第89話 人を狩る猟師 3
赤い記憶が、灼熱のように人間の理性を炙る。
『残念だったな、■■の魔神。お前は此処で、一旦、終わりだ』
夢の中で、誰かの声が聞こえる。
完全であったはずの【自分/見知らぬ誰か】に対して、敗北を突きつける、忌まわしい退魔師の声が聞こえる。
次いで、夢の中で再現されるのは、無数の痛みだ。
物理的な干渉など、当の昔に克服したはずの肉体が、ただの鉄の刃によって、両断される。癒しのための左腕が。跳躍のための右足が。髪が。目が。次々と、切り分けられてしまう。
『なんだ、そんな様になっても、まだ死ねないのか。こりゃあ、上位神ってのも、楽じゃねぇな。でもまぁ、安心しろ。お前の意識も、直ぐに終わる』
魂を切り分けられる痛みと言うのは、筆舌に尽くしがたい。
焼けた鉄を飲み込めば、それを避けられると知って居れば、喜んで飲み干すだろう。全身の血液を毒液に変えろと言われても、喜んで従うだろう。
それほどまでに、その男が振るう『神殺しの刃』というのは、【自分/見知らぬ誰か】にとっては、害ある攻撃だった。
『「い、つか。いつか…………っ! きさ、ま、らを……ほろぼ、す……我、は、不滅。不滅の■■である、が故に――――」』
『ああ、確かにそうだ。今のところ、お前を滅ぼす術は人間には見つけられちゃあいねぇよ。精々、こうやって刻んで、別のところに封じるぐらいだ。でもな?』
苦痛に悶えながら、【自分/見知らぬ誰か】は負け惜しみを言う。
最高位の魔神であるというのに、たった一人の退魔師に敗れ去った癖に、惨めにも負け惜しみを吐いているのだ。
だが、同時に、それは紛れもない事実だった。
その男が振るう『神殺しの刃』をもってしても、【自分/見知らぬ誰か】は殺しきれない。例え、厳重に封印を施そうとも、最高位に近しい魔神の遺骸を狙う者は多く存在する。百年、その男と、男が所属する組織が守り抜こうとも、何時か必ず綻びが生まれ、必ず、遺骸から再び、魔神が復活していくだろう。
『その時はきっと、俺じゃない、違う誰かがお前を滅ぼすさ! きしししっ!』
されど、【自分/見知らぬ誰か】は、紛れもなく敗北していた。
少年のような笑みを浮かべる、その男に。
神殺しの剣士に。
それだけは、それだけは、言い訳が出来ないほどに、紛れもない真実で。
『「…………あぁ。これだから、お前ら、にんげ、んは……」』
だからこそ、遺骸に残った記憶は、後悔と屈辱、そして焦がれるような羨望なのだった。
●●●
「――――ぶぉえあっ!」
覚醒はいつも、最悪の不快感によって引き起こされる。
赤い記憶。
自分が自分ではなくなってしまうような、夢。
人間を殺して、高笑いを響かせて。
たった一人の男に、言い訳が出来ないぐらいに殺されてしまった、間抜けな神様の夢。
それが、寝ている間でも、彼の脳髄を炙り、人間としての理性を焼き切ろうとするのだ。
「くそっ、くそっ、くそがっ!」
彼は悪態を吐きながら、胃の中が空っぽになるほど吐しゃを繰り返す。
この夢を見た時は、寝ながら吐しゃ物を出そうとして、危うく窒息するところだったことを、彼はしっかり覚えている。そのため、彼の寝室にはいつも、汚れを防ぐためのシートと、バケツが幾つも置かれていた。
それと、生温いミネラルウォーターと、ピルケースに入った真っ白な錠剤も。
「ごひゅっ……ぜふっ……んぐ、んんぐぐぐ――ぷはぁ!」
乱暴に錠剤を口内に放り込んで、ペットボトルに入ったミネラルウォーターを飲み干す。ほとんど一息に。べこべこと、ペットボトルが凹んで、軋むほどに。
「はぁ、はぁっ…………くそ、駄目だ。このままだと、俺は、俺は……っ!」
彼はずるずると、部屋の壁にもたれ掛かって、脱力する。
先ほど飲んだ錠剤は、彼が異能を用いて形成した薬品だ。一時的に、魔の力を遠ざけて、右腕から与えられる灼熱の痛みを和らげる効果があるが、所詮は延命しているに過ぎない。
彼の独力では根治不可能であり、いずれは効果を為さなくなってしまう。
そして、彼がその赤い記憶に全て塗りつぶされる時、彼自身の自我は、人間から違う物へと変わってしまうのだ。
だが、そのタイムリミットを伸ばす方法が、投薬以外にもう一つ存在する。
「俺はまた、人を殺してしまう」
それは、殺人だ。
彼の中に巣食う、赤色の記憶は殺人を行えば、鎮まってくれるのだ。灼熱で炙られるような苦痛も、生きながら骨が灰になるような熱を与えることもなくなる。
ただし、人を殺せば殺すほど、彼は自分が違う生命体になっていくことを自覚していた。
