第8話 美少女に至るまでの前日譚 8
私は経験上、頭に血が上った相手との交渉は無意味であると知っている。
怒りの程度にもよるが、論理を説明して、納得してもらえる段階を過ぎ去っているのだ。こういう相手を説得するためには、一度、上がった血の気を下げる必要があるだろう。
「あー、ちょっと待ってくれ。多分、君は誤解している――」
そのため、私は口では弁解の言葉を吐きつつ、殺されないように構えを取るという器用なことをやっていたのだが。
「落ち着きなさい、馬鹿」
「ぶっ!?」
私が説得するよりも前に、芦屋が動いていた。
両足で私の胴体を締め付けたまま、器用に懐から呪符を取り出して、学生服の少年へ投擲。私が止める間もなく投擲された呪符は、学生服の少年の顔面付近で弾ける。すると、そこを起点として、音の無い衝撃波が学生服の少年を襲って、その横っ面を引っ叩いたのだ。
「な、ななななな、何をしやがる、彩月ぃ!」
「それはこちらの台詞。折角、入って来た新人に、その態度は何?」
横っ面を叩かれた学生服の少年はけれど、平然と芦屋へ文句を言い、芦屋もまた、これぐらい当然といった顔で言葉を返している。
なるほど、これぐらいのやり取りは日常茶飯事であり、どうやらこの二人は中々親しい間柄のようだ。
「毎回、入って来た新人を『説得』して後方に叩き込むお前に言われたくねぇ! というか、お前こそ何やってんだよ…………そ、その、そんなところで!」
「厭らしい。どんな想像をしているの?」
「幼馴染が、オッサンに組み伏せられていたら心配するだろうが!」
「馬鹿ね。よく見なさい…………ほら、私がこの人を足で締め付けて、逃げられないようにしているでしょう?」
「早く止めてやれよ!」
学生服の少年と芦屋の言い争いの末、私はようやく拘束から解放された。ふぅ、良かった、良かった。ついでに、芦屋が学生服の少年に対して状況を説明してくれたので、私への誤解は完全に解けた模様。
「……というわけで、山田さん。これが、後山町の退魔師四人の内の一人、土御門 治明です。カテゴリは混血と式神使い。もっとも、私とは違うごりごりの前衛タイプだけれども」
「へぇ、なるほど。頼もしいね。私は山田吉次。去年の冬頃に覚醒した、異能者だよ。若輩者だけれど、ご鞭撻のほどを、よろしくお願いします、土御門君」
「ちっ」
ただし、学生服の少年――土御門君は、私に対して何かしら納得していない部分があるようだが。
「こら、ちゃんと挨拶しなさい。幼稚園児なの? 拗ねた幼稚園児なの? おかしいわね? ここには最低限、中学校を卒業した人しか居ないというのに」
「うっせぇ! こちとら、完全に上がったフラストレーションの行き先、見失ってんだよ!」
「やれやれ、自分の感情もコントロールできない子供ね? 隣に、エルシアちゃんが居れば、まだマシな態度になるのに、貴方はどうして、ペアと一緒に居ないの?」
「…………うるせぇ」
私は改めて、土御門君を観察してみる。
背丈や芦屋の言葉から、高校生であることは間違いない。短く切られた灰色の髪は、戦闘を意識した物だろう。洒落っ気よりも、実利を優先しつつも、坊主では無いのは、スポーツマンとして見られたくないからかな? けれど、細身の割には筋肉質な体の動きをしている。固い筋肉じゃない。しなやかな筋肉だ。背負ってある竹刀袋の大きさから、獲物は細長い棒の類か、あるいはストレートに刀剣類だと予想。佇まいからは、初対面の芦屋にも似た、『触れたら危うい』という雰囲気……覇気と称される物がある。
退魔師になってから一か月にも満たない私であるが、なんとなく強いのだということは予想が出来た。
「そんなことよりも、彩月」
「何よ、馬鹿」
「ナチュラルに罵倒を止めろ…………こいつ、強いのか? お前があれだけ、厳しく設定した基準に弾かれない程度には」
そんな彼が、鋭い視線で私を睨んで来るのだから、たまったものではない。
うーん、獲物に触ってすらいないというのに、今まで相対したどの魔獣よりも恐ろしい敵意をぶつけてくるのは止めていただきたいものだ。こちとら、いつでも土下座の準備は出来ているのだぜ?
