第93話 人を狩る猟師 7
結局は力なのだ、とその運び屋はスパークリングワインをあおった。
爽やかな炭酸の刺激と、安っぽい甘さ。
それらが冷たさを伴って喉を通る感覚が、運び屋にとって一仕事終えたという証拠だった。
「…………あー、やっぱり焼き鳥はスーパー前の、移動販売車の奴だよなぁ」
運び屋は妙に庶民臭いことを言いながら、焼き鳥を頬張る。
むしゃむしゃと、豪快に串に着いた肉に齧り付き、その後、遠慮なくスパークリングワインを飲む。これこそが、運び屋にとっての祝杯だった。
たとえ、カンパニーという組織へと、最新式の魔導銃器を違法に運ぶ仕事を営み、年間数千万の純利益を得ていようが、彼にとっての祝杯はずっとこの形式だった。
「金が入るようになってから、色んな場所に泊まって、色んな飯を食ったけど、やっぱりこれなんだよなぁ。安全な拠点で、安っぽい庶民の味。これが、俺にとってのジャスティスだわ」
運び屋が祝杯を挙げている場所は、都内の地下にあるシェルターだった。
外部による物理的な防御は、核爆発の爆撃にも耐えられる。魔術的なハッキングに対しても、カンパニー直属の術師に頼んで、業界最高クラスの結界を敷いている。
だが、シェルター内にあるのは、大型冷蔵庫とその中にたっぷりと詰まった食材。後は、頑丈だけが取り柄みたいな、無骨な骨組みのベッドが一つ。
資金や貴重品などは、シェルターに隠されていない。何故ならば、そんな物を隠しておくこと自体が、運び屋にとっては既に『リスク』なのだ。この場所は、運び屋にとっての『安全』を味わう場所。故に、とことん警備を強化しようが、シェルターに置く物は、食べ物と寝床と決まっている。
「長かった……ここまで来るのは、長かった……」
流暢に日本語を操り、しみじみと焼き鳥を食べる運び屋であるが、その外見は日本人のそれではない。出身は中東の何処とも知れぬ国であり、まだ物心つく前に少年兵としてテロリスト組織に売られたというのが、故郷の思い出だった。
だが、運び屋はそれを不幸だとは思っていない。
何故ならば、物心ついた時には、既にそれが日常だったからだ。
僅かな食料を貰うために、人を殺す。文字を書くよりも前に、銃器の使い方を覚える。昨日、話した同い年の子供が、次の朝には居なくなっている。
今から思えば、運び屋はそれがまさしく地獄の環境であることを理解していた。しかし、感覚としては、幼少の記憶こそが基準であり、そして、底辺だった。
「ごくごくごく……ぷはぁ! 美味い! いやぁ、やっぱり安酒には焼き鳥だぁ! 下手に高い店の酒なんて頼んだら、舌が痺れちまうぜ!」
だからこそ、運び屋にとっての幸福とは、安全に飯を食べることに尽きる。
食事の水準に関しては、過去の状況と比べると、日本の安酒と焼き鳥という組み合わせでも、十分に最高だと感じていた。味覚が完全に貧乏舌なので、それだけで満足出来てしまう。むしろ、これ以上の水準は、自らの精神にとってのぜい肉になると戒めていた。
それは、異能に覚醒し、少年兵という立場から抜け出して、カンパニーという大組織と取引できるようになっても変わらない。
「はぁー、食った、食った、と…………さて――――もういいぜ、シャイな襲撃者さん?」
故に、運び屋は自らが定めた安全圏であったとしても、油断はしない。
外に居る時も気を緩めるが、全ての警戒は解かない。頭の中のどこかは常に警戒網を意識して、周囲の違和感を探し始める。
そのため、運び屋は気付くことが出来たのだろう。
気配も体温も感じさせない襲撃者が発する、微弱な魔力の痕跡に反応して。
『…………』
「だんまりか。まぁ、いいさ。食事中のわざとらしい隙に釣られない程度の分別はある相手なんだろう。正義感に乗っ取られて動く、ただの獣じゃないからこそ、他の奴らも殺されたんだろうさ。でも、俺は違う」
襲撃者からの答えは無い。
一見すると、運び屋だけが荒唐無稽な独り芝居をしているのだが、そこで自分の感覚を疑うほど、運び屋は愚かでもなければ、素人でもない。
運び屋はプロだ。
