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第79話 落陽は再会と共に 13

 乗り越えた、という実感が私の中にあった。

 それは、生まれてからずっと感じていた『何か』に近しい。

 世界の法則。

 絶対に覆すことの出来ない常識。

 人が、人として到達できる限界。

 ただの生命から、一線を画す何かへと昇格するための何か。

 その境界線を乗り越えたという実感が、私の中にはあった。


「さぁて、やろうか!」


 笑みと共に、私は虚空を踏み出して加速する。

 本来は足場にならない空間だろうとも、私にとっては十分に踏み固められた大地と何の遜色もない。何故なら、私が踏み固めて、蹴り出すのは物理的な何かではなく、それらを構成するこの異界の魔力そのものなのだから。


「方向確認。目測完了。これより、空間を跳躍する」


 清々しい気分だった。

 少しばかり目を凝らせば、遥か彼方に存在するはずの月の姿を視認できる。

 少しばかり足場を飛び越える程度の気持ちで、空間を跳躍し、距離を越え、目指す敵対者の下へ飛び込んで行けるのだから。


「――――? ああ、こうか」


 飛び込んだ先……宇宙空間では、今までにない感覚で私を殺そうとする『常識』があったが、そんな物はもはや意味を為さない。

 真空? 声は響かない? 無重力?

 なんだ、それは。その程度の常識が、私の足を止めようとするな、鬱陶しい。


「は、はははは! ははははは!! 実に良い気分だよ…………でも、生憎、この全能感に浸って居る暇は無くてね」


 太陽光に反射して、鈍く光る衛星が眼前にある。

 表面が凸凹したそれは、近付けば近づくほど、異様なほどの巨大さを露わにして、挑戦者たる私を屈服させようとする。

 そうとも、先ほどまでの私ならば諦めていたかもしれない。

 ミカンによって常識が取り払われる前の、私ならば。


「さっさと、ぶち壊すので、よろしく」


 武術の型など意識しない、馬鹿みたいな大振りのテレフォンパンチ。

 されど、この異界のリソースを食いつぶし、圧縮し、大山が行う超圧縮の魔力よりもさらに高密度に凝縮された魔力を、打ち込む拳に込めるのならば。


 ――――ごぉん。


「いっぱぁーつ!」


 鐘が鳴るが如き衝撃音と共に、私の拳が月にひび割れを入れる。

 直接拳を叩き込んだ場所は、深く巨大なクレーターへと変わり、みしみしと破壊の前兆たる音を宇宙空間に響かせる。

 そうとも、終わるのならば、壮大に、爽快に。

 無音で静かに終わるなんて、私は認めない。

 理想郷を気取るのならば、最後ぐらい、私の心を愉快にさせてみろ。


「にはぁーつ!」


 ――――ごぉおおおおん!!


 先ほどよりも力を込めて拳を叩き込めば、円形だった月の形が歪み始める。

 ありとあらゆるリソースを総動員して、己が『核』を守ろうとする異界であるが、残念。既に、この異界自体にひび割れが生まれて、崩壊へ進んでいる。逃れる術は無い。

 そして、今、ここで、手を緩める理由もまた、存在しない。


『止めなさい』


 異界全体から、私に対して懇願の如き洗脳思念が飛んでくるが、受け付けていない。

 最後の一撃で綺麗に片づけられるように、私はこの状態で、かつてないほどの限界に挑み、魔力を収束、圧縮し続ける。


『止めなさい、愚かな人間よ。この世界は理想郷。誰もが争うことなく、幸福に暮らせる世界なのです。何故、この理想郷を砕こうとするのですか?』


 答えない。

 魂や人格のある相手ならばともかく、ただの機能に答える義理はない。

 さぁ、神器よ。

 マホロバという偽りの理想郷を掲げる、ツクヨミの権能よ。

 終わりの時間だ。


「らぁ、すぅ、とぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

『止めなさい、止めなさい、止めなさ――――』


 光があった。

 収束、圧縮の果てに、魔力というエネルギーは何かを越えて、光としか観測出来ない何かへと変貌を遂げる。

 そして、それは私の右こぶしから、壊れかけの月(異界)へと放たれて。


「悪いが、大人は忙しいんでね。おままごとなんて、やっている時間は無いのさ」


 ガラスが割れるような音と共に、私は現へと覚醒した。



●●●



 リースは驚愕と共に、己の両腕が失われたことを自覚した。

 鐘が鳴るような音が響いたかと思えば、次にあったのは光だった。まるで、曙光の如き眩い光が夜の闇を切り裂いて、思わず目を細めたところで衝撃があったのである。

 もはや、何度目か分からないほどの腕の喪失。しかも、今度は両腕。片腕は無理やり魔術で再生させて、ぎりぎり形を保っていただけとはいえ、魔力を集中させた手刀すらも、消し飛ばされるのは予想外だった。

