第84話 幕間:狭間にある者たちの交流
仕事の都合で、遅れて申し訳ありません。
片理水面は現在、モテ期にあった。
二十代半ばまで、異性とキスは疎か、ろくに手も繋いだこともないという、ちょっとヤバめの成人女性であったのだが、ついにモテ期が来たのである。
しかも、それは尋常なモテ期ではない。
「へぇ、半魔ねぇ。この現代で新しいカテゴリを生み出すなんて、おもしれー女。どうだ? この後、俺のラボにでも?」
白衣を纏う痩身のイケメンからは、常に肉体を研究材料的な意味で狙われて。
「お前さんの半身はランクAに値する魔物何だろう? ならきっと、さぞかし、鍛えれば強くなるのだろうなぁ!」
ワイルド系イケメンの細マッチョからは、戦闘力的な意味で期待をかけられて。
「お姉さん。言っておくけど、僕の年でも一応、お姉さんを孕ませられるんだからね? あんまり、子供扱いしないでよ」
銀髪ショタからは、割とガチに惚れられており、真剣に交際を申し込まれている。
紛れもなく、片理水面はモテ期だった。
どこの乙女ゲーの主人公だよ? とツッコミを受けそうなほど、水面はモテモテになってしまったのである。
だが、水面はこのモテ期を冷静に考えて、己の魅力による物ではないと結論付けていた。
何故ならば、大抵の場合、水面に近寄るイケメンというのは、水面の肉体……否、半身が目的なのだから。
『いえ、案外、貴方自身も気に入られていますよ? 水面。というか、貴方も私なんだから、別にいいじゃありませんか』
「良くない! 全然良くない!」
休日の朝、水面は自らのベッドへうつ伏せに倒れ込んでいた。
普段、起きたら直ぐに寝間着を脱いで着替えるものの、休日の朝だけは、惜しみなく怠惰を晒している。
「絶対、絶対、おかしい! この私が、こんなにモテるなんておかしい! いや、おかしいのは口説いてくる人の頭かもしれないけど! なんかこう、淫魔としての変なオーラとか、無意識に出してない、私!?」
『そんなもの出していませんよ。例え、無意識にでも、貴方が周囲の意思を捻じ曲げて、恋愛を貶めようとするわけないじゃないですか』
「うう、だよねぇ!」
ベッドの上でもぞもぞと寝転がりながら、呻く水面。
機関に所属するに伴い、水面の住居は依然よりも数段グレードが上がっている。故に、この通り、朝っぱらどれだけ喚こうとも、防音がしっかりした壁が、二十代中盤女性の叫びを、きっちりと受け止めてくれるのだ。
「おかしい……私はただ、穏やかに……草花を愛でるように、他人の恋愛を愛でて、祝福していればそれでよかったはずなのに……」
『来年には、親御さんに良い報告が出来そうじゃあないですか』
「油断していたら、懐妊報告になりそうなのが怖いんだよ!」
『ご安心しなさい。社会人にもなって処女の貴方とは違い、口説いてくる彼らはちゃんと、そこら辺の道理を弁えていますよ。子供を作るとしたら恐らく、結婚してからになるでしょう。まぁ、貞操の方は、そろそろ散らしておかないと、枯れますよ?』
「枯れてない! まだ、枯れないし!」
『そうですね。枯れる前に、銀髪ショタの彼に刈り取られそうですよね』
「混合魔術があって、本当に良かったと思う瞬間!」
『…………銀髪ショタの方からは、純粋に好意を向けられている癖に』
「うぐっ」
自問自答の末、水面は言葉を詰まらせて、苦々しい表情を浮かべる。
確かに、実験動物に対する興味を向けるような連中の中にも、純粋な好意を向けてくる相手もいるのだ。しかも、淫魔とか関係なく、水面の性格や行動を評価してのことだ。こればかりは、どれだけ言い訳したとしても変わることが無い事実である。
「う、うううっ……だからと言って、違法年齢の相手とか! 明らかに、釣り合いが取れないような大企業の御曹司相手とか! 心の準備が全然できないの!」
『それはそうですね』
「癒しが、癒しが欲しい……十代の青少年たちの恋愛模様を鑑賞したい……応援したい……」
『追い詰められていると、我ながら、割とドン引きなことを言いますね、水面』
しばらく、ふかふかのベッドの上で藻掻く水面であるが、そのみっともない現実逃避を一つの着信音が止めた。
それは、機関に所属するきっかけとなった相手、天宮照子からのメールである。
『少し用事があるので、よろしければ、時間がある時にでも事務所に寄ってください』
