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お坊ちゃんの初仕事

1.


 顕子の入内が終わったとの報せを聞いた後、芳昭はかねてからの計画どおり家を出奔した。以前、出会った外法師の言葉を聞き入れた形だ。

 けれど、家を出ていきなり途方に暮れてしまった。絵の修行をしたいと思ってはいるが、どうすればいいのか分からない。絵師に縁があれば、弟子入りを申し入れることもできるのだろう。けれど、これまで芳昭はひとりで絵を練習してきただけだ。たとえば絵師に知り合いがいるというわけではなかった。ぜひ弟子入りしたいと思う絵師も知らなければ、あるいは弟子を探している絵師のあてもない。

 たちまち困り果てた芳昭は、市にやってきた。

 市はさまざまな人々でにぎわっている。反物の店や畑で採れた菜を売る店、あるいは唐果物の出店……。芳昭はこれまで、きちんと市を歩いたことはなかった。さほど力がある家でもないが、それでも芳昭の生まれた立花家は貴族の一員だからだ。市での買い出しなどは、使用人が済ませてくれていた。

 あてもなく市をさまよいながら芳昭は途方に暮れた。行き交う人は多いものの、芳昭が声を掛けた数人はいずれも弟子を探していそうな絵師に心当たりがなかった。そのため、芳昭は暇を持て余してぼんやりと人の流れを見ていることしかできない。

 そうするうちに小腹が空いてきた。さて、どうしようかと芳昭は途方に暮れる。

 腹が空いたなら市で唐果物でも買えばいいのだが、と芳昭は目の前で衣と野菜を交換している八百屋の店主と客の取引を眺めた。

 この時代、お上から発行される銭の質が悪く、たびたび混乱が起きたため貨幣経済は衰退して物々交換が主流となっている。結局、お上の鋳造した銭はあまり使われていない。銭もいくらかは出回っているのだが、市で買い物ができるのは大陸から少量、輸入される輸入銭だった。

 こうした事情のため、貴族の家では使用人たちへの給与の支払いを衣で行っている。主人が脱いだ衣を、使用人たちに与えていた。衣は軽く、丸めて持ち運びが可能だからだ。今も目の前の市では、衣と米を交換する者、米と菜を交換する者の姿が見える。

 芳昭も家を出るときに、いくらかの米や衣を持って出てきた。とはいえ、それらは弟子入り先が見つかるまで大事にしなければならない。家にいた頃のように小腹が空いたからといって、気軽に唐果物を欲しがるわけにはいかないのだ。

 市を歩き回って絵師の情報を集めるうちに、空腹はどんどんひどくなっていった。しかし、それだけ動き回っても、絵師の知り合いがいるという者はいない。このままでは、今日は空腹のまま野宿ということになりそうだ。多少、覚悟していたこととはいえ、いざ直面してみるとなかなか過酷な状況である。

 ――家に帰ってしまおうか。

 芳昭がそんな誘惑に駆られたときだった。

《おいおい、帰りたいと思ってるんじゃないだろうな? これだから、貴族のお坊ちゃんは》懐から弘法の声がした。

 懐紙に包んで持ってきたのだ。

「か、帰りたいなんて思ってない!」

 芳昭は思わずそう見栄を張って声を上げた。周囲を歩く人々が不思議そうに芳昭を振り返る。それもそうだろう。多くの人間には、妖が意図しない限りその声は聞こえない。彼らには若者がひとりで声を発したように見えているはずだ。芳昭は両手で口を押さえて、通りの端っこ――家と家の合間の細い路地に入った。

「俺は絵師になると決めて家を捨ててきたんだ。帰ったりするもんか」

《へぇ、そうかい。だったら、ぼんやりしてないで、何かしたらどうだい?》

「そうは言うけど、弟子入り先が見つからないとどうしようもないだろ」

《別に絵師に弟子入りしないとならないなんて決まりはないさ。絵を描いて売るなりすればいいだろう》

「俺の絵が売れると思うのか?」

《さて、それはやり方次第じゃないか?》

 弘法に言われて、芳昭は考えこんだ。絵師でもない自分が絵を売る――そんなことが可能なのだろうか。いったい、どうすればいいのだろう。

 考えこみながら、芳昭は市へと戻った。何か参考になりそうな商売はないかと、目を凝らしてみる。よく見ると人々が集まっている物売りの多くは、人通りの多い場所にいたり、人目を引くように品物を並べたりしているようだった。逆に、通りの端にあるような物売りの出店などには、あまり客がいない。

