愛憎、アレクサンドラと火野源一
『…………物心ついた時には、もうすでに母は狂っていました。他の何より質の悪い、愛という狂気に取り憑かれて精神に破綻をきたしていたのです』
ひとしきり嘆いてから、ぽつりと。アレクサンドラは静かで穏やかな、凪いだ声でそう切り出した。
生まれてから、物心がついてからの記憶。火野アレクサンドラにとっての原初の光景は、父親である火野源一への愛でおかしくなってしまった母親の姿だったと言う。
ある意味では個人的に、一番口を割りそうにないというか、手強いと思っていたのがこのアレクサンドラなんだけど……こうもあっさりすべてを話し始めるのは、やはり師匠で恩人たる神谷さんの存在があってこそだろう。
嫌い、憎み、それでも寄り添う慈悲。他ならぬ神谷さんからそんなものを手向けられて、さしものアレクサンドラも黙秘し続けられなかったのかもしれなかった。
『母の一方的な恋慕でした。20歳そこそこの小娘が、寄りによって当時すでに60歳程度のあの男に一目惚れして追いかけ回し、挙句の果てには半ば押し倒すようにして関係を持った……呆れた馬鹿さ加減です、そこまでしたほうも、結局手を出したほうも』
『火野源一……初代様に執着し続けていた男でも、そのような他者の色香に惑うものですか』
『そもそもエリス・モリガナへの執着そのものからして色香に惑っているようなものでしょう。母もずいぶん、あの初代聖女についての話を火野から聞かされていたようです。出会ってから関係を持ち、そして二度と姿を表さなくなるまでの間、常に比較されていて赦せなかったとかなんとか。病床の末期にはそんな恨み言を言っていましたが』
「えぇ……?」
「最悪な男ですね……」
怖ぁ……アレクサンドラの語る火野源一の姿に、この場の大多数を占める女性陣が大なり小なり怒りを示している。
一方的なものにせよ一度だけにせよ一応は深い仲になった女性に対し、もう何十年も前に惚れただけの憧れの女性を繰り返し引き合いに出して比較してきたってのは、そりゃ女性としては絶対に赦せないことなんだろう。
そしてこうなるとやはり肩身が狭いのは俺やロナルドさんにベナウィさん、サウダーデさんといった男性陣だ。
いや、もちろん俺達だってそんなひどいことをする火野老人なんかと一緒にしないでほしいんだけども。それはそれとしてこう、なんだか気まずさを感じるのも事実ではあるよね。
「なんていうことを……火野源一、あの男は!」
「火野にも言い分はあるだろうし、そもそもこれはアレクサンドラ視点の話だ。あまりどちらかに肩入れするような話でもないがしかし、なるほど。アレクサンドラが火野に向ける感情の複雑さは、そうした話を母親から聞かされていたのもあるか。見るからに憎悪や憤怒だけでない、情もたしかに感じるが」
「なんだかんだと父親でしょうからねえ。そいつがたとえどんな輩でも、血のつながりってやつぁどうしても感じるのかもしれません」
まったくもって迷惑を被っているエリスさんがとにかく嘆いている、その近くではヴァールが冷静にマリーさんと話をしている。
アレクサンドラの火野への想いの複雑さ、そこは二人も感じ取っているみたいだ。これまでも火野について言及する時には、毎回いろいろと綯い交ぜになった表情と声色だしな。
今も母の死に際に触れていてもなお、火野を語る彼女の表情は怪奇なマーブル色だ。
怒り、憎しみ、喜び哀しみ、楽しさ嬉しさ……愛さえも内包した、燃えるように冷たい微笑みを浮かべているのだから。
『私が10歳くらいの頃に母が死に、遺言のままに委員会に与することになってから初めて火野源一に会いました。想像通りのゲスな男で、期待外れに理性的な男でもありました』
『期待外れ?』
『モリガナ、モリガナと叫び連呼しているだけのクズだと良かった。そうしたら思う存分に憎むことだけができた。けれどあの男はそのへん、中途半端で変に理知的で……内心はどうでも良かったというのもあるんでしょうけど。穏やかで、実の娘とも露知らず、子供だからと頭を撫でたりもしてきて……』
『っ』
息を呑む神谷さん。委員会で再会した火野の様子を語るアレクサンドラの、その表情に言葉を失っているんだ。
泣き顔……のような笑顔。いや、笑顔にもなっているのかどうか、目元を細め口元を歪ませた、睨むような、縋るような顔。
どうすれば良いのか分からない、子供が浮かべるような顔をしていた。
初めて触れた父。火野源一は、エリスさんに執着するがゆえにそれだけの男ではなかった。邪悪に冷静で悪辣に理知的で、だからこそアレクサンドラにも相応の振る舞いをもって対応した。
娘だと知らなかったのはすでに分かっている。それでもその上であの男は、当時まだ幼かったアレクサンドラに、少なくとも彼女から見たら優しかったんだ。
頭を撫でたんだ。子供だからと、どうでもいいからと。
それは……俺には想像もつかないけどきっと、それこそがアレクサンドラにとってどうしようもないことだったんだろう。
娘だと知らなくても、それはたしかに父の掌で、父の温もりだった。彼女はその時、初めて父親を知ったんだ。
そして恨み切ることが、憎み切ることができなくなったんだな。
『後にも先にも一度きり。それでも、あの時……頭を撫でてくれた、あの人の温もりは……今でも、思い返して泣き叫びたくなるほどに、私の胸に残っていますよ。下らないことにね』
吐き捨てるアレクサンドラが、幼い子供のようにも見える。
憎んだ父の、愛しき掌。許せなくとも刻まれた温もりを彼女は後生持て余していた。
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