「何を言っているのか、さっぱり分からないわ」
「………………んん? いや、お前だって、その――」
「さっぱり分からないわ」
「…………ああ、うん。はいはい、そういうことね。分かったよ、ったく」
何が分からなくて、何が分かるのだろうか? 私は許されるのだろうか? 私としてはさっぱり分からない。
「だが、試さないと俺は納得できねぇな。幼馴染のペアを任せるんだ。こんな、覇気のないオッサンに務まるのか、俺が試験官になってやる」
「ちょっと待ちなさい、馬鹿。山田さんは、元一般人で――」
「いいよ。試されてあげようじゃないか」
しかし、なんとなく場の流れは理解したので、乗ってあげるとしよう。
私は土御門君へ抗議しようとする芦屋を手で制して、言葉を続けた。
「こちらも、一緒に仕事をする相手の力量を知りたいところだ。まさか、口だけの子供というわけではあるまい?」
「……ほぉ、言うじゃねぇか、オッサン」
にぃ、と土御門君が口の端を釣り上げて、敵意剥き出しに笑う。
うわぁ、少年漫画の主人公みたいな笑い方してやがる。しかも、戦うことに楽しみを見出している系の笑みだよ、怖い。
でもまぁ、この流れはかつて、少年だった自分が夢見た流れだ。今更止めるわけにはいかない。いいや、むしろ、望むところだ。
「彩月。俺と、このオッサンを『トレーニングルーム』への転移を頼むぜ。終了条件は、どちらかが気を失うか、『参った』と言うかだ」
「…………山田さん、いいのですか? この馬鹿は言動の通りの馬鹿ですが、正直、条件次第では私よりも強いですよ?」
「ふっ、大人の力を見せてやるさ」
「よくわからないノリになっている…………はぁ、仕方ありません。終了条件に、一定以上のダメージを負った場合も含めます。そして、私の治療で治せる範囲を超えた攻撃をした相手には、厳罰を処します。それでもいいなら、見逃してあげましょう」
土御門君と、私は揃って頷く。
ところで、『トレーニングルーム』ってなんぞ?
「では、二人とも、行ってらっしゃい」
私が疑問を解消する暇もなく、それは行われた。
一瞬の浮遊感の後、気付けば周囲の景色は事務所の内装から、古めかしい道場の物へと変わっている。
これは、一体?
「彩月は芦屋の家を継ぐ才能を持った、結界術師だ。この通り、仮想空間をいくつか作ってストックしておくことはもちろん、高ランクの魔物すら、封じ込める結界を張れる。退魔業界では、かなり期待されている奴でよぉ…………だからこそ、本来であれば、もっと強い奴と組むべきなんだ。新人の教育係なんてさせねぇでさ」
きょろきょろと周囲に視線をさ迷わせる私とは違い、土御門君の視線は揺るがない。
揺るがず、私を見据えている。
「だから、試させて貰うぜ、オッサン。アンタが最低限、彩月の足を引っ張るような無能じゃないってことを、な!」
そして、静かに拳を構えた。
敵意が闘志へと変わり、凄まじいほどの魔力が、土御門君の体に漲っている。さながら、血液のように、体中をぐるぐると循環し、一片の隙も見当たらない。
正直、この時点で挑発に乗ったことを後悔しているが、折角ならば、最後までやろう。
「へぇ、なるほど。こりゃあ、凄い…………でも、背中のそれは飾りかな?」
「言うじゃねぇか、オッサン。けどなぁ? 俺にも、ちゃんと後輩相手に『手加減』する分別ぐらいはあるんだよ。これはまず、アンタが相応の力を見せたら、抜いてやる。どうだ、安心したか?」
めっちゃ、安心した。
安心したので、もっと煽っていこう。
「そうか、親切だな。ならば、私も大人としてそれに応えなくてはなるまい」
私はにやりと不敵に笑って、右手で三本指を立てた。
「三分だ」
「あ?」
「三分間、立っていたら褒めてやる」
「………………く、は、ははははははっ!」
私の言葉に、きょとんと目を丸めた後、土御門君は声を上げて笑い始める。恐らくは、私の冗談が面白かったわけでもなく、怒りの臨界点を一気に超えてしまったのだろう。
土御門君はひとしきり笑った後、すっと表情を消して、私へ告げた。
「ぶちのめしてやるぜ、ルーキー」
「大人の力、分からせてやるよ、ガキ」
混血と異能者。
プロの学生と、ルーキーである私。
異なる二つの闘志は今、互いの拳を用いてぶつかり合うのだった。
なお、この後、私は三秒でボコボコにされて、即座に事務所へ戻されることになる。
●●●
「最低」
「違うんだよ、彩月。言い訳をさせてくれ」
「山田さんは、新人なのよ? つい最近までは、一般人だったの。幼い頃から、ずっと修行をしてきた私たちとは違うのに……こんなに思いっきり殴って」
「いや、こう…………避けられるかな、って思って」
「新人の顔面を殴り飛ばす先輩とか、最低。力の差を教えるにしても、もっとやり方があったでしょう? なんでそんなに乱暴なの? 山田さんが貴方に何をしたの?」
「…………ちょ、挑発されて……」
「頭に血が上って、こんなことをしたの? すっきりした? むかつくことを言った相手を殴り飛ばして、すっきりした?」
「…………いや、あの」
「大体、なんで人のペアを勝手に試すとか言っているの? 何様のつもりなの? そんな権限、貴方にあるの? 貴方が何を言おうが、決定権は私にあるのよ? それとも、自分の気に入らない同僚を追い出したかったの?」
「ち、ちがっ…………俺は、その、お前が、心配で……」
「気持ち悪い。たかが幼馴染の分際で、何を思い上がっているの?」
「…………」
いたたまれない。
自分の無力で、年下の同僚たちの空気が険悪になるのって、とてもいたたまれないよ!