違法な銃器だろうが、時には人間だろうが、確実に運んで見せるプロだ。
そして、この運び屋の業務内容には当然、『運送中の襲撃者に対する応戦』も入っている。その実力は、カンパニーの戦闘屋にも負けない物だと自負していた。
「――――俺は、お前を侮ったりなんかせず、最初から全力だ」
だからこそ、運び屋の行動は迅速であり、的確だった。
発動させた異能は、運び屋がただの少年兵から、成り上がるために使い続け、習熟した空間干渉系のもの。
効果は至ってシンプル。
巨大な別空間を所有し、そこに物体を取り込んだり、そこから物体を取り出したりすることだ。簡単に言えば、運び屋はまったく重量を気にすることなく、自在に物体を収納できるし、取り出すことが可能なのである。
「吹き飛んで、死ね」
その異能を使った運び屋の全力というのが、たくさん仕入れてある爆弾を全て放出して、自らは別空間に引き籠る、という物だ。
小難しい戦法も、特別な武器なども使わない、シンプルな攻撃にして、防御。
けれども、運び屋はこの手法を使って、今までずっと敵対者を爆殺して来た。ましてや、ここは外部と隔離された地下シェルター。こんな閉鎖空間で大火力の爆弾などを使えば当然、その威力は内部に凝縮されて。
――――ごごごぉん。
地下シェルターごと、衝撃で砕けた地盤に飲み込まれ、沈下する。
「おっと、しまった。死体を確認できないなぁ、これじゃあ。やれやれ、死体の一部ぐらいは残っておいてほしいんだが」
運び屋はその光景を、沈みゆくシェルターの外から観察していた。
異能の効果により、一時的に別空間へと入り込み、安全を確認した後、再び出現したのだ。入った場所とは違う、別の場所から。
運び屋が持つ異能の副産物により、運び屋は別空間内部で移動した距離の分、外の世界に出る際、転移という形で場所を移動することが可能なのだ。
そのため、都内で突然起こった地盤沈下に戸惑う人々を眺めながら、『この隠蔽に、どれだけの金がかかるだろうな?』などと、暢気に今後の心配をすることも出来るのだ。それほどの余裕があるくらい、運び屋はその現場から離れていた。
『――――【影の中で、怪魚は泳ぐ】』
「……がっ!?」
だというのに、運び屋は攻撃を受けてしまった。
己の足首に、鋭く小さな痛みが走るのを自覚した瞬間、視界が反転。気づけば、アスファルトの路面に倒れ込み、びちびちと手足を動かしていた。
まるで、まな板の上に乗った魚が、びちびちと尾ひれを動かしているように。
「なん……っ!? いつ、の、ま……ぐっ」
いつの間にか、運び屋の体中には抗いがたい麻痺があった。
指先ですらもろくに動かせなくなっていき、やがて、舌先すらも痺れて何も話せない。そんな中で、辛うじて運び屋は襲撃者を見上げる事が出来るのだが…………どうにも、敵対者は影に潜む異能を使っていたようだったのだ。
しかも、潜んでいる影は、運び屋自身のもの。
その事実に気づいた時、運び屋は自らの失態を理解した。
襲撃者の情報は、カンパニーから出来る限り引き出して、調べていたつもりだった。異能を複数所持する、という規格外の性能も把握していた。故に、情報にある、どの異能を使われても、防ぎきれない攻撃を行ったのだが、どうやら、襲撃者の異能は他にもあったらしい。
運び屋の攻撃を、『運び屋の影の中』という、ある意味、運び屋と同種の爆風の回避を行ったことから、それは明らかだった。
そして何より、運び屋が理解した一番の失態というのが、『存在を感知した時、直ぐに逃げ出さなかったこと』だ。
『…………権能、発動』
影と同化した襲撃者が、真っ黒なまま右腕を上げる。
すると、襲撃者の右腕だけ、黒ではなく、真っ赤に染まって変形していき…………やがて、それは巨大な顎を象った。
運び屋が今まで見た、どんな獣よりも巨大で、大きな顎。さながら、ドラゴンの顎が一番近しい。
「…………は、ははっ」
力が全て、というのが運び屋のモットーだった。
自分が無知な少年兵から成り上がれたのは、全て、異能という力によるもの。どれだけの悪、正義、法が存在したとしても、それは全て、力があるという前提だ。
