第88話 人を狩る猟師 2
天宮照子。
機関に所属する退魔師であるが、その素性を正確に知る者は少ない。
カンパニーの上層部から、銀治にもたらされた情報によれば、天宮照子というのはあくまでも、その肉体に伴う戸籍上の名前らしい。
本名――ただし、既に鬼籍に入っている――は、山田吉次。
どこにでも居るような、冴えないサラリーマンとして暮らしていた、アラサーの成人男性だ。特筆すべき経歴は無く、退魔の血筋に連なる家系だったり、神童として生まれたわけでも、チェンジリングとして、異界に招かれた過去があるわけでもない。
ただ、マヨイガと呼ばれる特殊な領域で、『何か』と接触し、その結果、異能に目覚めた。その後、機関の息のかかった病院で検査を経て、機関に所属することになった。
そして、ランクB相当の魔人との戦闘により、命を落として死亡。
そう、完全に肉体が消え去り、魂も黄泉路へと旅立った。例え、不死なる異能を持つ者だとしても、ここからならば復活することは不可能な、完全なる死だ。
――――それを覆し、天照大神というランクA相当の魔神の器となるはずだった肉体を強奪。掌握して、自力で転生した個体というのが、天宮照子という存在らしい。
「…………改めて、情報を確認したけど、そうとうインチキな経歴だよな、これ。悪い冗談にしか思えない。機関がカンパニーに、わざと掴ませたブラフにしても、こんな荒唐無稽な設定にする必要はないはずだしなぁ」
銀治は、オレンジジュースの入ったグラスを口元に傾けながら、改めて、照子に関する情報を確認していた。
「いや、よそう。カンパニーがどんな意図を持っていたとしても、僕を騙そうとしても、もうちょっとまともな偽装を用意するはず。うん、そこは何度も確認したのだから、いい加減、納得しろ、僕」
この情報は、銀治が完全に治療を終えた後、水無月から与えられた物である。
情報を与えられた意図として、銀治はなんとなく、カンパニーからの釘刺しだということは理解しているが、初恋をこんな形で終わらされたことについては、納得していない。
確かに、うっかり告白した後、本人から真実を告げられるよりはマシだろうが、それにしたって、少年の初恋を何だと思っているのか? と憤慨した物だが、その怒りも時間が経つごとに薄れて、違う感想が頭に浮かぶようになっていた。
「…………本当に、自力で生き返ったのか?」
それは、畏怖の混じった疑問だった。
この世界には、あらゆる魔術、異能、怪現象が存在する。故に、死なない怪物や、死んだと見せかけて生きている、というトリックを使う存在は少なくない。
銀治も過去、不死を装う魔獣を狩った経験があるので、『死なない』という事象に対しての耐性は存在していた。だから、別段、不死に近しい力を持っていること自体は、驚愕に値しない。
だから、畏れるべきは、『転生』したということだ。
「完全なる死亡からの復活……そんなの、人類史の中でも、聖人クラスでしか成し遂げていない、偉業のはずだ」
死なない、のではなく、死んでも蘇る。
しかも、別の肉体を得て。
これが魂を別の肉体へと移動して、定着させる『憑依術式』ならば、そこまで銀治は驚かなかっただろう。魂が現世を漂っていたり、黄泉路へと進んでいなければ、まだ復活の余地はあると判断されるからだ。
だが、カンパニーが入手した機関の記録によれば、確かに、黄泉路を渡ったと書かれてある。川の向こう側へ。分水嶺のその先へ。決して、戻ることのできない向こう側へ行ったのだと。
「そんな人材を、態々、『たかが異能者の狩り』に引っ張り出してくる? うーん、どうにも、僕にはこの仕事が、何かしらの策謀が絡んでいるようにしか見えないんだよな…………ま、だからと言って、今更、仕事を断るほど、僕は素人じゃないけど」
銀治は頭の中に、十分な情報と警戒を叩き込みつつも、体を強張らせるような真似は犯さない。どれだけ脅威に値する相手を前にしても、思考と体は柔軟に。それこそが、銀治が常冬の領域の中で、生き続けて来た秘訣の一つなのだから。
「とりあえず、待ち合わせ前に、小腹を満たしておこう、うん。あ、すみません、店員さん。この和風パスタを一つ」
犬飼銀治は油断しない。
例え、顔見知りであったとしても、自分を遥かに上回る戦力の持ち主と会う場合、待ち合わせ場所には、雑多に人が居るファミレスを選ぶ。また、待ち合わせの一時間前から陣取って、ファミレス内部の構造を把握。
仮に、カンパニーに対する機関の攻撃だった場合も考慮して、逃走経路を幾つも用意する。
もちろん、普通の学生として、ファミレス内に溶け込む偽装の手間も惜しまない。
現在、携帯端末を眺めながら独り言を呟いている銀治であるが、その言葉は全て、魔術によって周囲には、他愛のないネットゲームの話題として聞こえるようにも調整されてある。万が一にでも、情報漏洩なんて失態を犯さないように。
「さて。照子さんには悪いけど、今回、僕はあくまでもクールに、カンパニーの一員として接させてもらおうかな? 何、素人じゃないにせよ、退魔師としての経歴は僕の方が長いからね。精々、プロらしく、機関の思惑を見抜かせてもらうよ」
少年の形をした猟師は、同行者に対しても警戒を怠らず、待ち構えていた。
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「やぁ、久しぶりだね、銀治君。元気にしていたかな?」
――――きゃわわ!