「…………ああ、くそ。こんな、こんなことなら……俺は、ただの平凡な被害者として、死んでいた方が…………いや、でも、そうだな。こんな有様になっても、笑えるが」
人を殺さなければ、苦痛を。
人を殺せば、変化を。
どちらにせよ、彼本来の人格には、未来など存在していなかった。
辛うじて、異能による人格作成によって、狂いそうになる度、自分の人格を過去の記憶から上書き保存しているが、それすらも最近は怪しい。
何せ、彼は時折、自分の名前すら思い出せなくなってしまうのだから。
「死にたく、ない」
彼は部屋の床に蹲って、小さく何度も、「死にたくない」と呟き続ける。
しかし、この『死にたくない』ということは、生命活動を続けるだけの意味ではない。それだけを目的とするのであれば、そもそも、彼は――【魔神器官】から逃亡などはしなかった。
右腕に移植された『権能』を、大人しく受け入れただろう。
赤い記憶も受け入れて、魔人として転生していただろう。
そう。態々、実家から出て、貯金を切り崩しながらビジネスホテルを転々としなかったはずだ。もっと諦めが良ければ、あるいは、要領が良ければ、彼はこんなにも苦しまなかった。
「…………何を、俺は、何をしているんだ?」
口元に引きつった笑みを張り付けて、彼は己を嗤う。
こんなにも苦悩しようが、苦痛に耐えようが、彼の中に植え付けられた記憶が、とある『規則』が、時が来れば、彼の撃鉄を叩くだろう。そうすれば、一時的に人ではなくなってしまう。彼の主導権は違う物へと移されるのだ。
――――数多の異能を略奪し、我が物としている、複合獣へと。
●●●
犬飼銀治にとって、狩りとは計画的であるべき物だ。
少なくとも、計画から外れた狩りと言うのは、大抵、ろくでもない結果にしかならないので、喜ばしい物では無いのだ。
何故ならば、常冬の領域では常に、リソースを意識しなければいけないからだ。
弾薬はもちろん、猟銃の耐久性。体力。集中力。
人が住まうことが出来ない領域の中で、狩る側として振る舞うためには、弱みを晒してはいけない。故に、銀治の狩りと言うのは、常に強者の側に立ち、当然のように獲物を狩ることだ。
その例外となったのは、唯一、『常冬の王』だけ。
だからこそ、銀治は計画外の狩りを嫌う。銀治は戦士ではなく、猟師なのだから。獲物ではなく、好敵手との真正面からの戦いなど、一度きりで充分なのだ。
「じゃあ、銀治君。次はどこへ行こうか?」
「ど、どこでも大丈夫っす!」
「あはは、なら、一緒に服を見て回らないかい? 今度、友達と一緒に遊びに行く予定があるからさ。私にどんな服が似合っているのか、意見が欲しいんだ」
「うっす! 是非とも!」
しかし、現在。
銀治は、予定から大幅に狂った狩りの途中であるが、焦燥や苛立ちとは無縁の心理状態にあった。
そして、その理由は明白だった。
「やー、私としてはボーイッシュな服で、無難にまとめたいのだけれどね? どうにも、同級生の女の子たちが、それでは許してくれなさそうで」
「あ、やっぱり照子さんは女子として、潜入任務しているんだな」
「まぁね。詳しくは機関の仕事に関わることだから言えないけど……うん、割と男としての感覚ががりがり削られる毎日だよ。上司からは、男に戻る手段がないのだから、女子として振る舞っても何も問題ないとか言われるし」
「どこの組織の上司も、割と強引なんだなぁ」
銀治は照子と共に、とあるショッピングモールを歩いていた。
しかも、距離感としてはただの友達同士よりも、もっと親しげな間隔を意識して、二人で並びあって歩いているのだ。傍から見れば、恋人か、少なくとも友達同士に見えるかもしれない。
銀治と照子の二人は、朝からこのような感じで、仲のいい男女のデートを装って、あらゆる場所を歩き回っていた。
もちろん、これはプライベートのデートなどではなく、照子を餌にした囮調査である。
カンパニーの情報を下に、襲撃者が現れそうな場所へと二人を派遣。機関のエージェントたちが、いつでもその場で戦闘が起こっても、すぐさま一般人を退避させる準備を整えた、万全の体制による囮調査なのだ。
「銀治君。こっちの服とかどう思う? 一応、女子ウケと男子ウケは別なんだけどさ。男子ウケを全く考えない服と言うのも、逆に、露骨すぎる気がするんだよね」
「やー、生まれてからずっと、田舎に引きこもっていた僕に言われても」
「そっかぁ」
「やっぱり、無難にファッション誌の丸パクリで良いのでは? 何か言われたら、そのまま、ファッション誌を参考にしたって言えば、角は立ちにくいだろうし」
「なるほどね。初心者感を逆に利用して、ヘイトを集めないようにするわけか」
