第4話 恋愛禁止なのに、心拍数が異常です!
味がしない。
最高級の茶葉を使っているはずの紅茶が、まるで白湯のようだ。
学園のカフェテリア。
貴族専用エリアのテラス席で、わたくしはサンドイッチを口に運んでいた。
向かいには、婚約者のエドガー様がいる。
周囲からは「絵になるお二人」と囁かれているけれど、わたくしの中身はそれどころではない。
苦しい。
コルセットをきつく締めすぎたわけではない。
エドガー様と向き合っているだけで、水中に沈められたように息が浅くなる。
「……ミレイユ、手が止まっているよ」
「! 申し訳ありません、少し食欲がなくて」
「困るな。午後は回復魔法の演習だろう? 君の『聖女』としての資質を見せる大事な場だ」
エドガー様はナイフで果物を綺麗に切り分けながら言った。
心配しているような口調。
でも、その瞳はわたくしの顔色ではなく、制服の校章(成績上位者の証)を見ている気がする。
「君はクラウゼル家の傑作だ。傷一つ、汚れ一つあってはならない」
「……はい」
「あの問題児――アークライトとの件は、教師に抗議しておいたよ。君の経歴に傷がつくからね」
レオンの名前が出た瞬間、心臓がドクンと跳ねた。
苦しさが一瞬だけ和らぎ、代わりに熱いものが胸に広がる。
(どうして、あの方の名前だけで……)
レオンの顔が浮かぶ。
ぶっきらぼうな物言い。
でも、倉庫で貸してくれた上着の温かさ。
『お前、光ってるぞ』と笑った、無防備な表情。
「聞いてるかい? ミレイユ」
「は、はい! もちろんですわ!」
「上の空だね。……まさか、まだ熱があるのかい?」
エドガー様が手を伸ばしてくる。
額に触れようとする指先。
それが蛇の鎌首に見えて、わたくしは反射的に身を引いてしまった。
ガタンッ。
椅子が音を立てる。
「……あ」
気まずい沈黙。
エドガー様の手が空中で止まる。
彼はゆっくりと手を下ろし、初めて眉をひそめた。
「避けられるとは心外だな。僕の手は、そんなに冷たいかい?」
「い、いいえ! 虫が……蜂が飛んできたのです!」
「……そうか。蜂なら仕方ないね」
彼は笑った。
でも、目が一切笑っていない。
わたくしは震える手で紅茶を飲み干した。
熱いはずの液体が、喉を通ると氷のように冷たく感じた。
◇
**【経過時間:同日の午後】**
魔法演習場は、独特の熱気に包まれていた。
本日の課題は「集団治癒」。
広範囲に回復の光を降らせ、傷ついた人形を修復するという高等魔術だ。
「それでは、クラウゼル嬢。手本を見せてくれたまえ」
セオドア先生に指名され、わたくしは中央へ進み出た。
これは得意分野だ。
光属性の適性を持つわたくしにとって、治癒は呼吸をするより簡単……なはずだった。
杖を構える。
集中する。
体内の魔力を練り上げる。
(……おかしい)
魔力が、重い。
いつもならサラサラと流れる光の粒子が、今日はドロリとした粘着質に感じる。
出口を求めて、体内で暴れ回っているようだ。
「どうした? 早く始めたまえ」
先生の声。
エドガー様が見ている。
他の生徒たちの視線も突き刺さる。
やらなければ。
完璧な姿を見せなければ。
「……『聖なる光よ、癒やしの雨となりて降り注げ』」
詠唱を紡ぐ。
杖の先から光が溢れる。
よし、いける。
そう思った瞬間だった。
ドクンッ!
