Alex in London
「アレックス、体に気をつけて」不安が晴れないまま、リンダは駅のホームでアレックスを見送る。
「いいかい、今生の別れなんかじゃない。週末はできるだけ戻ってくるよ。それと、月だ、眠れない夜は月を見るんだ。僕も見てるから」
「ええ」
「また連絡するよ」アレックスはそう言ってリンダを抱き寄せた。
「アレックス、でもやっぱり私怖い」リンダは涙に潤んだ瞳で見つめ返す。
「大丈夫、何も問題ないよ。もう行かないと」
アレックスは手を解き、列車に乗り込むと、車窓から覗くリンダの哀しげな目から顔を背けた。
ロンドンでの暮らしは順調だった。アレックスは月に一、二度はリンダのもとを訪れ、愛を確かめ合い、月夜には空を眺めながら電話した。いつものように、テラスから月を見上げいると携帯電話が鳴った。リンダからだ。
「アレックス、そこからも月が見える?」
「ああ」
「不思議ね、離れていても一緒に同じ月を見てるっていうだけで、あなたと繋がっている気がする」
「僕もそう思うよ。何だったけ? 誰も見ていないと月はどこにでもあるんだよね? それなら、君を観測するものが存在しなければ、僕の側にも存在するってことかな?」
「バカね、でもそうだったらいいのに。ねぇ、今日の月は何だか青く見えない?」
「ああ、確かに。まさに、once in a blue moon (滅多にないこと)だね」
その時、部屋の方からカタカタと音が聞こえてきた。
「何だ!」アレックスは思わず声を上げる。
「一体何なの?」リンダが電話口で声を荒らげる。
その音は、テーブルに置いてあるティーカップから発せられていた。原因は日本で言うところのたかだか震度二程度の地震によるものなのだが、極めて地震の少ないイギリスに暮らすアレックスには、現状を理解するのにしばしの時間を要した。
「アレーックス!」リンダの叫び声と大きな物音が電話口から聞こえた。
「リンダ! どうしたリンダ! お願いだ、返事をしてくれ!」
アレックスの必死の呼びかけも虚しく、ただ沈黙が流れた。
「お願いだ、リンダ」
消え入りそうな声でアレックスがつぶやくと、絞り出すようにリンダが答えた。
「ア……レッ……クス、愛……して……る」
それっきりリンダからの応答は途絶えた。