丁寧な文面のそれを見ると、水面は考えるよりも先に、指先が『今すぐ行きます!』と文章を打ち、返信してしまう。どうやら、水面の反射行動は追い詰められると、自動的に癒しを求めて、若い男女の恋愛を求めてしまうらしい。
「ヨシ! それじゃあ、彼女たちの青春を堪能――もとい、手助けをしに行こう!」
『はいはい、ドン引きされないようにしてくださいね、水面』
かくして、水面は現実逃避のために、手早く準備を整えて、事務所へと急ぐのだった。
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「ほう、これが噂の半魔って奴か。なるほど、なるほどぉ……確かにこれは、互いの相性も、タイミングも含めて、奇跡的な要素が幾つも重なって誕生した存在らしいなぁ。ぶっちゃけ、一つでも間違えていたら、どっちも魂が消し飛んでいたところだぜ」
「マジですか!? うちの半身、淫魔合体とか景気よく叫んでいたのに!?」
『知っていますか? 水面。ロボットアニメのノリで合体すれば、奇跡は起こせるんですよ? というか、起こせました。我ながらびっくり』
水面が事務所を訪れると、そこには彩月と似た何者かが居た。
一瞬、照子の気を引こうと強引なキャラ変更でもしようかと彩月が考えたのかと疑った水面であるが、当人からの説明があり、何とか納得することが出来たのだった。
「割と長いこと生きているが、オレぁ、アンタら……いや、アンタみたいな形の魂を見たのは初めてだ。誇っていいぜ、片理水面。アンタのそれは、紛れもなく前人未踏だ」
「あ、ありがとうございます……? あの、道満さん。これは褒められているという解釈でいいので?」
「褒めているから、大人しく評価を受け入れな。後、オレのことはミカンと呼んでくれ。折角、可愛い外見をしているのに、仰々しい名前なんて興ざめだろう?」
「や、最近はサブカル方面で、男性名の美少女が沢山いるので、全然違和感は無いですよ?」
「そっかぁ。凄い時代になったもんだなぁ、おい」
とはいえ、いきなり目の前に現れた美少女……しかも、恋愛相談も請け負っている、親しい間柄である彩月と似た存在が、あの芦屋道満とは信じがたいものがある。
社会人特有の状況適応能力で、何とか事実を飲み込んで納得はしているが、素直にそれを信じられるかと言えばまた、別の話なのだ。
『水面。気安く話しかけられていますが、警戒を忘れずに。この方が本当に、あの芦屋道満なのかはさておき、超級の術者であることには間違いありません。実力だけで言えば、あの彩月さんをも遥かに凌ぎます。いえ、機関の中ですら、比肩する術者が存在するのか不明です。私たちの混合魔術を見破って、命に届く術式を生み出す可能性すらあります』
ただ、それはそれとして、ミカンと名乗る美少女が、途轍もない術者だということは、半身からの忠告で素直に受け入れていた。
かつて、魔神と呼ばれていた半身が、ここまで警戒を促すのだから、只者ではないのだろうと。
「いや、申し訳ないです、水面さん。騙すつもりは無かったのですが、こいつが水面さんの話をどこから知ったのか、どうしても一目見てみたいと駄々をこねまして……いい年をして」
「お? いい年? いい年をしてって言ったか? 確かに、オレはミイラよりのお婆ちゃんだが! 外見はアンタの愛しい恋人と似てんだから、そこら辺、気を遣えよ? オレは別に、スカートで胡坐をかいても良いんだぜ?」
「下品な脅しをしないでください」
しかし、只者ではないという点では、今、水面の本能と呼ぶべき何かが、最大限の警戒を促しているのは、ミカンでは無かった。
ミカンの隣に座って、辟易した表情の照子にこそ、半魔としての本能が警戒を促している。
『水面、分かっていますね?』
「うん、もちろん」
水面は照子から、かつてないほどの存在の圧力を感じていた。
つい最近、会った時とはまるで別人……否、別の次元の存在である。隣に居るだけで肌が粟立つような気配に、魂が軋むような魔力濃度。
半魔である水面だからこそ、混合魔術という切り札があるからこそ恐怖は覚えないのだが、これが並大抵の魔物相手ならば、恐慌のあまり動けなくなってしまうだろう。あるいは、低位の魔物であれば、照子に近づいただけで、存在が自壊しかねない。
