表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋愛禁止の魔法学園で、婚約済み令嬢が一番恋してはいけない相手に落ちました  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/12

第5話 婚約者は正しくて、優しい人です

鏡の中に、知らない少女がいる。

純白のドレスに身を包み、髪を完璧に結い上げた侯爵令嬢。

誰からも羨まれる、エドガー様の婚約者。


「……笑って」


指先で頬を持ち上げる。

鏡の中の少女が、引きつった笑みを返してくる。

まるで精巧に作られたビスクドールのようだ。


今日は学園主催の「春の舞踏会」。

本来なら心躍るイベントのはずなのに、胃の底に鉛が入っているように重い。


コンコン。

控えめなノックの後、扉が開く。


「ミレイユ、支度は済んだかい?」


エドガー様が入ってきた。

夜会服を隙なく着こなした彼は、ため息が出るほど美しい。

けれど、わたくしを見るその目は、美術品を鑑定する学芸員のようだった。


「素晴らしいよ。今日の君は、どこに出しても恥ずかしくない」


「……ありがとう存じます、エドガー様」


「さあ、行こうか。今日のダンスで、僕たちの『結合』の深さを証明するんだ」


結合。

その単語に、背筋が粟立つ。

彼は優雅に手を差し出したが、その手には白い手袋がはめられていた。

校則第1条、接触禁止。

だから、彼の手を取ることはない。

指先を空中で重ねるふりをするだけだ。


わたくしは震える息を吐き出し、見えない手を取るように歩き出した。



大広間は、光と音の洪水だった。

シャンデリアが煌めき、オーケストラが優雅なワルツを奏でる。

しかし、フロアの光景は異様だ。


男女のペアが踊っているが、誰一人として触れ合っていない。

1メートルの距離を保ち、互いの魔力を糸のように繋いで、操り人形のように旋回している。

これが「魔導舞踏」。

接触せずに心を通わせるという、この学園独自の伝統。


「行くよ、ミレイユ」


エドガー様の魔力が、わたくしの腰に見えない紐を巻き付ける。

ぎゅっ、と締め付けられる感覚。

物理的な痛みはない。

でも、魂を鷲掴みにされたような不快感がある。


「はい……」


音楽に合わせてステップを踏む。

エドガー様のリードは完璧だ。

一ミリのズレもなく、わたくしを誘導する。

右へ、左へ、ターン。

わたくしの意思は関係ない。

彼の魔力が「右へ動け」と命じれば、わたくしの足は勝手に動く。


「いい動きだ。魔力伝導率も上がっている」


彼は満足げに囁く。

1メートル向こうの彼は、涼しい顔で微笑んでいる。


「次は第3楽章だ。少しテンポを上げるよ」


「っ、エドガー様、少し早すぎ……」


「君ならできる。僕に合わせて」


魔力の拘束が強まる。

息ができない。

まるで水槽の中で踊らされているようだ。

周囲からは「なんて息の合ったペアだ」「美しい」という称賛の声が聞こえる。

違う。

これは調和じゃない。

一方的な支配だ。


(苦しい……誰か、止めて……)