 だが、そんなことはリースにとってどうでもいい。

 最大最悪の異常事態に比べれば、比べるに値しないのだ。


「…………天宮、照子っ!」

「やぁ、リース。先ほどぶりだねぇ…………それと、エルシア。ありがとう、私を助けに来てくれて」


 リースの眼前には、天宮照子が居た。

 制服姿で。

 何故か、金髪が腰まで伸びた長髪の姿で。

 僅かに光を帯びた姿の照子が、『降臨』と呼んでも差し支えないほどの威光を持って、そこに居たのである。

 僅かな時間で、最高ランクの神器の封印を打ち破って。


「なんで、光ってやがるのですか? 馬鹿テル」

「いやぁ、ちょっと脱出する際にね? まぁ、エフェクトだと思って我慢してよ。ほら、夜には懐中電灯代わりになるよ?」

「眩しくて、見づらいのです、馬鹿…………頭を撫でるな!」

「はいはい、エルシアへの頭なでなでは、治明の特権だもんね?」

「ちがっ…………彩月姉さまからもなでなでして貰っているもん!!」

「それは羨ましい限り」


 リースは幾つもの奇跡……否、異常が眼前で重なったことに驚愕していた。

 まず、内側から神器を破壊し、封印を強引に解除したという異常。

 あり得ないはずだった。例え、世界最高クラスの強さを誇る大山でさえ、脱出には相応の時間がかかるほどの封印なのだ。どれだけ異能が強力であったとしても、間違いなく、単独での脱出は不可能だとリースは見積もっていた。

 けれども、逆に言えば、単独でないのならば? あの異界の中で、かつて封印されていた何かしらの人物の手助けがあったのならば、あるいは、それが為せるかもしれない。実際に、封印が解除されてしまったのだから、リースは妥当な考えとして真実の一端に辿り着く。


 ただ、それでも、タイミングの良さという異常には引っかかりを覚えざるを得なかった。

 封印が解除されるのは、まだ分かる。だが、どうしてこのタイミングで?

 決定的な場面で、あと一秒でも遅れたら仲間を失うというタイミングで、誰かを助けることが出来る?

 それが、それが何よりも、リースにとっての異常だった。


「権能受託――」

「あ、別に気づいていないわけじゃあないのだよ」


 故に、リースは自らに意識を向けられていない今だからこそ、身命を賭して照子を排除しようとして、『切り札』を使う間もなく、足が、残りの四肢が消し飛ばされた。

 一体、誰が思い至るというのだろうか?

 照子が振るった攻撃は、光速に近しいほどの速度を持ち、なおかつ、周囲に衝撃波をまき散らさない収束された一撃であることを。

 そのような異様な攻撃力でさえ、マホロバ内で顕現した怪物の影響を受けた、単なる残滓に過ぎないということを。


「それと、お前のおかげでなんとなく魔力の使い方が分かったよ、ありがとう、リース。だから、今、こうして、お前の魔力の流れを正しく乱せる」

「が、ぐ、あ、あああ…………あま、みや、てる、こぉ……っ!」

「そうだよ。私が天宮照子――――お前の敵だ」


 リースは四肢を消し飛ばされた上、体内に打ち込まれた打撃の所為で、魔力の操作に致命的な乱れが出てしまっていた。

 無論、即座に自害の術式を発動させたのだが、それすらも、照子から流し込まれる強烈な魔力の奔流によって焼き切れてしまっている。


「だから、お前に敬意を表して、私は決して油断しない。私は、お前に慈悲を与えない。ありとあらゆる手段を用いて、お前を殺す…………いいや、お前の『未来』を殺す」


 ひたり、と照子の手がリースの顔面を掴む。

 一見するとそれはアイアンクローにも似た体勢であるが、実体はもっとひどい。

 照子は己の魔力を無理やり打ち込み、リースの肉体を全て掌握せんとしているのだ。もっとも、洗脳と呼ぶにも強引過ぎる、肉体全体の動きをごり押しで操るような芸当であるが、現在の照子ならばそれが可能だ。