 絵を売るにしても、通りのいい場所に出店をできればいいのだが――と考えたところで、芳昭ははっと気づいた。客を集めるために重要なことは、人目につきやすいということだ。だとすれば。

 芳昭は急いで通りの端にある反物売りの出店に歩み寄って、声を掛けた。

「もし、反物売りどの。俺は絵師なのだが、反物を宣伝するための絵を描かせてもらえないだろうか?」

 初老の女性の反物売りは顔を上げて、不審げに芳昭を見つめる。

「絵? ここは場所がよくないんだよ。絵なんかでお客が増えるかねぇ」

「疑うのなら、報酬はいらないよ。俺は駆け出しの絵師なんだ。だから、もし絵を描いてお客が増えたら、俺のことを皆に話してくれないか? 仕事を探している絵師がいるって」

「その条件ならば、まぁ、いいけれど……」

 反物売りは渋々といった調子で頷く。そこで、芳昭は家から持ち出した米を少し反物売りに渡し、白い布地を買った。

 少し離れた場所へ下がって、芳昭は荷物から小さな硯を取り出した。竹筒に入れてあった飲料用の水で墨を溶いて準備を済ませる。おもむろに懐から弘法を取り出すと、筆の付喪神は嬉しげに《よしよし、絵を描くんだな。ひとつ、素晴らしい絵にしようじゃないか》と言った。

 芳昭は静かに息を吐いて、白い布の表面に筆を置いた。そこに大原女の姿を描いていく。生き生きと働く女性の絵なら、きっと人々が身近に感じるだろう。そう思って描き始めたのだが、筆を進めるうちにいつしか大原女の面差しが顕子に似ていくようだ。

 ――今頃、顕子様は入内の準備をしている頃だろう。

 外で遊ぶのが好きな、男子のようにさまざまな学問がしたいと言った少女。けれど、彼女はその夢を叶えることなく東宮の妻となる。一方で、芳昭は彼女の夢見る学問を捨て、官僚として働くことを拒んで、絵師に弟子入りしようとしている。

 ――世の中、ままならないものだ。

 そう思いながら、芳昭は絵を描きあげた。そうして、完成した布を持って反物売りの元へ戻る。

「すまないが、棒か何かないだろうか? これを高く掲げれば、きっと皆の目を引くことができると思う」

 芳昭が絵を見せると、反物売りは目を丸くして言った。

「なかなか上手いじゃないか! 気に入ったよ!」

 早速、芳昭は反物売りと二人で絵を描いた布を棒の先に付けて、人目に付きやすい場所に立てた。道を行く人々は、絵に興味を示して少しずつ店に立ち寄りはじめた。もちろん、人通りの多い場所の店と同じようにとはいかない。それでも、最初に比べれば客足が多くなったと言える。

 反物売りが客に対応しているのを、芳昭は少し離れた場所でしばらく見守った。反物売りの店には、品物を買いに来た客だけでなく周囲の出店の主も訪れているようだ。反物売りは最初の芳昭の条件を守って、彼らに芳昭が宣伝用の絵を描いたのだと説明を繰り返していた。

《店の宣伝のための絵を描くというのは、なかなかいい考えだったな》弘法が言った。

 そのときだ。反物売りから話を聞いた男が一人、芳昭の方へ近づいてくる。

「あんたは絵が上手いそうだな。うちは菜売りなんだが、あまり客が足を止めなくてな。菜は反物と違ってあまり長い間、置いておくことはできない。今日、売ってしまいたいんだ。いくらか米をやるから、絵を描いてくれないか?」

「いいよ」

 芳昭は二つ返事で菜売りの依頼を受けた。早速、前払いで受け取った米の一部で反物売りから布を買い取り、そこに絵を描く。今度の絵はおいしそうに菜を食べている庶民の子どもの絵にした。

 絵が完成して、菜売りと一緒に人目につく場所に飾る。そのときだ。「もし」と芳昭に後ろから声を掛けた者があった。振り返れば、芳昭より少し年上に見える青年がそこに立っている。

「あなたも仕事の依頼だろうか? 少し待ってくれ。もうすぐ話を聞けるようになるから――」

 芳昭が言うと、青年は首を横に振った。

「仕事じゃないよ。私は絵師の和泉一重の弟子で、八郎という者だ。市から帰ってきた知人が『市で絵の上手い子どもが商売をしてる』と言ってね。師匠が見に行ってこいと私に言ったんだ」