銀治の脳内は、照子と出会った瞬間、よくわからない擬音によって満たされてしまった。
さながら、薄暗い洞窟から出た瞬間、眩い陽光によって目が眩むかのように。
銀治は久しぶりに照子と再会し、その美貌に圧倒されてしまったのである。
「お、お久しぶりですぅ……照子、さん」
「あははは、そんな固くならないでよ。多分、そっちはもう、私の年齢については知っていると思うけどさ。これからしばらく、一緒に仕事をする仲間だろう? だから、効率重視で、敬語は抜きで行こう」
「お、おっふぅ」
「何その応答?」
思わず、変な声が出てしまった銀治であるが、ここで舐められるわけにはいかない。何せ、機関とカンパニーは本来、犬猿の仲である組織同士だ。今回は、呉越同舟の任務になるとはいえ、互いの面子のため、カンパニーに所属する自分が情けない姿を見せるわけにはいかない。
そんな心持ちで、改めて銀治は照子と向かい合う。
「ん、何かな?」
「――――っ!」
そして、絶句した。
何故ならば、現在の照子の服装は、女性らしい、真っ白なワンピース姿だったのだから。しかも、肩が露出しているタイプである。真っ白で、汚れ一つ見当たらない上等なワンピースの布地にも負けていない、綺麗な肌が結構な面積見えてしまっているのだ。しかも、それは元々、太陽神の器として用意された物であるからか、陽光に当てられても日焼けどころか、シミ一つ出来そうにもない。
更には、眼前の美少女は金髪碧眼である。
金細工のような髪は、綺麗にポニーテイルで纏められていて。
雲一つないような晴天を、眼球に閉じ込めたかのような色の瞳は、興味深く、銀治の視線と合わせてくる。
「あー、ひょっとしてこの恰好かい? これはね、ちょっと同僚に選んでもらった服装でね。まぁ、私の趣味ではないのだけれども、今回の仕事は囮役って面もあるから、仕方なくね」
「い、いえ、その、似合ってます」
「あはは、良かった。君も、似合っているよ、その姿」
「う、うっす!」
しかも、以前、共闘した所為か、それとも、中身は男性である所為か。明らかに、普通の異性よりもパーソナルスペースが狭く、こうして向かい合っている時でも、ふとした瞬間、踏み込んで来るような気安さを感じてしまう。
つまり、銀治は、久しぶりに超絶美少女である照子と再会し、年頃の男子高校生のように、分かりやすく狼狽えているのだ。
「一応、今回は君とは田舎暮らし時代の友達、という設定で一緒に居ることになるからね。何か、私に対して違和感があったり、変な部分があったら教えて欲しい。この肉体になってから、しばらく経つけれど、流石に、君たちと同世代の女子と比べると、女の子らしくないって気づかれてしまうからね。ま、気付かれたところで、そういう女子として振る舞えばいいだけなのだけど」
「そう……だ、なっ! うん! 大丈夫! 全然、違和感はない! 普通……いや、普通以上の女子って感じだから!」
「ありがとう、銀治君。やー、でも、私としては素直に喜んでいいのか、分からないなぁ」
苦笑する照子の笑みに眩みながらも、銀治は話題を進める。
男子高校生としての本能は、このまま美少女との雑談を楽しみたいのだが、猟師としての理性が、これ以上、フレンドリーな会話を続けると危ういと判断したらしい。具体的には、今後の性癖に関わることになると危惧したようだ。
「ん、んっ! それで、照子さん。今回の仕事内容を確認しても?」
「ああ、もちろん。今回は機関とカンパニーの合同任務だからね。互いの上司から伝えられている情報が食い違っていることもあり得るかもしれない。上は冷戦下でも、実働部隊である私たちにしわ寄せが来ないように、仲良くやろうじゃないか」
「え、ええまぁ、ごほんっ! ――それは照子さんの腕次第だけどな?」
「あはは、言うねぇ」
銀治の挑発的な言葉に、楽しそうに笑った後、照子はすっと表情を引き締めた。