だからこそ、運び屋はこの瞬間、生存を諦めた。
弱肉強食という、シンプルな自然の摂理を否応なく思い知って、絶望したのである。
自分では、こいつに勝てない、と。
『――――っ!』
だが、皮肉なことに、あるいは幸運なことに、運び屋は死ななかった。
力が全て、というモットーの運び屋の命運は、彼自身の力ではなく、単純に、『運が良かった』という一点のみで、救われたのである。
――――からんっ。
襲撃者が影から離れた瞬間、乾いた金属音が一つ。
その直後、ぷしゅううう、という気が抜けるような音と共に、運び屋の視界は真っ白に閉ざされた。それが、周囲との情報的隔絶をもたらすためのスモークだと理解すると、運び屋の思考は、ついに頭部にまで回った毒によって閉ざされた。
彼が事の真相を知るのは、一か月後、ベッドの上で目覚めてからとなる。
●●●
襲撃者は、突如として放り込まれたスモークグレネードに警戒したのではなく、向けられた敵意に怯えたのだ。
たとえ、本来の人格が押し込められて、生存本能だけで動いているような状況でも……否、だからこそ、襲撃者はその敵意を警戒した。
リースによって、本来の人格も知らずの内に刷り込まれた、『ターゲット』の殺害には失敗したが、一番の優先は生存である。何かしら、脅威を感じたのであれば、即座に逃げる。そういう判断が出来るからこそ、襲撃者は今まで、何度もカンパニーに所属する相手を狩ることが出来たのだ。
「第二、第六の魔弾よ。逃れられぬ束縛の理を示せ」
だが、逃走は叶わない。
襲撃者に向けられた敵意は、ブラフ。そちらへと襲撃者の警戒を集中させるためのものだ。それによって、他への警戒が薄れれば、気配を断った猟師の狙撃が通りやすくなる。
『――――ぎっ!?』
襲撃者は、二度、困惑した。
一つ目は、スモークによって視界が遮断されたこの空間で、狙撃を放ってきた相手が居るということ。
二つ目は、狙撃が着弾した足元の影から、茨の如き何かが生えてきて、襲撃者の肉体を拘束したということ。
これでは、自分の影を媒体にして、転移による逃走が出来ない。
「よいやさぁ!」
そこに、痛烈なる打撃が襲って来た。
束縛を受けて、動けない襲撃者の腹部を、足元から突き上げるようなアッパーが襲う。その威力たるや、影からの束縛を受けていなかったならば、そのまま上空まで殴り飛ばされると確信するほどだ。
常人ならば、胴体が吹き飛び、魔人であったとしても脅威度ランクB以上でなければ、即座に戦闘不能になる一撃を受けて、けれど、襲撃者は倒れない。
『……っ あ、ぐっ……【アンラック・カウンター】』
「――――っとぉ」
新たなる異能を発動させて、受けた打撃を倍返しに、周囲へと衝撃を放つ。
狙撃手とは別の敵対者は、その衝撃を受けて吹き飛ばされるが、襲撃者は手ごたえの無さから、ただの時間稼ぎにしかなっていないことを察していた。
けれども、それで十分だったのだ。
『が、あっ……【ラビット・ホール】』
異能によって放った衝撃は、影の戒めも破壊していた。
よって、再びの攻撃を受ける一瞬の間ならば、逃走用の異能を発動させることが可能となる。
無論、襲撃者は慎重だ。既に何度か襲撃時に見せている異能ではなく、カンパニーすら知らない異能者から略奪した、空間転移の異能を用いた。
この異能は逃走の時にしか使えない、という制限はあるものの、逃走に関しては強固な魔法によって、その場からの転移を可能とする。
たとえ、強力な結界で周囲が隔絶されていようとも、その異能は襲撃者の窮地を救うに足る性能を持っていて。
「ふむ、予想通りだね。さて、銀治君。後は君の腕の見せ所だよ」
されど、スモークの中に潜む敵対者――照子は、襲撃者が逃げ出す瞬間を、まったく焦ることなく見送った。
「邪魔する無粋な奴は、『私たち』がどうにかしてあげるから、意地を突き通してみるといい」
既に、狙撃手――銀治の気配がないことを確認しつつ、倒れる運び屋の下へと足を向ける。
これから始まる混戦の前に、無関係な被害者を避難させるために。