心臓が早鐘を打った。
レオンの顔が脳裏をよぎる。
同時に、制御していた魔力が爆発的に膨れ上がった。
「――っ!?」
止められない。
光が強すぎる。
治癒の光じゃない。
これは、もっと熱くて、攻撃的な――。
「きゃあああ!?」
周囲の女子生徒が悲鳴を上げた。
わたくしを中心に、光の奔流が竜巻のように巻き起こる。
演習用の人形が吹き飛び、地面が抉れる。
回復魔法の暴走。
前代未聞の事態だ。
「くっ、魔力が逆流している……!」
杖を持つ手が熱い。
離したいのに、魔力が接着剤のように手を縛り付けている。
このままでは、わたくし自身が魔力に焼かれる!
「全員伏せろ!!」
セオドア先生が叫ぶ。
でも、誰も近づけない。
光の渦の中心で、わたくしは意識が遠のくのを感じた。
怖い。
助けて。
エドガー様、助けて――。
視界の端に、誰かが飛び込んでくるのが見えた。
金髪のエドガー様ではない。
黒髪の、制服を着崩した、あの男。
「バカ野郎! なにやってんだ!」
怒声と共に、光の壁を無理やり突き破って入ってきたのは、レオンだった。
彼の制服が魔力の摩擦で焦げている。
それでも彼は止まらない。
「レ、オン……?」
「手ぇ離せ! 吸い尽くされるぞ!」
「離れ、ないんですの……!」
「チッ、世話の焼けるお嬢様だ!」
彼はわたくしの懐に飛び込むと、杖を握っているわたくしの手ごと、自分の手で強く握りしめた。
バチバチバチッ!
二人の手が触れた瞬間、青白い火花が散る。
「ぐっ……お前の魔力、重すぎんだよ……!」
レオンが顔をしかめる。
でも、不思議なことが起きた。
わたくしの体内で暴れ回っていた熱い泥のような魔力が、彼の手を通じて急速に吸い出されていく。
代わりに流れ込んでくるのは、清涼な風のような彼の魔力。
「……ふぅっ!」
レオンが気合と共に杖を振り抜く。
暴走していた光の渦が、一瞬で収束し、空へと打ち上げられた。
ドォォォン!
上空で光が弾け、美しい花火となって消えていく。
静寂。
わたくしは力が抜け、その場に崩れ落ちそうになった。
それを、レオンが片手で支える。
「……おい。大丈夫か、優等生」
「は、はい……。あ、ありがとうございます……」
息も絶え絶えに答える。
至近距離にある彼の顔。
額に汗が滲んでいる。
わたくしのために、傷つくのも構わず飛び込んでくれた。
「ミレイユ!」
遅れて、エドガー様が駆け寄ってきた。
彼はレオンを睨みつけ、乱暴にわたくしの腕を引いた。
「離したまえ、アークライト。彼女に触れるな」
「……へいへい。助けた礼もなしかよ」
レオンは肩をすくめ、あっさりと手を離した。
その瞬間、強烈な寒気がわたくしを襲った。
彼から離れたくない。
本能がそう叫んでいる。
「これはいったいどういうことだ!」
セオドア先生が厳しい表情で歩み寄ってくる。
眼鏡の奥の瞳が、わたくしとレオンを交互に見ている。
単なる事故への懸念ではない。
もっと深い、警戒の色。
「クラウゼル嬢。君の魔力波形は異常だ。まるで……」
先生は言葉を切り、周囲の生徒たちに解散を命じた。
そして、わたくしとレオン、エドガー様だけを残し、低く告げた。
「放課後、生活指導室へ来なさい。……特に君だ、クラウゼル。君の『心』の状態について、詳しく聞かせてもらう必要がある」
心。
その単語に、心臓が痛いほど脈打つ。
これは病気ではない。
魔力酔いでもない。
ちらりとレオンを見る。
彼もまた、何かを察したように真剣な目でわたくしを見ていた。
エドガー様だけが、不愉快そうに眉間の皺を深めている。
わたくしは悟ってしまった。
この動悸の名前を。
そして、それがこの学園において、決して許されない「罪」であることを。