「じゃあ、失望されない内に、仕事の話に移ろう。今回の標的は、機関でも未登録の異能者だ。こちらでは、魔人たちが全国規模で引き起こした、異能者大量発生事件の際、取りこぼした存在だと考えている。理由としては、その異能者の引き起こした事件が、証拠隠滅がまるでなってなく、あまりにも分かりやすいため。そう、はっきり言って『力を持った素人』にしか見えないほど、お粗末な犯行なのだよ」
「カンパニーの意見も同じだな。発覚している事件は四つ。その全て、ろくに証拠隠滅もせず、殺人を行っている。そして、それら四件の殺人で共通していることは――――標的が殺した相手は、全て、異能者であること。それも、カンパニーに登録されている『世界の裏側』に所属する異能者だ」
照子の表情が一変するに呼応して、銀治の気配も変わる。
男子高校生の物から、冷たく、標的を狩る猟師としての気配へと。
「機関としては、狙われた異能者には皆一様、犯罪歴があることを共通点として挙げているよ」
「カンパニーとしても、そこは認めているぜ。こちらは機関よりも潔癖じゃないんでね。清濁併せ呑む組織だ。犯罪に関わる異能者でも、組織に有用なら囲い込むこともある……だが、そいつらは大概、『上手くやっている』んだよ。少なくとも、それなりに素性を調べ上げなければ、悪人とは分からない程度には、弁えている奴らなんだ」
「つまり、突発的な怨恨の線は薄いと?」
「少なくとも、標的となった四人の異能者に関して、つるんでいたという話は聞いていない。そもそも、経歴上、四人はまともに会ったことすら無い者同士だぜ?」
「となると…………情報が抜かれているみたいだね」
「忌々しいことに、その通り。こちらの情報を抜き取った何者かが、背後から『正義感溢れる異能者』を煽って、カンパニーに攻撃しているというのが、こちらの見解だよ」
なんて無様だ、と銀治は自らが所属する組織を罵って、ため息を吐く。
カンパニーが無能では無いことは、所属する銀治自身が良く知っている。だが、だからこそ、銀治は忌憚なき意見を述べていた。
余計な感情で、獲物への足取りが遠ざかるような愚行を犯さないために。
「まぁ、ここまでならば、どこの組織にでもあるような事件だね。我々の機関でも、最近、鼠を処理し終えた所だし。他の失態を責められるような立場には居ません」
「そう言って貰えると、カンパニーの使い走りとしてはありがたい限りだぜ」
「いえいえ、上はともかく、実働隊同士、仲良くやりましょう…………さて、互いに組織を背負う者同士の挨拶は終わったところで、実務的な内容に移っても?」
「もちろん。そのためのすり合わせだ」
互いに十代の容姿を持つ者たち二人は、それぞれ、外見に似合わぬ剣呑な空気を纏わせながら言葉を交わす。
けれども、これは世界の裏側に属する者同士のマナーのような物だ。
世界の表側には、表側の相応のマナーがあるように。裏側にも、相応のマナーがある。例えば、いくら共闘するといっても、互いに敵対する組織に所属する者同士なのだから、『外では相応に振る舞う』ことなど。
照子と銀治の二人はここら辺を弁えているので、本題に入る前にきちんと、マナーとして互いに『らしく』振る舞っていたのだ。
「今回の合同作戦は、私が囮となって、標的である襲撃者をおびき寄せることになる。その際、私が上手く時間を稼ぐから、その内に君が標的に狙撃をして欲しい」
そして、面倒なマナーをきちんと済ませた後は、余計な思考を省いての作戦会議である。ここに至れば、思考は互いの組織の面子よりも、仕事内容に集中する。
「典型的な前衛と狙撃手の形だな、了解したぜ。でも、早々都合が良く、相手が照子さんを襲うのか? カンパニーからの情報では、照子さんを『凶悪犯罪者』としての誤情報を流して、襲撃者の正義感を煽るとあるが、そんなに上手く行くとは思えないぞ?」
「うん、疑問はもっとも。でも、大丈夫、問題ないよ。私が囮になれば、きっと襲撃者はやって来ると思うよ。何せ――」
銀治の問いかけに、照子は不敵に笑みを浮かべて答えた。
「襲撃者を背後から煽っている存在は恐らく、私たち機関と因縁がある魔人集団だからね」
照子の微笑みと共に返って来た答えは、銀治に、今回の仕事が厄介な物だということを直感させるのには、十分過ぎる物だったという。