「あなたの師匠はなぜ、俺に興味を示したのだろう?」

「君は弟子入り先を探していると言っていたそうじゃないか。私はもうじき独り立ちするのでね、師匠が助手のできそうな弟子を探しているんだ。私と一緒に来てくれないか?」

 青年――八郎に言われて、芳昭は考えこんだ。

 和泉一重という絵師について、芳昭は何も知らない。八郎は誠実そうに見えるが、見た目だけで他人を判断するのは危険だ。もしかすると芳昭を騙そうという計略なのかもしれない。また、計略とまではいかなくとも、和泉一重が箸にも棒にも掛からないような不味い絵師だという可能性もある。

 ――こっちが和泉一重を試してやろう。

 そんな思いで芳昭は八郎についていく。

 いざ絵師の仕事場を訪れると、そこでは初老の男が真剣な表情で絵を描いていた。どこぞの貴族から依頼を受けたのだろう。一重は巧みな筆さばきで大きな紙に人物を描いていく。どうやら、後で屏風に仕立てるのだろう。

 画風はこのごろ流行の大和絵のようだった。引目鉤鼻(ひきめかぎばな)の貴公子と姫が向かい合って座っている。物語の一場面が題材らしい。八郎がそっと芳昭に「あれは『蜻蛉日記(かげろうにっき)』の一場面だよ」と耳打ちしてくれた。

 その声で気づいた絵師が、仕事を中断してやってくる。

「お前さんが市で絵を描いていた少年か! 聞いた話ではどうやら弟子入り先を探しておるようだが、どうだい、うちに弟子入りするのは」

「そうできれば、ありがたいです。しかし、本当にいいのですか?」

 芳昭が尋ねると、一重は「ただし」と言葉を続けた。

「ここで絵を描いてみてくれないか? その絵を見て、弟子に取るかを考えたいのだ」

 つまり、試験ということか。

 芳昭は大学寮での試験を思い出して、腹が痛くなってきた。博士から質問されても、教わったはずのことが思い出せない。それどころ、緊張のせいでおかしな受け答えをしてしまうあの苦しみ――。

 ――いや、試験に怯んじゃだめだ。

 絵師に弟子入りできなければ、家を捨てた芳昭にはもはや生きる術がなくなってしまう。腹を括って絵を描くしかない。芳昭は心を決めて絵師に「分かりました」と応じた。


2.


 絵師・和泉一重の試しに合格して弟子入りした三年後。芳昭は一重の弟子として忙しく過ごしていた。普段は師匠の絵の制作の手伝いをし、自らも絵を描いて練習する。それだけではなく、月々の市が立つ日には市へ出かけて、そこで出店を出して店の看板描きなどを請け負った。

 芳昭としては、家を出て最初に市で看板描きをしたのは、急場をしのぐためでしかなかった。けれど、話を聞いた師匠が大いに面白がり、修行のために市のときに看板描きの出店を出すようにと言ったのだ。

 三年間、市が立つたびに出店を出しているので、看板描きの仕事は少しずつ増えている。さらに、少し懐に余裕のある庶民が、家族に扇を贈るので絵を描いてほしいと頼みにくるということもあった。

 そんな風にして過ごしたものの、芳昭は行き詰まりを覚えていた。一重に弟子入りして、毎日、絵を描いて、確かに絵の腕は上達した。弘法もそのことは認めている。市でも芳昭の描く布の看板は人気だ。

 それでも、このところ自分の描く絵にどうも納得がかない。さまざまな描き方を覚えた今よりも、弘法にせっつかれて絵を描き始めた昔の方が、より生き生きと活気のある絵を描けていたような気がする。

 芳昭がそう思い悩むのには、理由があった。一年前に入ってきた弟弟子の喜太夫の方が、絵の才能があるように思うのだ。

 そんな不安を抱えながら、市から師匠の家に戻ったときのことだ。師匠の制作場から声が漏れきこえてくる。どうやら師匠と芳昭の弟弟子にあたる喜太夫が話しているようだった。

「うん、よく描けておるな、喜太夫。お前は風景が得意だな。今度の襖絵の風景の手伝いをしてもらおうか」

「ありがとうございます!」

 その会話に芳昭は凍り付いた。自分は弟子入りしてから二年ほど、師匠の仕事の手伝いをさせてはもらえなかった。しかし、喜太夫は昔の自分よりも早く認められている。

 ――このままでは、俺はもう成長の限界なのかもしれない……。

 思い余った芳昭は、その日の夜に荷物をまとめてひとり、師匠の家を後にした。どこへ行くという宛てもない。都を出てひとり東へと向かう。都育ちの芳昭からすれば、東はずいぶんと鄙びた土地だった。都ほどに人は住んでおらず、質素な家が集落に少しばかり寄り集まっている。領国を治める貴族や、土地に住み着いた武士の邸も目にすることはあるが、都の大貴族の邸と比べると小さなものだ。

