第96話 赤き魔神の遺骸 1
魔神器官の魔人は全て、とある魔神の遺骸を触媒として誕生した存在である。
遠い昔。人の手によって屠られた魔神の遺骸は、けれども、他の魔物たちのように霧散することなく、現世に留まった。何故ならば、その『赤き魔神』の遺骸は全て、魔結晶と同等の性質を備えた物体だったのだから。
これは、観測された脅威度ランクAに属する魔物の中でも、特に珍しい事例だった。
機関の退魔師――魔神殺しを成し遂げた剣士によって、『赤き魔神』は死んだ。その肉体をバラバラに刻んで、蘇生できぬようにきちんと封印処理まで施されていたのである。既に、自力での復活は不可能であった。
だからかもしれない。
当時の退魔師たちは、この遺骸を何かに使えないか? と考えてしまったのだ。
実際、魔物を倒して討伐した魔結晶は、様々な呪具やら、式神を作り出すのに使っている。ならば、これはその延長線に過ぎないだろうと、言い訳を考えながら欲を出してしまったのである。
「…………あーあ。絶対、ろくなことにならんぞ、これ」
魔神殺しを成し遂げた剣士は、そんな退魔師たちの動向に対して、『こっちに迷惑をかけなければ好きにやれ』と、非干渉を決め込んで、遺骸の権利を放棄した。
これにより、機関も含めた様々な組織が、『赤き魔神』の遺骸を狙い、争う事態が続いたのである。否、この騒動は長く、長く、現世に至るまで続いている。
何故ならば、『赤き魔神』の遺骸を加工して作り上げた呪具というのは、強力無比な性能を誇る物ばかりだからだ。
対象を視認させることで、情報を盗み出す魔眼の権能。
対象を視認させることで、その性質を歪ませる魔眼の権能。
対象に接触させるだけで、その傷を修復する、癒し手の権能。
その他もろもろ、遺骸は加工されて、数多の優秀な呪具となっていった。それは、特定条件下に於いて、異能よりも強力な法則を生み出す力――権能を有していた。
そのため、己が欲望を叶えるために、誰しも血眼になって争い、結果、多くの赤い血が流れたという。あまりに多くの血が流れたため、『赤き魔神』の呪いなどと言われた時もあったが、こればかりは人間の自業自得としか言いようがなかった。
――――そう、自業自得だったのである。
「魔結晶の如き性質を持つ遺骸ならば、上手く人間に適合させれば、人工的な魔人を生み出すことが可能なのでは?」
そんな争いの歴史の中で、ある時、希少部位である『脳』の遺骸を所有した研究者は、このような呟きを漏らした。そして、最悪なことに、その研究者が所属している組織は、人間を実験材料として扱うことを、まったく咎めない犯罪結社だったのである。
こうして、実験の名の下、多くの『脳無し死体』が量産されることになった。
当初は、買い取った死刑囚やら、『消えても問題ない人材』を使用していた結社であったが、適合率を求めるために、次第に罪のない市民を誘拐する時もあったという。
そして、倫理観が狂った研究の成果は、これ以上無い形で実現された。
「やぁ、ありがとう、人間たち――――君たちが愚かで、ワタシはとても嬉しいよ」
『赤き魔神』の記憶を所持した魔人の誕生という、最悪な結果によって。
当然、結社は瞬く間に、魔人によって消滅。研究成果の全てを破棄され、『魔人が誕生した』という情報すら外部に伝えることが出来ずに、消え去ったのである。
これが、魔神器官が頭領である、リースの生誕だった。
「ワタシは知っている。人間は愚かだ。自ら、破滅の道を歩んでいるのにも気づかないほどに。けれども、ワタシは知っている。人間は愚かだが、全ての個体がそうであるとは限らないと」
敗北の記憶を持つリースは、慎重に慎重を重ねて行動していた。
かつて、たった一人の剣士に覇道を阻まれた記憶があるからこそ、権能があったとしても慢心はしない。未来を予測する権能は、万能ではない。既にそれを知っているからこそ、リースの行動は機関に捕捉されることなく、密やかに行われていたのである。
まずは、生活基盤を整えて、人間社会の中に溶け込み。