助けを求めようとして、視界が揺れた。

その時、ふと脳裏をよぎったのは、あの日の倉庫の暗がり。

レオンの、不格好で温かい上着の重み。

彼の魔力は、こんなふうに強制したりしなかった。

ただ隣にあって、わたくしを支えてくれていた。


「ミレイユ! 足元が乱れているよ」


エドガー様の鋭い声。

ハッとする。

わたくしはステップをもつれさせ、無様にバランスを崩しかけた。

とっさに魔力で姿勢を直すが、ドレスの裾を踏んでしまう。


ビリッ。

小さな音がして、純白の布が裂けた。


音楽は止まらない。

でも、エドガー様の顔から笑みが消えた瞬間を、わたくしは見てしまった。

失望。

そして、欠陥品を見る冷たい目。


「……休憩しようか」


彼は低い声で言い、魔力の糸をプツリと切った。

支えを失ったわたくしは、よろめきながら壁際へと下がった。



「君らしくないね。少し頭を冷やしてくるといい」


エドガー様にそう言われ、わたくしは逃げるようにバルコニーへ出た。

夜風が熱を持った頬を撫でる。

涙が出そうだった。

悲しいのではない。

自分が情けないのだ。


完璧な令嬢であるはずのわたくしが、ダンス一つ満足に踊れないなんて。

それに、エドガー様は正しい。

わたくしを美しく見せようと、完璧なリードをしてくれたのに。

それに応えられないわたくしが悪いのだ。


「……はぁ」


手すりに寄りかかり、深く息を吐く。

月が綺麗だ。

いっそ、このまま消えてしまいたい。


「シケた面してんなあ、元・新入生代表」


不意に、上から声が降ってきた。

驚いて見上げると、バルコニーの屋根の縁に、誰かが座っていた。

黒いベストに蝶ネクタイ。

ウェイター姿のレオンだ。


「レ、レオン!? そこで何をしてますの!?」


「バイトだよ、バイト。特待生は学費免除だけど、生活費は自腹なもんでね」


彼はひらりと身軽に飛び降りてきた。

音もなく着地する身のこなしは、猫のようだ。

手には銀のお盆。

そこには、グラスに入った炭酸水が一つ乗っている。


「ほらよ。喉乾いてんだろ?」


「……わたくしに?」


「他に誰がいんだよ。さっきから見てたけど、随分と窮屈そうなダンスだったな」


図星を刺され、言葉に詰まる。

彼はグラスを押し付けるように渡してきた。

受け取ると、冷たい結露が指先を濡らす。


「……わたくしのダンスは、完璧でしたわ。周囲も褒めていました」


「あいつらは節穴だろ。お前、ずっと息止めてたじゃねえか」


「っ……」


「あんなのダンスじゃねえよ。ただの遠隔操作だ」


彼は手すりに背を預け、夜空を見上げながら言った。

痛いところを突く。

でも、不思議と腹は立たなかった。

エドガー様は「結果」しか見ていなかったけれど、レオンは「わたくし」を見ていてくれたのだと分かったから。


一口、炭酸水を飲む。

シュワシュワと泡が弾け、喉の渇きを癒やす。

美味しい。

さっきの高級シャンパンより、ずっと。


「……ドレス、破けちまったな」


彼はわたくしの足元を指差した。

裾が少しだけ裂けている。


「ええ。これではもう、会場には戻れませんわ」


「貸してみ」


彼は懐から、またあの小さな工具セット……ではなく、今度は安全ピンを取り出した。

そして、片膝をついて、手際よく裾を留めていく。


「ちょ、ちょっと! 何をして……!」


「動くな。応急処置だ。裏から留めれば目立たねえ」


彼の指先が、ドレス越しに足首に触れる。

熱い。

心臓が跳ねる。

でも、嫌じゃない。

彼の作業は、魔法よりもずっと丁寧で、優しかった。


「……よし、これでいい」


彼は立ち上がり、満足げに頷いた。


「あんたは魔法が下手なわけじゃねえ。ただ、相性が悪いだけだ」


「相性?」


「あの優等生野郎の魔力は、お前を型枠に嵌めようとする。でも、お前の魔力はもっと……自由になりたがってる」


彼は真剣な目でわたくしを見た。

その瞳に、自分の情けない顔が映っている。


「無理して笑うなよ。ブサイクだぞ」


「……無礼ですわよ! ……でも」


わたくしは、もう一度炭酸水を口に含んだ。

泡が鼻にツンときて、涙が滲んだ。


「……でも、ありがとう。美味しいですわ」


素直な言葉がこぼれた。

レオンは少し驚いた顔をして、それからフッと口角を上げた。


「どういたしまして、お嬢様」


その笑顔を見た瞬間。

わたくしの中で、何かが音を立てて崩れた。

それは「完璧な令嬢」としての仮面か、それとも「エドガー様への義務感」か。


ガチャン。

バルコニーの窓が開く音がした。


「ミレイユ、ここにいたのか」


エドガー様だ。

わたくしは弾かれたようにレオンから離れた。

レオンは瞬時にウェイターの顔に戻り、恭しく一礼して闇に紛れようとした。


「……待て」


エドガー様が呼び止める。

その視線は、わたくしではなく、レオンの背中に向けられていた。


「君、名前は?」


「……ただのバイトです」


「そうか。……君からは、不快なノイズを感じるな」


エドガー様は氷のような瞳でレオンを一瞥し、わたくしに手を差し出した。


「さあ、戻ろうミレイユ。次はラストダンスだ」


その手を取らなければならない。

それが正しい選択だ。

でも、わたくしの視線は、闇に消えていくレオンの背中を追っていた。


彼の背中が、何かを言いたげに一瞬だけ止まり、そして学園の地下へ続く階段の方へと消えていったのを、わたくしは見逃さなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