第80話 落陽は再会と共に 14
敗北だ、と彩月は自らの不甲斐なさを噛みしめた。
地面に転がった状態で、仰向けに夜空を仰ぐが、星々の煌めきも今は何の慰めにならない。
「まぁ、お主もあの子も、互いに殺さぬように気遣って戦っておったんじゃ。そりゃあ、どうしても弛むじゃろうし、そのリソースの余裕を使って結界の解析も行うわ。あの子は、結界術に関してお主よりも才能があるわけじゃし」
「…………六年間、ずっと修行して、それなりの腕になれたつもりだったのだけれどね?」
「うむ、それは我も認めよう。ただ、だからこそ解析するのに多少なりとも時間がかかったというべきじゃろうて。規格外の才覚を有している相手に、あそこまでの時間を稼げたのは十分に誇らしいことだと思うぞ?」
「弟に負けて、誇らしく思う姉なんて居ない」
「ほほほ、それでこそ我が主じゃ。今後も、精進を重ねるといい…………なぁに、必ずしも才覚がある者が勝つ世の中ではない。世の中とはもっと複雑で、理不尽で、馬鹿みたいな理由で歴史が左右されたりするからのぉ」
共に戦ったアズマは敗北に落ち込む彩月の傍で寄り添い、その横顔を優しく撫でている。
本来、龍神として荒い気性を持つアズマであるが、彩月とは幼い頃から共に過ごし、娘のように思っている相手だ。故に、普段は厳しく気まぐれに振る舞うものの、こういう弱っている時にはつい、甘やかしてしまうのだ。
それが彩月にとって良いことなのか、悪いことなのか、人ならざるアズマには想像がつかない。なので、アズマがこうしているのは、己がこうしたいからという素直な欲望に過ぎないのだ。そして、彩月もそれを知っている。
「そっかぁ…………ねぇ、アズマ」
「なんじゃ?」
「次は、勝てるかしら?」
「今のままでは無理じゃのう」
「勝つために、何をすればいいと思う?」
ぎゅっ、と強く拳を作って問う彩月に、アズマは薄く微笑んで答えた。
「それは、お主と同じ敗北者同士で決めるがいいさ」
「うん? ん、ああ、そっちも無事だったのね」
アズマの言葉に一瞬、疑問を覚えるものの、近付いてくる慣れ親しんだ気配に、彩月は体を起こして対応する。
「おう。見事に手加減されて、この様だ」
「あははは、同じく」
夜の闇から浮かび上がるように現れた治明の姿は、ボロボロだった。
手に携えた退魔刀は、刀身が根元からへし折れており、身に纏う制服の上着は所々擦り切れている。箇所によっては、制服の下のシャツが露出している部分もあるぐらいだ。
まさしく、敗北者という言葉が相応しい有様だと言えるだろう。
「こっちはランクAの魔神を相手にして、ボコボコにされたわけだが、そっちはどうした? 彩月がアズマを使役しても逃す相手なんて相当だぞ。しかも、転移阻害の結界まで解除されているし」
「…………陽介」
「は?」
「陽介が、今回の件に関わっているみたいなの。しかも、割と幹部的な立ち位置で」
「あー、うん、そりゃあ…………」
儚げな笑みを浮かべる彩月に対して、治明は戸惑ってしまった。
しかも、内容が内容だ。芦屋陽介という存在は、治明にとっても浅からぬ縁を持つ相手である。自分がかつて、助けることが間に合っていなかったと思っていた相手である。まさしく、その名前は悔恨の象徴だった。
そんな相手が生きていて、しかも、幹部として機関に敵対している可能性が高い。
そのような事実をいきなり告げられれば、虚言や聞き間違いを疑いたいところであるが、彩月とアズマを同時に騙せるほどの幻術使いが居ることを想定するのは現実的ではないだろう。
よって、治明は突如として突きつけられた現実に戸惑い、言葉を紡げずに居た。
傷つき、強がって笑みを浮かべている幼馴染が居るというのに、何も言葉が思い浮かばない自分に、治明は強く苛立つ。
どうして、どうして、こういう時に俺は何も言えないのだ、と。
「彩月。あのな――」
それでも、治明は何とか口を動かす。
言葉は何も頭に浮かんでいない。
幼馴染の心を癒すための言葉も、奮起させるための叱咤も、何もない。
けれども、ここで何かを言わなければ、自分の言葉は何のためにあるのかと、治明は意を決して言葉を紡ごうとして。
「うぉおおおおおおおお!! 二人ともぉ! 大丈夫かぁ!?」