 旅をして分かったことだが、絵を描く以外に取り立てて能のない芳昭でも、何とか食料や衣を確保することは可能だった。芳昭が米や衣と引き替えに絵を描くと言えば、多くの村人たちは快諾してくれるのだ。

 そんな風にして、路銀を稼ぎながら旅をつづけるうち、芳昭は近江の国に至った。近江の国は湖の水を利用して水運が可能なため、比較的、豊かな土地だ。旅人もどことなく多い気がする。

 芳昭はたまたま他の旅人の一団と山道で一緒になった。話を聞くに、彼らはおそらく受領(ずりょう)を任命された貴族の身内で、任国へ向かおうとしていたのだろう。国司は任国の等級によって(かみ)(すけ)(じょう)(さかん)に分類される。そのうち、介、掾、目には現地に赴かない遙任国司(ようにんこくし)となることが許されていた。一方、国の全権を司る守だけは受領国司として現地に赴かねばならない。旅の一団はその身内のようだった。

 ちょうど峠に差しかかったとき、野盗が芳昭たちの前に現れた。

 野盗は見える範囲で五人ほど。女、子どもが数人いる集団ということで、麓から旅人たちに目を付けていたのかもしれない。「身ぐるみすべてこちらに寄越せ」と凄む野盗たちに、芳昭は眉をひそめる。

 もしも自分ひとりであったならば、貧乏な旅人ひとりで見逃されていたかもしれない。山道を歩くのに集団の方が獣除けになるからと、他の旅人と一緒に峠越えをしようとしたのが仇になったようだ。

 ――逃げてしまいたい。

 芳昭は一瞬、そんな欲望に駆られた。そのときだ。

《おいおい、女や子どもを(おとり)にして逃げようとは考えていないだろうな?》懐から弘法が皮肉げな口調で言う。

 もちろん、筆の付喪神である弘法の声は他の皆には聞こえていない。芳昭は言い返したかったが、そうすると傍目には野盗の前で独り言を言うおかしな人間ということになってしまう。それで野盗が怯んでくれればいいが、不審がられて斬りつけられる可能性があった。それに。

 ――女、子どもを置いて逃げるわけにはいかない。

 もともと武術は苦手だ。野盗に立ち向かったところで返り討ちにされるだけかもしれない。学問や武術、嫡子として家を継ぐ義務から逃れ、さらにそこまでして選んだ絵からも逃げようとしている。それでも、保護すべき弱い立場の者を見捨てれば、救いようのない卑怯者になってしまう。今まで何ひとつ成し遂げられなかったが――いや、成し遂げられなかったからこそ、外道に堕ちるわけにはいかなかった。

「逃げろ!」

 芳昭は受領の家族の一団に叫んで、自分は野盗に向かっていった。刀は持っていないため、叫びながら荷物を振りかざして野盗の一人に殴りかかる。

 野盗たちは芳昭の行動が予想外だったのか、にわかに浮き足立った。さらに、五人ほどいる野盗のうち二人が逃げ出していく。どうやら野盗たちはこちらが思うほど襲撃に慣れているわけではなさそうだった。

 ――皆、早く逃げてくれよ……!

 そう祈りながら、芳昭は野盗の一人を荷物で滅茶苦茶に殴った。しかし、怯んで逃げてくれたのは二人だけ。芳昭が殴りかかった一人は反撃に転じようと刀を振り回した。その切っ先が命中して、荷物を取りまとめていた布が切り裂かれる。中の日用品や絵の道具がこぼれ落ち、地面に散らばった。

 さらに他の二人の野盗は芳昭には構わず、逃げた旅の一行を追いかけていく。

「クソッ。邪魔しやがって! 後悔させてやる!」

 芳昭が対峙していた野盗は、そう叫んで斬りかかってこようとした。そのときだ。

「――野盗を捕らえろ! 取り逃がすな!」

 勇ましい少年の声。同時に林の中から数人の武士が現れる。率いているのは若い武者のようだった。単衣に袴姿で太刀だけを携えたその若武者は、小柄でほっそりとしている。幼そうに見えるが、髷を結っていることからして元服は済んでいるのだろう。小兵ながらも自信に満ちた様子で、引き連れていた三人の武士に「他の野盗を追え」と命じた。