次に、『赤き魔神』の遺骸を回収し、仲間を増やす。遺骸を吸収することによって、ある程度、魔力を補強し、存在の格を上げることも可能だったが、リースは仲間を増やすことを選んだ。一人の強さは、一度挫ければ弱いが、他に仲間がいれば、リカバリー可能であると考えたのだろう。
そのため、リースは聡明な頭脳を遺憾なく発揮して、証拠を残さず魔人の適合実験を重ねていた。遺骸と適合する人間を見つけ出すために。
そして、リースの試みは概ね成功していた。
魔神器官という組織は、リースが作り上げた身内たちによる家族のような物だ。当初の予定とは違い、戦力として期待するには少し不安が残るメンバーとなったが、リースにとっては数少ない、本当の意味での同胞である。
一人として失いたくないし、叶うのならば、大手を振って陽の下を歩いて行きたかった。
「ワタシはもう、間違えない。今度こそ、ワタシは目的を遂げてみせる」
だからこそ、リースは侵色同盟を打ち立てたのだ。
盟主という、『新世界の管理者』に相応しい存在を、主と定めて。
同格の仲間たちを集めて。
志を同じくする者たちを集めて。
かつてとは違い、リースは仲間の力も頼って、作戦を立案するようになった。出来る限り、同志を失わせないように。
慎重に慎重を重ねた作戦で、機関の目を欺く日々はスリリングではあったが、リースにとっては充実した物だった。
いつの間にか、自分のために、そして誰かのために力を使うことを、リースは悪くない、と思えるようになっていた。
まるで、人間同士の絆みたいだと笑いながらも、リースはそれを否定しなかった。いつか、侵色同盟がその本懐を果たしたのならば、仲間や身内たちと共に、穏やかな日常を過ごしたいと思うようになっていたのである。
――――天宮照子と、出会うまでは。
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一度封印されたことから、私はリースの存在を警戒していた。
奴は私のことを苦手みたいな態度を出していたが、実際、私も奴のことは割と苦手である。というか、頭の良い奴が苦手なのだ。私が一を考えている間に、十も百も先のことを考えて、こちらの動きを封殺してくるから。
こればかりは、どれだけ私の力が強靱になっても変わらない。
封印された時も、正直、ミカンが偶然、異界内部に存在していなければ、危うい可能性もあったのだ。そう、ほんの少し遅れていたら、エルシアの命が無くなっていたかもしれない。そう考えると、私はどれだけ強くなっても、リースに対して油断を抱く気にはなれなかった。
なので、そろそろ殺そうと思い立ったわけである。
ちょうど、鹵獲していた奴らの魔人から、情報抽出が終わり、タイミングが良かったという点もあるだろう。もっとも、学生組は修行中なのでお休みであるが、今日はその代わりに、美作支部長が隣に居るわけだ。
「奴ら、中々良い所に住んでいますね? 美作支部長」
「私と貴方が借りている物件も、それなりに良いお値段の物ですが?」
「美作支部長が、週一でリビングをゴミで浸食しなければ、素直に頷けたかもしれませんね」
「すみません。次から、自分で掃除をするので、今回まで……いや、今月いっぱいぐらいは、掃除をお願いしても?」
「美作支部長は、親しくなった相手に図々しくなるタイプですよね?」
私と美作支部長は、幾重にも張り巡らされた隠蔽結界を潜り抜けて、人里離れた森の奥にある、奴らの拠点まで来ていた。
奴らの拠点は、明治初期に作られたような古めかしい洋館となっており、吸血鬼やら、伝奇小説に出てくる怪物が出て来ても、おかしくない造りの建物だった。
しかも、広々とした庭は、多くの植物が綺麗に剪定された状態で並んでいるのだから、人間の大部分よりも、生活水準が高そうなことが窺える。
「さて、美作支部長。掃討戦を始めようと思いますが、手順はどうしますか? 今、ミカンが結界を張っているおかげで、逃げられることは無いと思いますが、万が一もあります。こちらに気づいていなければ、暗殺で全員一人一人殺すのもありでしたが、流石にここまで近づけば、あちらも待ち構えているのでは?」