「彩月姉さん! 主様ぁ! 無事ですかァ!? 無事ですよね! はぁ、良かったのです!」
これ以上無いほどのタイミングで、横槍が入った。しかも、二人である。
「テルさん、エルシアちゃん…………よかった、無事だったのね?」
「ああ、皆が助けに来てくれたからね。今回の件はほんと、皆が居てくれなかったらかなり危なかったよ。うん、助かった」
「でも、こいつ、結局自分で勝手に助かりやがりましたよ? 次からは放っておいても大丈夫だと進言します」
「おっと、エルシア。私だって完全無敵で不死身じゃあないのだよ?」
照子と、エルシア。二人の仲間と合流すると、瞬く間に場の空気が明るくなり、彩月の表情に笑みが戻っていく。
その様子を眺めていた治明は、しばらく呆然としていたが、やがて何かを悟ったような苦笑を浮かべた。やはり、自分はこういう奴なのだ、と。
「治明……治明よ……諦めたらそこでもう勝負は決するぞ?」
「やめろ、アズマ。告白して振られた男に、魔が差すような言葉を囁くな」
「確かに、お主はこう、我が主たる彩月と…………一見、相性は完璧なのに、巡り合わせや、その他もろもろが壊滅的にあれだからのう。でも、相性は完璧じゃから、頑張れ。きっと、良い子を産むぞ?」
「色々な意味でやめろ。というかお前、俺に止めを刺しに来たの?」
なお、そんな落ち込む治明を中途半端に慰めようとするアズマの所為で、さらにダメージを追加で食らっているのだから、とことん間が悪い。
これが果たして、魔神の片腕を斬り落とすという偉業を成し遂げた退魔師に対する待遇なのかは不明だが、半分以上は自業自得の上、敗北してしまったので治明としては何も言えないのだ。
「え? 弟さんが!?」
「そうなのよ、テルさん。六年前の事件も、弟曰く、予め決まっていた計画だって。でも、弟がどうやってそんなコネクションを築いたのか、私にもよくわからなくて」
ただ、治明が何も言えなくなっていようが、照子と彩月の話はガンガン進んでいく。
現状把握から、機関に関する今後の報告をどうするのか、などランクAの魔神に関わった事案ならば、相談すべきことが山ほど存在するからだ。
すると当然、彩月の弟である陽介のことに触れなくてはならない。
「機関は敵対する相手に容赦はしないわ。それが特に、秩序に反する活動をしている組織ならば。ましてや、魔神と共に行動をしていて、大規模事件にも関わっているとなると、殺害が上位エージェントに手配されるかもしれないの。いえ、それだけならば陽介ならば、上手く避けられるかもしれないけれど…………結局、私は躊躇っているのよ。六年ぶりに会った弟と、どういう立場で相対すればいいのか、わからないの」
「彩月……」
仲間たちと合流して気が緩んだのか、彩月の言葉には先ほどよりも悲壮の色が濃かった。
だが、無理もない。大切だったはずの弟からの裏切り。さらには、機関という巨大な秩序との板挟みなのだ、苦悩しない方がおかしい。
「――――よかったじゃん!!」
「えっ?」
なので、照子は普通におかしかった。
「え、あの、テルさん? その、何が?」
「何がって、弟さんが生きていたことだよ! いやぁ、死んでいたらどうにもならなかったけれど、生きているならどうにかなるさ! しかも、かなりの実力者で、脅されているというわけでもないのだろう? うん、だったら何かの間違いで死ぬこともなさそうだし。私たちがそいつを捕まえるまで、命の心配はしなくて良さそうだね」
「…………あ、え、その、機関は? だって、機関は、秩序に属する組織で、きっと、私の弟を許さないわ」
「やー、そこら辺は機関も大きな組織だからねぇ。一枚岩ではなさそうだし、幸いなことに私も交渉材料を持っているわけだから。まぁ、無罪放免とは行かないけれど、優秀な術師は少しでも欲しいわけだし、何より、特殊な技能を所持している人なのだろう? だったら、交渉の仕方でどうにでもなるよ」
普通におかしい対応であったが、今の彩月に必要だったのは、正しさではなく安心だった。
少しでも迷えば、きっと彩月は疑い、戸惑い、言葉を信じ切れずに不安を抱いていただろう。だが、余りにも普通に、当然のことのように照子が言うので、彩月は安心したのだ。
