【第七部】 第85話 黙して語る者たち
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「えっと…消費税が5%から8%に上がったでしょ。オバマ大統領が『尖閣も日米安保の範囲内』って言って、安倍首相が集団的自衛権に舵を切った。北欧で北国が『行方不明者なら探します』て言って…」
朱音。そんな予習しなくても、山城先生は新聞、読んでるよ。運転しながら俺、後部座席で伊勢先生、共に苦笑い。
「あっそうだ、何よアレ!早く結婚した方がいいんじゃないかって?!」
俺、慌ててハンドルを握り直す。朱音、ここ高速道路、不規則発言は止めて!俺ら、結婚16年目。
「日本の首都よ、都議会よ?!お粗末な民度、本当腹が立つ!塩村さん、あんなのに負けちゃだめよ!結婚?妊娠?出産?女性ひとりでするもんだと思ってる、あのバカ発言!まったくの無能!…この場合、不能かな?」
2014年6月28日、午前8時。だから運転中、頼むから止めて。後ろで伊勢先生、失笑してるじゃないか。同じ地方議員の女性として、義憤を感じるのは分かる。でも、発言はTPO。「やる気があれば、できる」だろ?…いまのは発言管理、についてだぞ。
「…直人、あなたは大丈夫、ふふっ」
伊勢先生!この人、セクハラです!…もう、堪忍して。
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「山城先生…本当に、ご無沙汰しました。いまさらの面会、言葉もありません」
「朱音ちゃん、あなたが気にしないの。伊勢先生や直人君が気を遣ってくれた結果、ただそれだけよ」
午前11時、四国のとある刑務所。面談室、外のジメジメを一切感じさせず、エアコンが静かに作動している。看守の立会いはあるものの、強化プラスチックの板もなく、何の気なしの打ち合わせ、そのまま通用しそうな面会時間。
山城先生の逮捕、そして下獄。逮捕から5年近く、不当判決を受けてから4年3ヶ月近く。山城先生、朱音の市議活動に負の影響を与えないよう、身を引いた。伊勢先生と俺、山城先生の意を受け、山城先生から朱音を極力遠ざけた。何回、朱音に代わり、心のなかで馬謖を斬ったことか。いまは昔、もはや無罪放免は既定路線。土曜日に面会の優遇もまた、その表れ。
朱音、4年越しの市政のよもやま、山城先生に語った。山城先生、1時間半の面談を終え、静かに退席。
「直人。百聞は一見に如かず、ね。…山城先生、まるで聖人」
「そうだな。俗世から抜け出ちゃった感、あるな」
あかね市へ帰還の途上、朱音、しみじみと山城先生評。
「伊勢先生。山城先生はなぜ、黙秘を貫いたんでしょうね。あの方ならご自身の冤罪、きちんと証明できたでしょうに。いまさら天から降ってきたような証拠だって…とても怪しいわ」
朱音、改めて言う。いろいろ言えないこと、多いんだよ。伊勢先生も、俺も、鬼籍に入った但馬さんも。いや、但馬さんは別か。でっかい置き土産で充分、世間を引っ掻き回したから。
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「Happy birthday to you♪ Happy birthday to you♪ Happy birthday dear ひなた、蒼志君♪」
「それと、ウチのダンナ♪」
「Happy birthday to you♪」
2014年8月8日、午後7時。近江家にて、合同の誕生日会。…朱音、俺44歳だ。お誕生日はもはや、面映ゆいだけ。
信一さん和子さん夫婦から、大志さん裕美さん夫婦が譲り受けた邸宅。純和風の平屋。大学や高校が集まる区域から大通りを挟んだ、あかね市の高級住宅地。我が家から4km、環境は天地の差。今年不惑の大志さん、和装を好むようになった。家の雰囲気にピッタリだし、いかにも経営者の休息、っていでたち。
「おお…大志さんそれ、豊後先生の軍帽ですね?それに、ステッキも。懐かしい…」
「ええ、源蔵さんから形見分けで貰ったもんです。これ触ってると、源蔵さんや豊後先生がそばにおられるようで。手放せません」
今年の株主総会、大志さんにとって正念場。「あかねスーパー株式会社」ほか12社を経営統合、持株会社「あかね流通ホールディングス株式会社」の設立。そして、有言実行の信一さん、入り婿の大志さんに後事を託し、経営の第一線を退いた。現在、源蔵さんに倣い、地元財界の重鎮として、大志さんを側面支援。大志さんとうとう、総帥の道、歩み始めたか。
大志さん、書斎のドアに手を掛けた。夕方からの大雨、祝い事の喧騒、ドアの向こうに閉ざされた。ソファに身を沈め、俺を見やる。
「直人さん。実は、ご相談がありまして」
大志さん何?経営とかそういう大きな話、俺より顧問弁護士の伊勢先生が適任よ?俺のキャパ、せいぜい市井、市政どまり。
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「ひなたの…ことっす。気を回し過ぎなのは、重々承知しているんすけど」
警戒警報、発令。方向はちがうが、キャパを大幅に超えそうな重力感、そして圧。
「ひなたアイツ、蒼志君によく懐いてるじゃないですか」
と、トイレ行っといてよかった。危うく色々決壊するところ。背中を嫌な汗が伝う。
「…いえ、幼なじみですから、当然っちゃ当然っすよ、直人さん。ははは」
大志さん、プライベートの現状認識、甘め。
「直人さんは和音ちゃん、あかね西中に通わせてるじゃないですか。心配じゃないっすか」
「へっ?…あ、ボーイフレンドとか、それ系?…朱音も俺も、本人にお任せですし、ははは」
大志さん、肩をすくめて首を振った。
「ウチはもはや、そういうわけにはいかないんす。アイツの先行きも、残念ながら」
「いや…それは。もちろん、それぞれの事情ですから、俺が何か言うことじゃないと思いますけど、時代はもう、平成ですよ?」
「平成だから、余計に気を遣うんっすよ。この頃の中坊、マセ切ってる。何すか、あの『自撮り』。ペタンコ靴であかねモール、パタパタ歩いてスマホいじって、インスタ?ライン?…それに『生脚ストッキング』、意図が分からない。ラベンダーのTシャツ、アレはユニフォームっすか?最近ひなた、裕美に言ったらしいっす。『ミニバッグ欲しい』って。何用っすか?」
大志さん、先走りすぎ。ウチの和音だって、俺が見るに合致率4割。中学女子が全員そうなわけない。それにひなたちゃん、重力を操る天才よ?おチビのときから蒼志に波状攻撃、カマしてんのよ?ソッチの方がよっぽど心配。
「いっそ…蒼志君、ウチに貰いたいっす。しっかりしてるし、いまからひなたのダンナとして…」
キャーー!!止めてソレ、最悪の未来予想図!ウチの蒼志、近江家のハードゲームに巻き込まないで!
「ははは、冗談っすよ。摂津家の長男、勝手にもらうわけに行かんっしょ。…オレ、ひなた、あかね女子大付属にやるつもりっす。どうっすかね」
俺の無言を同意と取ったのか、大志さん居間に突入、ひなたちゃんに宣告。ひなたちゃん、淡々とパパに頷いた。
大志さん、俺は思う。アンタ、やらかした。ひなたちゃん、仮想敵を捉えた眼だったぞ。あかね西中で良かったんじゃないか?女子中、女子高、女子大って…。すまん、本件、ノーコメント。