「潜入専門のネームレスと、暗殺専門のクリアブルーは、囮組ですからね。我々が不慣れなことをしても、彼らのような戦果は期待できません」
しかし、洋館は外見的な優美さとは裏腹に、積み上げられた城壁よりも固い守護結界によって守られているだろう。加えて、館内には脅威度ランクC~Bクラスの魔人たちが、こちらを撃退しようと待ち構えている可能性もあるのだ。
悠長に、守護結界を解く暇などは与えてくれないだろう。
「どうします? この『アタッシュケースの中身』の使い時ですか?」
「いいえ、我々なりの方法でやります。差し当たっては、ノックから始めます」
しかし、結果から言えば、私たち二人に……否、美作支部長には『結界の解除』などという手間をかける必要すらなかった。
「火・爆・地」
美作支部長は短く詠唱を呟くと、指揮者の如く指先を振るった。たった、それだけの動作で、驚くほど精緻に編まれた魔力が、地面を伝って洋館へと向かう。
そして、十秒後。大地を揺るがすような大爆発が、目の前の洋館を襲ったのである。
「いいですか、天宮さん。上司として、一つアドバイスを送ります。『どんなに強固な守りであったとしても、それを崩すような攻撃能力があれば、問題なし』です。それに、基本的に、我々が考えても仕方ないことなので、相手の罠はごり押しで解除します」
「それ、解除じゃなくて、破壊って言いません?」
「結果が同じなら、何も問題はありません」
美作支部長が放った一撃は、間違いなく大魔術に分類されるべきものだった。ただ、そんな一撃でさえ、美作支部長にとっては、『挨拶代わり』に過ぎないのだろう。
美作支部長は、上位エージェントクラスの術者だ。しかし、封印や結界術などの才能は、平均的な術師と同等程度しか存在しない。そのため、結界術では彩月に。封印術ではミカンに後れを取る。以前、本人がそう言っていたから、間違いない。
だが、たった一つ。『破壊』という分野に限れば、美作支部長――――美作和可菜という『壊し屋』は、機関の中でも一二を争うほどの破壊規模を持つ怪物である。
「それに、今のは挨拶代わりです。本番の戦いはここからになるので、気を付けてください、天宮さん」
「そうですね……どうやら、一体ほど逃げずに残っているみたいですから」
先ほどの一撃は守護結界を貫き、地面から洋館の土台を崩すような衝撃を与えていたが、それでも、建物は破壊程度。どうやら、攻撃の大半を権能で防いだ魔人が居るらしい。
「美作支部長、効率的に行きましょう。私がこいつを殺している間に、他の奴らを殺しておいてください。一応訊きますが、近接戦闘に持ち込まれた場合でも、大丈夫ですか?」
「問題ありません。近接戦闘は得意な方です」
「ひょっとして、手ぶらなのは、『武器が素手』という理由からだったのですか?」
「貴方も似たようなものでしょう?」
美作支部長の指摘に、私は苦笑で応じる。
私と美作支部長の装備は、互いに機関から支給されたスーツのみ。美作支部長は、普段からじゃらじゃらと付けているシルバーアクセサリーが、何かの魔道具という話は聞いたことがあるが、私に至ってはそういうものすらない。
強いて言うのであれば、体中に巻かれた呪符が、戦闘力を制限する封印具になっている程度だ。ミカンから離れると、これすらも適応して、無意味になってしまうのだが。
おっと、そうそう、忘れていた。
「いえ、今回の私には特別な武器が存在するので、これを使って知的な勝利を目指します。仕事中でなければ、美作支部長にお見せしたいところですよ」
私は右手に持ったアタッシュケースをこれ見よがしに上げて、アピールするが、美作支部長の反応はため息だった。
「そうですか。では、頑張ってください」
素っ気なく告げた美作支部長は、そのまま身体能力強化の魔術を発動させて、一瞬にして音速の壁を突破していった。
うん。意外と肉体派なんだね、うちの上司。
「おお! まさに、晴天の霹靂とも呼ぶべき来客ですね。この私、感動のあまり、涙が出てしまいそうです」
美作支部長が居なくなった頃合いを見計らったのか、もうもうと立ち込める土煙の中から、見覚えのある声が聞こえた。