けれども、襲撃者はやってこなかった。
朝から、囮調査で襲撃者を釣り出そうとしている二人であるが、襲撃者の警戒心が高いのか、それとも、何かしらの策略を練っている途中なのか、襲撃は来ない。
照子の予想では、直ぐにでも魔人集団が何かしらのアクションを起こしてくる物だったのだが、意外にも平穏その物だった。露骨に情報を流して、明らかに隙を見せているというのに、相手は囮に食いついて来ない。
罠だと察知しているからだろうか? しかし、相手は単なる魔人集団ではない。
場合によっては、カンパニーや機関の上層部すら食い破る可能性を持っている組織だ。あるいは、それ以上の戦力を保持している可能性がある。
何より、魔人集団の首魁が関わっているのであれば、例え罠だろうとも、天宮照子の情報を得て、放置するわけがないというのが機関の見解だった。
「…………なんか、普通に楽しんじゃったぜ?」
「まぁ、相手にも準備があるからね。こちらとしては、本命の前に、尖兵として襲撃者をけしかけて来ると思ったのだけれど、肩透かしだったねぇ」
そして結局、囮作戦を朝から夕方までの間、ずっと続けてみたものの、監視網に引っかかる相手は出てこなかった。当然、襲撃もない。完全なる空振りである。
「今日はごめんね、銀治君。空振りに付き合わせてしまって」
「いや、警戒しながらの日常生活ってのも、中々悪くなかった」
つまり、それは銀治が今日一日、ずっと照子とデートをしていたということである。
朝の待ち合わせから始まって。世間話をしながらの、楽しいウィンドウショッピング。お洒落で都会的なカフェでの昼食。流行の映画の干渉。カラオケ。ボーリング。ゲームセンター。
そう、それはもう、銀治が密かに、『一度は女の子と一緒にやってみたい』と思っていた項目に、かなりチェックが入るほどの充実した一日となってしまった。
少なくとも、銀治にとっては空振りではなく、十分に楽しい一日だった。
もちろん、警戒は怠っていないが、何度、気配を探ってみても、不審な視線は皆無なのだから、演技にリアリティを付け加えるため、本気で楽しむのは悪い選択肢ではなかっただろう。
「じゃあ、また明日もよろしくね? 一応、こちらも襲撃者に関する調査は続けていくから、餌に引っかからなかった場合は、こちらから襲撃というプランに切り替えよう」
「了解。とりあえず、お互いに単独になった時に、いきなり襲撃を受けないように気を付けようぜ?」
「そうだね。一人の場合、周辺被害を抑える役割の人が居ないからね」
「そっちの心配かよ?」
かくして、銀治と照子の囮調査一日目は、失敗に終わったのだった。
けれども、銀治の心に焦燥感や、苛立ちは無い。むしろ、忌まわしき領域から解放されてから、ここまで充実した一日を送ったのは初めてだと言えるだろう。
例え、照子の中身が、アラサーのオッサンだったとしても。
「さて、と」
二人での囮調査は夕方で、一時的な解散だ。
しかし、二人が別れてからも、機関やカンパニーは二人の周辺に潜み、警護を怠ることは無い。何故ならば、襲撃者の立場からすれば、戦力が分かたれた時こそ、絶好の好機なのだから。
当然、銀治も油断はしない。
ショッピングモールからの帰り道。夕暮れに染まった商店街の通りを歩きながらも、周囲の敵意を拾うことを忘れない。
「…………」
そして、銀治は歩きながら、自らに近づいてくる気配を感じ取っていた。
一見すると、気配も足音も完全に一般人の物。しかし、仮に襲撃者が奇襲を狙う場合、脅威なのは気配を完全に消してからの攻撃よりも、一般人を装っての一撃だ。前者ならば、人通りの中で、魔術や異能を用いようとも気配を消そうとすれば、どうしても違和感が周囲の空間に残ってしまう。だが、後者の場合は奇襲を行う者の技量にもよるが、一瞬の隙を狙って全身全霊を叩き込むという、厄介な手合いが多いと銀治は学んでいる。
「…………ふーっ」
よって、銀治は素早くギアを警戒から、戦闘へと引き上げた。
既に、拳銃は一般人の視界に移らないようにして、右手に携えている。魔弾の準備も十全。いつでも、全力戦闘に移行できる気構えで、銀治は近づいてくる気配へと視線を向けて。
「お、犬飼じゃん。おひさー」
「…………山口じゃねーか!」
「あ、うん? 山口太河だけど、何? なんで、俺は出会い頭に、友達からがっかりされているの?」
見知った顔が、暢気な顔つきでこちらに声をかけて来るものだから、思わず、大きな声で突っ込んでしまう銀治だった。
どうやら、今日はとことん、銀治にとっては平穏な日になっているらしい。




