探査者マリアベール・フランソワの最後
魔天が中枢ごと、綺麗なまでに両断される。マリーさんの斬撃はどうしたことか、衝撃波を起こしたわけでもないのに、離れた範囲にまで届いていた。
俺としてはすげえ、の一言なんだが、リーベはそうでもなかったらしい。驚愕に表情を染めて、震える声で、
「…………次元を、斬った? 馬鹿な、いかなオペレータでも、そんなこと」
なんて呟いていた。次元を斬る、か。なんかカッコいいけど、それはすごいんだろうか。
聞いてみると、コクコクと彼女は何度もうなずき答えてくれた。
「次元とは、いわば世界の表裏を隔てる境界線。目に見える物質世界と、目に見えない概念世界を分かつカーテン。あの人は今、システム側の領域にまで刃を届かせました。三界機構の概念部分に対して、攻撃を仕掛けたんです」
「……へえ。それは、すごいな?」
「…………ザックリ言い換えますね。あの斬撃は、三界機構を殺しきりました」
「……………………えっ、すごい!?」
マジですか!? 三界機構を殺しきるって、1000倍山形くんでも無理なやつじゃん!
実際、さっきのグレート・ブリテンなる技はどこか、威力でないところで凄みを感じた。なんていうか、身体じゃないところを斬り裂かれそうな、根源的な恐れを抱かされる一閃だった。
それが、概念……たぶん魂的なアレだろう、に攻撃を仕掛けたがゆえのものと言うなら、なるほど納得はできる話だ。
「────到達した」
そんな話の中、魔天を切り裂いた当の本人、マリーさんは立ち尽くしていた。
中枢ごと左右に二分されて倒れていく姿など気にも留めず、なにもない真っ黒な天井を仰ぎ見て、深い皺の刻まれた顔を、涙で濡らし続ける。
「人生、探査業、戦士としてのすべて。一切合切絞り切って、私は今、世界をも斬った。長い道のりの果てに、私は世界を越えた」
「マリーさん……」
「……全部、全部を込めたよ。もう今の私にゃ、なんの力も残っちゃいない。探査者マリアベール・フランソワはたった今、終わりを迎えた」
万感の想いが籠もった独白だった。70年の探査者歴だけでない、83年の人生をすべて一つの道に費やした人の、終わりを迎えた姿がそこにある。
切ないが、哀しみはない。清々しく、晴れやかな色だけがその涙と言葉にはある。人生に味わいというものがあるとすれば、マリーさんは今、それを噛み締めているんだと思えた。
「まさか、三界機構を倒してしまうなんてー……命とは本当に、なんて不思議な力に満ち溢れているんでしょうー……」
リーベが、神妙に呟いた。マリーさんの、人間の、いや命の強さを、心から感じているようだった。
自壊を促し、滅びるまでの時間稼ぎをするのが精一杯と見ていたのに対して、マリーさんはみごと、倒しきったのだ。計画を立案したシステム側からすれば、嬉しくも仰天物の話だろうな。
さて、とリーベは気を取り直した。俺と一緒に、マリーさんの元へ向かう。
すっかり元の老婆然とした姿に戻った彼女は、重い荷物を下ろしたような、透明な笑みで俺たちを迎えてくれる。
「ファファファ……公平ちゃん、リーベちゃん。ありがとねえ。おかげで最高の幕引きができたよ」
「良かったです。本当に……長い間、お疲れさまでした」
心からの敬意を以て頭を下げると、マリーさんは照れたのか、ファファファとだけ笑ってくれた。
そしてリーベが、真っ二つに割れた魔天に向けて、声をかける。
「聞こえますか、異なる世界のワールドプロセッサ。私は、この世界の精霊知能。聞こえていますか? あなたは今しがた敗北し、支配から解き放たれました」
『…………っ、つぅー。聞こえてるわよ。痛たた』
聞こえてくるのは災海、断獄に続く三人目、魔天のワールドプロセッサの声。若い女の声だ。
中枢が真っ二つになっているからか、左右から声が、ステレオで聞こえてくる。
『支配……あー、あの子どもにね。私の世界も、食べられちゃってたわね。はぁ、なんてことを』
「今、やつは我々の世界を喰らおうとしています。対抗すべく、あなたには自我を取り戻してもらい、自壊してもらえたらと思っていたのですが、その」
『自壊するまでもなかったわねー。こっちとしても自壊なんてあんまり、したくなかったから助かるけど……おたくの世界、怖いのね? そんなお婆さんがワールドプロセッサを殺してみせるなんて』
そう言う魔天のワールドプロセッサは、乾いた笑い声を出していた。
なんていうか、ノリが軽いな……けれど邪悪なる思念を端的に子どもと表現したあたり、眼力はありそうな気がする。まさしく幼稚な子どもでしかないからな、あいつ。
『もう自壊なんてしなくとも、私が殺されたんだもの。じきに消滅するわね……あー、精霊知能。私はともかく、私の世界の子たちだけはお願いできるかしら?』
「あなたも含めてもちろん、受け入れます。どうかご安心ください、異なる世界のワールドプロセッサ」
『そう……なら、安心して逝けるわね。ありがと』
リーベの言葉に、魔天は安心したように礼を言う。
ノリは軽いけど、やっぱりこの方もワールドプロセッサなんだな……自分より自分の世界のことを、最期まで気にかけるなんて。
魔天の身体が、次第に塵と消えていく。
思わずして一体、倒し切ることにはなったけど。これにて三界機構はすべて、倒すことができたな。
ブックマーク登録と評価の方よろしくおねがいします