「どうですか? 我が怨敵よ。時間が許されるのであれば、この開放的に改装された、我が家にて、お茶の一つでも?」
「生憎、君たちとお茶をする趣味はないよ、グーラ」
「くはっ! それは残念!」
白々しい言葉と共に、土煙の中から姿を現したのは、魔人グーラだ。ボロボロとなったカソックを纏う、黒い肌の偉丈夫。そいつが、全身に『口』を生やした状態で、私を睨みつけている。私が僅かでも隙を見せれば、命を賭けてでも殺してやる、という雰囲気だ。
どうやら、言葉とは裏腹に、私と戦う覚悟は決まっているらしい。
「ならば、我が牙にてもてなすしかありませんね。少々不作法ではありますが、以前、貴方に破れたままの私とは思わない方がよろしいですよ?」
丁寧な口調で、グーラはやけくそのような笑い方を見せた。
以前、戦った時とは違う、みたいな口ぶりであるが、実際に何かが強化されたのか。それとも、時間稼ぎのためのブラフなのかは、私には判別できない。正面から潰してもいいが、以前、リースがやってきたような手法によって、戦闘から除外される可能性もある。
なるほど。ただのブラフだったとしても、その可能性を切り捨てられない時点で、素直に戦うならば、中々面倒になりそうだ。
しかし、私はこういう時のために、『アタッシュケースの中身』を準備して来たのである。
「そうかい。では、私も秘密兵器を見せよう」
「秘密兵器? 貴方が? むしろ、環境を武器に戦うような貴方が? ははは、いいでしょう。是非とも見せてください。一体、どんな武器で我らが拠点に乗り込んで――」
グーラの言葉は、私が『アタッシュケースの中身』を見せると途切れた。
それもそうだろう。こいつらは残虐な魔人でもあるが、同時に仲間想いでもある。
――――同胞である、魔人テイムの頭部を見せつけられれば、良く回る舌も止まるだろうさ。
「お、まえ」
「いやぁ、ずっと我らの組織の中で悪さをしていた奴でね? 実は、君たちの所に居るあの双子。彼女がちょっかいをかけて来た時に、捕まえておいたのだよ。ただ、こういう場面も想定していたのか、魔術的な思考ロックがあって、情報を吸い出すのに時間がかかってしまったけれどね? ああ、そうそう。軽く洗脳みたいなことをして、リースに対して誤認した情報を送らせることぐらいはできたから、何で気づかなかったんだ? と、君たちの頭領を責めるのは酷だよ」
アタッシュケースの中には、真っ白な肌と、真っ白な髪を持つ少女――魔人テイムの頭部だけが、存在している。
私は、その頭部をそっと優しく持ち上げて、グーラの前で掲げて見せた。
「教えてあげよう。こんな状態でも、まだ生きている。生かされている。リースに対して、まだテイムが問題なく動いていると誤認させるために」
「――――お前っ!」
「そして、宣言しよう。私は今から、思いっきりこの頭部を君へ投げつける。魔力を込めて、投げつける。それを君は、避けてもいい。権能で食らってもいい」
「――――っ!!?」
驚愕の表情を浮かべるグーラへ、私は微笑んだ。
何度か戦ったおかげか、グーラの権能は大体把握している。空間を食らう、攻防一体の力だ。その力であれば、先ほどの大魔術を防いだ時と同じような真似をして、時間稼ぎをすることも可能だろう。何か秘策があれば、稼げる時間はさらに伸びるだろう。
だからこそ、私は奴に向かって、仲間の頭部を投げるのだ。
逃れることも、防ぐことも出来ない一撃を放つのだ。
「避けたら、こいつの頭部は消し飛ぶだろうし。権能で食らっても、似たようなことになるだろうけれどね? さぁ、好きに選ぶといい」
「あ、天宮、照子ぉおおおおおおおおおおおっ!!」
私は、これ見よがしに振りかぶって、渾身の一投を放った。
憎悪の絶叫をしていたグーラであったが、その後、一秒も満たない間に静かになる。
肉と骨が砕けて、爆ぜる音を最後に。
「まず、これで二体と」
望んで残虐を為した結果を眺めて、私は努めて綺麗に笑みを浮かべた。
さぁ、リース。早く戻ってこないと、お前の同胞が死んでいくぞ?