弟が死ななくて済む、と。
「だから、大丈夫……難しい問題は、大人に任せなさい」
「…………うん」
彩月は瞳を潤ませて、そっと照子の胸に抱き着く。
幼子のように抱き着く彩月を、照子は愛しむように優しく頭を撫でる。
そんな二人の姿を見た時、治明は本当に敗北という意味を知った。
「やっぱり、勝てねぇな、ちくしょう」
されども、治明は知らない。
敗北を認める自身の横顔は、従者たる少女が思わず見惚れてしまうほどに美しいことを。
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完全な敗北だ、とリースは大山に抱えられての逃走中に歯噛みした。
機関を攪乱できるほどの手札を使って。
世界中のどんな強者だろうとも封印出来るほどの神器を使って。
盟友たる大山と、人形師である芦屋陽介にも協力をしてもらったというのに。
結果は、封印の失敗だけではなく、むしろ、それ以上の何かを呼び覚ましてしまったような、決定的に何かを間違えてしまった確信があるのだ。
「…………くそ、何が、頭脳担当だ。ワタシは、今回……余計なことばかり」
「…………」
「ああ、分かったよ、大山。無理には喋らない。気が昂ると、ただでさえ瀕死の状態から、うっかり死んでしまうからね。下手にワタシが死ぬと、『魔神器官』が暴走してしまう。それだけは、それだけは避けなくては」
彩月の転移阻害を越え、何とか転移を成功させた『侵色同盟』の三人は、とある市街に隠してあるセーフティハウスの一つに向かっている最中だった。
巨漢の大山が、四肢を奪われたリースを抱えて移動する有様は、何の術もなければ通報は不可避だろうが、幸いなことに陽介はこの手の魔術に関しては達人の域だ。リースも体内の魔力が乱されていなければ、どうにでも誤魔化せるのだが、ここは盟友たる『人形師』の言葉を聞いて大人しく安静にしている。
「あまり、落ち込むのはよしなよ、我らが『明星』。何も、今回の事態は全てがマイナスになったわけじゃない。ちゃんと得た物もあったさ」
「…………まぁ、君は久しぶりに身内に会えて嬉しかったかもしれないけれど」
「や、そうじゃあなくて。姉さんに会えたのはとても嬉しかったけど、喧嘩しちゃったし。でも、元気な姿を見ることが出来たのは確かに良かったかな? と、違う、違う。今回の件で、『侵色同盟』がきちんとイレギュラーの脅威を確認できた、ってのは収穫だと思うよ?」
「それは、そうだと思うのだけれどね? でも、失ったリソースを考えると頭痛い」
「…………」
「うん、大山の言う通りだよ。失った物を考えても仕方ない。これからの未来のことを考えよう。幸い、僕もあの盗人の規格外ぶりは確認できたし、『王冠』に対して協力を取り付けるのに協力するさ。それでも、支障が出るのなら――――我らが盟主から力を授からなければいけないけれどね」
「それは――」
「相手はそれほどの相手だろう? 我らが『明星』――リース」
陽介の言葉は正しかった。
リースは、否、大山を含む『侵色同盟』の全員が、盟主の凄まじさを知っている。天宮照子という脅威を思い知ってなお、盟主には及ばないと断言できるほど、盟主は特別だった。
ただ強いのではない。
さながら、デウスエクスマキナの如くどんな難事だろうとも解決するだけの能力と実績が、盟主という存在にはある。
極論を言えば、盟主さえいれば『侵色同盟』の目的は果たされるのだ。ただ、目的を達成する上で、より理想的に、犠牲者を少なく、理想に近づけるために幹部たちは動いている。
なので、不確定の脅威があるのならば、盟主の手を煩わせても排除した方が良いと、リースももちろん理解しているのだ。
「しばらく、考えさせてほしい、『人形師』――陽介」
それでも、リースは即答することが出来なかった。
一番手っ取り早く、安全で、確実な排除を望める方法はそれしかないと理解しているというのに、『勘』という不確実な要素が己に警告するのだ。
盟主と、天宮照子という存在を僅かなりとも関係性を交差させてはならない、と。
四肢無き肉体で、無力を噛みしめながらリースは己を疑い、苦悩する。
正しいのはどちらなのか? と。




