【第七部】 第86話 復権、並びに懸案事項
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「主文。被告人を無罪とする」
2014年9月11日木曜日、午前10時。30分前から強まった雨音、裁判長の主文朗唱に上書きされた。
「本件において、検察が提出した証拠、いずれも信頼性に乏しく、証明力を欠くものであった。とりわけ、弁護人が提出した新証拠により、当初の有罪認定が重大な誤認に基づいていたことが明らかとなった」
4年半前の登場人物。検察側、地検あかね支部次長検事。そして黒衣の裁判官左陪席、当時は右陪席。いずれも表情を消し、蒼白。裁判長、一瞬、仄かな失望を浮かべ、言葉を継いだ。
「被告人が虚偽の書類を作成したとされる事実についても、新証拠により、関係者の綿密な共謀並びに偽計によるものであることが立証された、と認められる。一方、被告人は、長きにわたり沈黙を貫かれた。その姿勢、制度の限界と向き合う者としての覚悟であったと、当裁判所は理解する」
裁判長、その場に起立。被告人席の山城先生に向かい、深々と一礼。追い立てられるように、検察側と裁判官左右陪席、裁判長に倣った。裁判長、苦渋の表情で裁きの庭に幕を下ろした。
「本判決が、制度の信頼回復の一助となることを願います。被告人におかれては、今後もその知見と経験を、社会のために活かされたい。本法廷がその出発点となること、痛切な悔恨とともに、希望してやみません」
報道席、一斉に立ち上がり、摺り足で法廷を立ち去った。ドアの外、様々に報告。
「山城行政書士、無罪!」
「裁判長、異例の謝罪!」
伊勢先生、弁護人席で万感の表情。雨脚が再び、法廷の喧騒を上書きする。勝った…山城先生、勝った!
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「朱音ちゃん、直人君。そのまま、家は使ってちょうだい。事務所も直人君が経営者。いまさら、割って入るつもりはないわ」
「でも、山城先生。そんな、甘えっぱなしのようで…ねえ、直人」
「そうだよ。…山城先生、俺たち、動く準備してたんです。もともとは先生のお住まいですし」
山城先生、微笑みながらも、俺たちが差し出したカギの受け取りを固辞。中2の和音、小6の蒼志、いそいそと荷物の解き直し。
「じゃあ、山城先生。その…どちらにお住まいに?」
「当面、我が家にご逗留や。色々、片づけなあかん『懸案事項』もあるさかいにな。直人くん、ご協力、頼むでひとつ」
「伊勢先生、よろしくお願いしますわ。それに…あまり波風、立てなくてもいいのよ?」
伊勢先生、着々と「懸案事項」の片付けに着手。いまや一国一城の主44歳、19年前は伊勢先生に子ども扱いされた俺。今回は不動明王の動き、まざまざと網膜に焼き付けた。
「…ほな、行政書士会はん、兄貴の復権、今日から成った思てもよろしいな」
翌日午前9時。伊勢先生、県行政書士会の窓口で、書類をドサッ。再審判決書写し、登記されていないことの証明書、住民票の写しなど、書式は一応完備。
「し、しかしですね、伊勢先生。行政書士会といたしましてはその…登録審査委員会での所定の審査を経ないとですね…」
「コレらやろ?…さ、審査、始めてんか」
伊勢先生に連行された審査委員会の面々、窓口で涙目の書類審査。問題なし。
「ほら、登録証や。パパーッとええ感じに、仕上げたって」
午前10時、山城先生の行政書士登録証、交付。伊勢先生、審査委員会の面々を解放。
「やればできる、ちゅうこっちゃ。みなはん、脇が甘いと、せんでもええ苦労しますなぁ」
午前10時半、県社労士会にて。同様の手続き。ただし、山城先生の再審を担当した裁判官左陪席、涙目の特別ゲスト。
「分かってまんな。社労士の再登録は中央の審査、っちゅうヤツが必要や。あんじょう、プッシュしたり」
左陪席、県社労士会の窓口で伊勢先生に携帯を渡され、全国社労士会某氏に決死の交渉。
「分かるだろ!シャレになってないんだ!本件、超特急で頼むっ!…学生時代の恩、いま返してくれっ!」
後先ない左陪席に、伊勢先生ニヤリ。
「ほな、裁判官はん、また来週」
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「伊勢先生、これはいくらなんでも呑めません!1億4,500万円って…1億がまるまる常識外です!」
「検察といたしましても…なんともはや、口添えのしようが」
翌週火曜日。伊勢先生、俺を連れて地裁あかね支部へ。山城先生冤罪に対する賠償請求。
「分かっとる。真水、つまり慰謝料は2,700万や。兄貴が警察に拘束されてから、出所まで5年の計算。それで、逸失利益、名誉毀損、精神的苦痛…2,500万円。『7割判決』好きやろ?賦課請求を7掛けして慰謝料にオン。4,500万円や」
「そこまでは理解します。だから、1億が」
伊勢先生、えびす顔から不動明王の形相へ。
「コラ裁判官。それにお前や、次長検事。お前らの法曹人生、こんちただいま強制終了したいんか?例の新証拠から、オドレらの名前やら送金記録やら」
「アーーッ!ゲフンゲフン!…伊勢先生、それは先般の再審公判と、社労士会への口利きで」
「オドレらの人生の値段、そないに安かったか…。残念やの。直人くん、いまから、あかねTV行くで」
「わ、分かりましたっ!分かりましたよっ!『冤罪被害者支援基金より、特例給付として1億円』…これでよろしいですなっ!」
伊勢先生、ニタァと笑みを浮かべ、裁判官左陪席と次長検事の肩をポンポン。
「そこは匿名で、頼んますわ。お互い、名前は大事でっしゃろ?」
そして、地方整備局、河川事務所、陸運局、県、市の各部局。山城先生の冤罪に関与した人々への「お礼参り」。お可哀そうに、河川事務所課長。執務時間中のダム決壊により、椅子と床、洪水。
「伊勢先生、アレじゃまるっぽ、私的制裁じゃないですか」
「直人くん、アホ言いないな。『制度の穴を埋めるための再調整』や。誤解したらアカン」
なるほど、よく分かった。タフシャインビル建設の原資。俺にはやっぱり、真似できない。
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「ご無沙汰しております、摂津様。奥様ともどものご発展、何よりです」
「何ですか…他人行儀ですよ、副支配人」
「…そうですね、あのときは二人で火中の栗、拾いましたもんね?懐かしいですね、詰め」
コラ、親しき中にも礼儀ありっ!いつしか2014年、年の瀬。俺は市議会民自党主催、賀詞交歓会の打ち合わせ。俺の「戦友」であるあかねグランドホテルのバンケット・チーフ、いまや副支配人。
「但馬さんのご不幸があって…俺がまた担当を仰せつかりました」
「また、やっても良いんですよ?あんな経験、なかなかできません。若い者にも引き継ぎを」
結構。そんなレガシー、残す必要なし。それでなくても、官庁周りで不思議な人事異動、そして勇退。伊勢先生のせいで、俺までコワモテ扱い。昭和のやり方…か。不本意だけど、但馬さん。アンタが懐かしいよ。