 三人は命令を受けて、即座に旅の一団を襲撃に向かった野盗たちを追っていく。後には若武者ひとりが残った。

 芳昭と組み合っていた野盗は、商人らしい格好の芳昭よりも太刀を持つ少年の方が脅威だと思ったのだろう。芳昭は無視して、今度は若武者の方に向き直った。

「やめておけ。素直に捕縛される方が身のためだぞ」

 若武者が野盗に言う。しかし、野盗はその言葉を聞かずに破れかぶれの叫びを発しながら少年に斬りかかっていった。若武者は腰を落として太刀の束に手を掛ける。

 芳昭はその姿の迫力に、息を呑んだ。これまで、武術が得意だという貴族の模擬戦は目にしたことがある。けれど、構えただけでこれほど迫力のある者を見たことはなかった。

 ――これは武術というより舞のようだ。

 宮廷の行事で披露される舞。見る者まで緊張感に引っ張りこむほどの迫力と優雅さがある。

 間もなく若武者は太刀を抜いて、野盗の刃を太刀で受け止めた。ガキッと金属のぶつかり合う音が響く。芳昭は思わず悲鳴を上げて、後ずさった。

 実は芳昭はこれまで、本物の戦を経験したことはない。せいぜい、武術を教わったときに模擬戦をした程度だ。先ほどは必死で野盗の前に立ちふさがったが、いざ冷静になってみると目の前で繰り広げられる戦いに身がすくむ。

 しかし、小柄な若武者はあくまで落ち着いていた。野盗が力で押してくると、しばらくつば競り合いをした後に隙を見てひょいと身をかわしてしまう。組み合う相手を失った野盗は大きくたたらを踏んだ。もしや、今が好機なのではないか。

「うわあああ……!」

 怯えながらも芳昭は手にしていた山道用の杖を野盗の足下に向かって投げつけた。狙いどおり、野盗は杖につまずいて転倒する。すかさず、転んだ野盗を若武者が太刀の鞘で殴りつけて気絶させた。それから顔を上げて芳昭の方を見る。

「なかなかやるじゃないか。戦いを見てみっともないほど逃げ腰になったかと思ったが……勇気があるのだか、ないのだか」若武者はそう言って笑った。

 そのとき、先ほど野盗たちを追いかけていった武士たちが戻ってきた。彼らは縄で縛った野盗を連れている。その後ろに遠巻きに受領の身内らしい旅の一団が続いていた。どうやら、皆、無事のようだ。

「広郷様、野盗らをいかがいたしましょう?」

「ひとまず連れて降りて、群司に引き渡さねばならないな。お前たちは野盗を連れていってくれ。私はこちらのご家族を安全な場所まで送ろう」広郷と呼ばれた若武者はてきぱきと指示を出す。

「承知しました」

 武士たちは恭しく返事をして、野盗たちを連れて去っていく。それを見届けてから、広郷は芳昭と受領の身内らを振り返った。

「名乗るのが遅くなりました。私は新田広郷。この辺りの群を治める群司・弓削敦広の身内です。さぁ、この山を降りますゆえ、付いてきてください。皆さんを送りとどけましょう」

 広郷の言葉に、旅慣れない受領の身内たちは安堵したようだった。女子どもは、目に見えてほっとした表情をしている。これほど小柄な若武者ひとりで護衛が務まるのかと、不安には思わないのだろうか。芳昭は内心、そう思ったが受領の身内たちはとにかく護衛があるというだけで安心のようだった。

 武士の護衛がついた今、もはや自分には用はあるまい。芳昭はそう思って、荷物を拾い集めてから静かに立ち去ろうとした。と、広郷が声を掛けてくる。

「待て。お前も一緒に下山した方がいい」

「俺は一介の絵師なんだ。こんな貧乏な人間を好んで襲う野盗もないから、平気だろう」

「絵師なのか」芳昭の答えに広郷の目が輝いたようだった。「行く宛はあるのか?」

「今のところはないが」

「ならば、一緒に来ないか。描いてほしい絵があるんだ。私が報酬を出すから」

「はぁ……」

 およそ風流には無縁そうな武士が、絵を描いてほしいという。いったいどんな絵なのか見当もつかず、芳昭は曖昧に頷いた。





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