天宮照子という存在は、もはや、常人の域を超えた、神々の領域の住人なのだ。
――――けれども、今の水面にとって、それは重要な事ではない。
「照子さん」
「あ、はい。何でしょうか? というのも、白々しいですね。一応、今回は私の件についてご説明しようと思って――」
「撮影してもよろしいでしょうか!?」
「…………ああ、はい、良いですよ」
今の水面にとって肝心な事、それは照子がゴシックロリータを着ている事だった。
そう、普段から女物の服を着るのを嫌がって。中性的な物か、ボーイッシュな服を普段着にしている照子が、今日に限って、ゴシックロリータ。しかも、安物ではない。フリルの一つ一つまで気を抜かず、真っ黒な生地だからと言って、不要な色など付かないよう、細心の注意と渾身の誠意をもって作り上げられた、黒衣。
しかも、今回は頭から被るベールと、十字架のワンポイントのある真っ白なソックス。靴も、ロリータに合うような物で揃えて。きちんと化粧もしているのだから、水面としてはテンションを上げざるを得なかった。
『これは、彩月ちゃんにプレゼントするために、気合を入れて撮影をしなければいけませんね、水面! この方は絶対、恥ずかしがって見せないでしょうから』
当たり前だ! と心の中で半身に返事をして、水面はしばらくの間、撮影に集中した。
その様子は鬼気迫る物すらあり、照子は疎か、ミカンも声をかけるのを躊躇うほどだったという。
「…………ふぅ、満足しました。ところで、照子さんは何故、そんな姿に?」
日々のストレスを発散しきったような、すっきりとした笑顔で照子に尋ねる水面。
「簡単に言えば、ミカンへの対価のような物です」
照子は、複雑そうな表情を浮かべながらも、ある程度納得しているのか、特に文句をいう訳でもなく、さらりと答える。
「チンピラみたいな言動でも、このミカンは割と凄い術者なので、ちょっと同僚の修行を頼んだんですが……」
「オレがサービスするのは、子孫ちゃんだけで、他は有料だぜ?」
「ということで、仕方なくこんな格好に。やれ、外見だけは似合っているのが困り物ですよ。ただでさえ最近、押し付けられた女性用の下着を着るのにも抵抗が無くなってしまったのに」
「その情報を彩月さんに話すと、襲われると思うので気を付けてください」
「手遅れです。既に、襲われました。ついでに、一緒にお風呂に入る約束もしてしまいました……私は本格的に、社会人失格かもしれない」
照子は乾いた笑みを浮かべるが、水面からすれば、美少女退魔師になった時点で、社会人云々という面目は、消し飛んでいるように見える。
なので、どんどん彩月といちゃつけばいいと考えているのだが、流石に口には出さない。
恋のキューピットは、余計なお世話でフラグを折るような真似は、絶対にしないのだ。
「や、照子ちゃんはもっと自分の体を使って、積極的に子孫ちゃんを釣っていけばいいと思うぜ? その方が、モチベーションが上がって成長も早いだろうし」
もっとも、ミカンはそこら辺の機微を全く気にしないのだが。
「うるさい、ミカン。それよりも、この格好になった上に、約束通り、水面さんとの連絡も付けたんですから、さっさと働いてください」
「はいはい、わかったよ…………でもなぁ、ほれ、肝心の生意気っ子がよぉ」
ミカンが視線を向けた先に、水面も視線を合わせる。
「…………ぐすっ、主様ぁ」
すると、視線の先には、事務所の隅で体育座りをしている少女の姿があった。
銀髪をぼさぼさに乱れさせて、エメラルドの瞳からボロボロと涙を零した状態で――エルシアは落ち込んでいた。それはもう、このまま干物になっても不思議ではないというほどの落ち込み具合だった。
もちろん、水面も事務所に入った瞬間、エルシアの陰気なオーラは察知していたのだが、あえて、今まで触れないようにしていたのだ。
何故ならば、水面にはおおよそ、エルシアがこの状態になっている理由を察することが出来たからだ。
だからこそ、水面は優しさとして、エルシアを見ない振りをしていたのだが、流石に、この状況でそれを続けるのは難しい。
「ったく、一度振られたぐらいで、何を大げさな」
そして、うんざりとしたミカンの言葉で、水面はエルシアに何があったのかを完全に理解した。
そう、いつか来るその時が、ついに来てしまったのだと。




