災いの海は鎮まった
災海にどうやら、直撃したらしい決戦スキル《メサイア・アドベント》。
それと同時に、ベナウィさんの異常なまでの破壊の連撃も、ついに息切れを迎えたようだった。真っ黒な空間でもなお眩しく光り続けた光線は、一つ残らず消え去っていた。
残るは超再生能力ゆえに、さきほどまでのダメージをやはり完全になかったことにした、まるでノーダメージの災海のみ。
ベナウィさんが、少し固い声音で言った。
「《メサイア・アドベント》を上乗せした攻撃は、たしかにワールドプロセッサにヒットした感じはありました。ですがもし、届いていなかったり効果がなかったりすれば……同じことをするのは骨が折れますね、これは」
そう危惧する顔色は少し、悪い。あれだけの大技を連発したんだ、前準備の要る大掛かりな技なこともあってか、消耗もそれ相応のようだった。
不気味な沈黙。災海はどうしたことか、末端の触手に至るまで一切の身動きを止めている。
リーベが、目を細めた。
「……これは、届きましたね。決戦スキルは発動し、かの世界のワールドプロセッサは覚醒しました。聞こえますか、こことは違う、異なる世界のワールドプロセッサ。あなたは支配から解放されました。私はこの世界の精霊知能です。聞こえていますね?」
呼びかける声。災海に、いや意識を取り戻したワールドプロセッサに向け、語りかけている。いつもと違う、間延びしていない真剣な声音だ。
それに対しての反応は劇的だった。災海が、大きく低い声で喋りだしたのだ。男の、それもかなり年嵩な方の声に聞こえる。異なる世界のワールドプロセッサの、これが肉声なのか。
『う、う…………ぅあ、あ。きこえ、聞こえる、ぞ。そ、うだ。我は、ワールドプロセッサ……』
「時間がないので単刀直入に言いましょう。自壊なさい。あなたの肉体は未だ、やつに支配されています。このままでは変わらず、あなたはやつの道具です。利用されるがままに破壊を行使してはいけない」
本当に単刀直入にリーベは、災海に自壊を促した。
お、おいおい……いくらなんでもいきなり過ぎないかと思うんだけど。
だけど時間がないのは本当だし、このまま無敵に近い三界機構に、暴れ回られるのも困るし。複雑な気持ちで俺は、自壊を迫るリーベを見ていた。
『や、つ……! ぐ、ぅううっ……! おのれ、おのれ矛盾せし愚者……! 我を、我が愛し子たちを、よくも、よくも……っ!!』
「矛盾せし愚者……?」
「おそらくはかの者の世界での、邪悪なる思念の名称なのでしょう。やつに災海と呼ばれる者よ! あなたの、管理する世界は負けました。喰われたのです。心中察するにあまりありますが、次に喰われそうになっているのは我々の世界なのです!」
災海の巨体が、かすかに揺れた。うつむくように、鮫の頭を垂れる。
愛し子。きっと、このワールドプロセッサは自分の生み出した世界を心から愛していたんだろう。それが窺える言葉だ。
それなのに突然、わけの分からない身勝手な理屈で襲いかかってきた邪悪なる思念──災海からすれば、矛盾せし愚者に、愛する子もろともに喰われ、操られて玩具にされた。
踏みにじられたという表現すら生温い、あまりに酷い仕打ちだ。
『そうか……そう、なのか。いくつ世界が喰われたか、我には分からぬが…………お前たちの世界が、我らのようになりかけているのか。その尖兵が、我と我の愛し子たちなのだな』
「……はい。ゆえに、酷を承知で願います。自壊してください。あなたとあなたの愛し子たちの魂は、やつを倒した後にこの世界の輪廻に迎え入れます。それができる力が、我々にはあります」
辛そうに、リーベは再度の自壊を促した。
そりゃあ、そうだよ。辛くないわけないんだ。言うなればシステムさんに対して、あんたは悪くないけど迷惑だから消えてくれと、言ってるようなもんなんだ。
改めて、三界機構という存在そのものの酷さを思い知る。
数秒の沈黙。そして災海は、やがて言葉を発した。
『元より、我は敗北した身。もはや、なんの権利も持たぬ。我を解き放ってくれた礼もあるゆえに、その言を受け入れよう……だが願わくば、その言のとおりに、我が愛し子たちの魂を、迎えてくれることを』
「約束します」
『感謝する……ワールドプロセッサの名の下に宣言する。我自身よ、滅べ』
諦念を感じさせる低い声音で告げるとともに、災海の様子が変化した。自壊を始めたのだろうか……かすかに、身体が崩壊していく。
本当に少しずつだが、それでも塵と化していっているのだ。
三界機構・災海が。かつては一つの世界だったモノが、崩れていく。
『崩壊は始まった、我はじきに滅ぶ……だが、身体の支配は最後まで続くようだ。もうあと数分もすれば、再び我が肉体は暴走するだろう。成すべきことがあるのなら、今のうちに行け。我のようにはなるな』
「ありがとう、ございます……ご決断に、心より感謝を。公平さん、みなさん。行きましょう。ベナウィさんは、手はずどおりに」
穏やかに滅びを受け入れる声音が、いっそ優しい。災海の言葉を受けてリーベは、俺たちに先へ進むことを示した。
だが、ベナウィさんはここに残る。暴走を始める災海を、食い止めるために。
「承知しました。一つの世界が滅び去るのを見届ける……紛れもなく私の人生にて最大の任務でしょう。お任せください」
「任すよ、ベナウィ。死ぬんじゃないよ」
「必ず、みんなでまた会う。ベナウィさん、死なないで」
「すべてが終わったあと、また、どこかに遊びに行きましょう……ベナウィさん」
「ええ。みなさんもどうか、生きて帰ってきてください」
俺たちのエールに、彼もエールで返してくれる。そこに宿るたしかな友情と信頼に、応えなくちゃな。
災海の相手を彼に任せて、俺とリーベ、マリーさん、リンちゃんはさらに奥地へと駆け出した。
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