私は芦屋に治療を施して貰った後、しばし、二人のやり取りを眺めていたのだが、これはまずい。この不和は、ここでどうにかしなければ尾を引く奴だ。
それに、悪ノリをしてしまった私にも責任はある。ここは、真っ当な社会人として、なんとかこの不和を収めなければ。
「ま、まぁまぁ、芦屋。落ち着いて、落ち着いて。あれは、私も調子に乗った発言をしたのが、悪かったよ」
「…………だからと言って、鉄拳制裁をするのは乱暴です」
「いやいや、組手。試合形式。あれぐらいだったら、研修中も良く加藤さんから受けていたから。でも、今回の場合は何だろうね? 妙に意識を揺さぶる打撃でね? やぁ、がっしりと魔力を込めた打撃は、肉体だけじゃなくて精神を揺さぶるのだと勉強になったよ」
「…………むー」
「新人である私を心配してくれる気持ちは、ありがたい。とてもありがたいものだと思っているけれどね? 私は新人だったとしても、もう、退魔師だ。これぐらいの負傷はいずれ、日常茶飯事になるだろう」
「日常茶飯事、では、困ります。我々退魔師は、消耗品ではないので、もっと……」
よし、矛先が私へ移ったな、よし。
芦屋は面倒見が良いので、私が間違えた考えを呟けば、きちんとそれが『どう間違っているのか?』を教えてくれるはず。加えて、私に教えている間に、怒りが段々と落ち着いて、少しでも冷静になってくれれば幸いだ。
何やら、芦屋と土御門君の間柄は、ただの幼馴染で括れないほど複雑なようだからね。
「分かりましたか、山田さん? 我々退魔師が、無意味な負傷を避ける理由を」
「うん、とても分かりやすかったよ、ありがとう。流石、頼りになる先輩だ」
「…………畏まらなくていいと再三言っています」
「あははは、ごめんね? でもまぁ、負傷を避けるためには、やはり強さが必要になるだろう? ならば、多くの相手との実戦形式での組手は必要だと思うのだよ」
「まぁ、そうかもしれませんが、しかし」
「ありがとう、心配してくれる気持ちはとてもありがたい。でもね? 私だって、これでも男だ。そして、大人だ。いざって時は、君たち子供の盾になりたい…………なんて、社会人として当たり前のことをほざくのにも、力が必要でね?」
ここで私は、死んだ目をして凹んでいる土御門君へ向き直り、頭を下げる。
「土御門君、どうか、お願いだ。先ほどの無礼は、どのようにも詫びる。だから、君が納得できるぐらいに、私を鍛えて欲しい。私も、私が原因で、ペアが傷つくようなことは避けたい」
私が頭を下げると、土御門君は形容しがたい百面相をした後、大きく「はぁー」と息を吐いて、自分自身の横っ面を殴った。そう、パーではなく、グーで殴った。
「くそっ、自分のガキさ加減が嫌になるぜ…………俺も、悪かった。いや、すみませんでした、山田さん」
「山田でいいよ、それと、敬語は要らない。同僚だからね? いざという時のために、意思疎通のしやすい方で行こう」
「ああ、分かったよ、山田」
「うんうん、そっちの方がこっちも気が楽だしね。んじゃあ、早速、再戦をお願い出来るかな? この私が口だけ野郎じゃないことを証明しないといけないからね?」
「…………はんっ、三分間、倒れずに立っていたら、褒めてやるよ」
「その場合は、お互いに下の名前で呼び合うということで」
「一回り以上年上のオッサンと!?」
ふぅ、これでよし、と。
まだまだ信用されているわけでは無いが、なんとか和解の第一歩は踏み出せたようだ。
「…………男って、単純なんだか、馬鹿なんだか」
男だからね、馬鹿なのは仕方ないね。
私たち二人のやり取りを見て、呆れたように呟く芦屋に、私はお道化たウインクを返して見せる。
さぁて、頼りになる先輩たちに追いつけるように、私も頑張らないとな!
「…………おいこら、さっきは手を抜いてやがったなぁ!?」
「いや、これは私の異能の影響でね?」
なお、その後、あっさりと三分間の目標を達成してしまったので、土御門君……もとい、治明から散々文句を言われてしまったという。