。
数センチの距離。
呼吸が混ざり合う。
もし今、彼が踏み込んでくれば、わたくしは拒まないだろう。
婚約者がいても。
校則があっても。
「……訓練では、いけませんか?」
問いかけてしまった。
答えを期待して。
レオンの瞳が揺れた。
彼が何かを言おうと口を開いた、その時。
キーンコーンカーンコーン……。
遠くの時計塔が、深夜の鐘を鳴らした。
無機質な音が、魔法を解くように二人の間に割り込む。
レオンはハッとしたように身を引き、立ち上がった。
「……時間だ。寮に戻らねえと、点呼に間に合わねえ」
背を向けた彼。
その耳が、微かに赤くなっているのが見えた。
「送ってく。警備の隙間は俺が探るから、後ろについてこい」
「……はい」
わたくしはドレスの埃を払い、立ち上がった。
足元はまだ覚束ないけれど、胸の恐怖は消えていた。
代わりに残ったのは、焦がれるような痛み。
この夜の秘密の訓練を、わたくしは一生忘れないだろう。
そして同時に悟ってしまった。
これはもう、「間違い」ではない。
わたくしは、彼に惹かれている。
一番、恋してはいけない相手に。
暗闇の中、差し出された彼の手を、今度は迷わず握りしめた。
◇
**【経過時間:翌朝】**
寮の自室に戻り、泥のように眠った数時間後。
朝の光と共に、現実が扉を叩いた。
コンコンコン。
「ミレイユ様、起きていらっしゃいますか?」
メイドの声ではない。
聞き覚えのある、冷ややかな声音。
エドガー様だ。
心臓が早鐘を打つ。
昨夜のことはバレていないはず。
レオンが完璧なルートで送り届けてくれたから。
扉を開ける。
そこには、いつも通りの完璧な微笑みを浮かべた婚約者が立っていた。
「おはよう、ミレイユ。顔色が少し悪いね」
「お、おはようございます、エドガー様。少し……寝不足で」
「そうか。それは心配だ」
彼は部屋の中に視線を走らせ、それからわたくしの顔に戻した。
そして、手袋をした指先で、わたくしの制服の襟元をつまんだ。
「……君の制服に、蜘蛛の巣がついているよ」
「っ!」
旧校舎の屋根裏。
あそこでついたものだ。
気づかなかった。
エドガー様は、つまんだ白い糸をフッと吹き飛ばし、目を細めた。
「掃除の行き届いていない場所に行ったのかな? ……例えば、旧校舎とか」
鎌をかけられている。
喉が渇く。
ここで動揺してはいけない。
「……猫を探して、庭の茂みに入ったのです。それより、何か御用ですの?」
精一杯の虚勢。
エドガー様は数秒間、わたくしをじっと見つめ、やがてふわりと笑った。
「ああ、そうだった。学園長がお呼びだ。昨今の『魔力異常』について、重要なお話があるらしい」
「学園長が……?」
「君と、それからアークライト君も呼ばれているよ」
背筋が凍った。
昨夜の侵入がバレたのか。
それとも、地下で見た「お母様」の件か。
「行こうか。待たせると悪い」
エドガー様に背中を押され、わたくしは一歩を踏み出した。
朝日が眩しい。
けれど、わたくしの未来には、暗雲が立ち込めていた。