「エルシア、君の助けが必要だ。私がこいつの肉体を掌握したら、式神契約を結んで、無理やりこっちに人格と記録を引っ張ろう。核となる魔結晶が無く、無敵だとしても、こいつの脳には沢山の情報が詰まっている」

「おおお……後輩がナチュラルに外道な情報取得をしようとしやがっているのです」

「止めるかい?」

「いえ、先輩として後輩をフォローしてやるのです。感謝しろ」

「うん。とても感謝するさ、エルシア」


 辛うじて意識を繋ぎとめているリースは、己が絶体絶命の窮地に陥っていることを正しく認識していた。

 殺されるのはいい。

 だが、情報が抜かれるのはまずい。とても不味い。

 リースの意志が介在しない状態で、情報を引き抜かれるという状況は、リースだけではなく、『侵色同盟』にとって致命的な打撃を受ける可能性が高いのだ。


「…………が、あ……た、い、ざ……」


 必死に脳内で起死回生の考えを巡らせるリースだったが、上手く頭が働かない。何故ならば、それを見越していた照子が、魔力を乱し、リースの思考すらも乱していたからだ。


「言っただろう? 油断はしない」


 照子はリースを強敵だと認識している。

 それは、圧倒的な力関係を構築したこの時でも変わらない。何か一つきっかけを与えれば、逆転されてしまう可能性を危惧している。

 だからこそ、照子はリースの思考を乱すために魔力を無理やり注ぎ込んでいた。まともな思考を封じて、何もできぬままリースの情報を奪い取るために。


「――――っ!」


 もはや、リースには身じろぎすることしかできない。

 照子が持つ規格外の魔力操作能力に加えて、機関でも上位の魔術師であるエルシアの協力があれば、一分もあれば主要な情報を吸い出されてしまう。

 そうなれば、『計画』は疎か、同志たる盟主の命すらも危ぶまれる可能性があるのだ。

 ただ、それでも動けない。頭も回らない。

 よって、追い詰められたリースに出来たのは、奇しくも、か弱い人間のように、僅かな希望に対して祈りを捧げることのみ。

 それは滑稽な光景だっただろう。

 人を食らい、人を操り、卓越した頭脳を持つ魔人が、祈ることしか出来ないという光景は、皮肉極まりなく――――されど、無意味では無かった。


「おぉおおおおおおおおっ!!」

「来たか」


 怒号と共に、鬼が頭上から降って来た。

 照子は不意打ちに近しいその一撃を、余裕をもって避けるが、流石に、リースを掴んだまま避けられるほど大山の相手は甘くない。

 加えて、照子の傍にはエルシアが居る。エルシアは召喚術に優れる代わりに、肉体的強度はさほど高くない。そのため、大山の指先でも掠ろうものなら致命傷なのだ。


「…………天宮、照子」

「そうとも。お前とも、先ほどぶりだな、大山。会いたかったぜ」


 四肢を捥がれ、まともに思考も出来ないリースを背にした大山。

 万全なれども、一撃で屠られる可能性を持つエルシアを傍に置く照子。

 一見すると釣り合いが取れているようにも見えるが、大山の左腕は肘から下が切断されている。しかも、傷口が白い炎で焼かれ続けており、回復が間に合っていない。


「…………」


 大山がこの場を脱するためには、本気で力を振るわなければならないだろう。その場合、周辺の地形が変わるほどの被害が発生し、機関からネームドを派遣される可能性も高まってしまうのだ。さらに、本気での戦いの最中では、リースを守ることは出来ない。むしろ、自分の戦闘の余波で死んでしまう可能性もある。肉片だけがあれば、再生が可能とは大山も知っているが、照子との戦いでそのような隙を見せている余裕があるとも思えない。


「お見合いかな? まぁ、時間を稼げて嬉しいのは私の方なのだけれどね?」


 また、笑みを浮かべて大山と相対する照子であるが、こちらも余裕はない。

 大山の本気の実力を知らぬからこそ、照子は最大限に警戒し、その警戒が正しいことを己の直感が証明してくれている。何度も己を助けた照子の直感は、紛れもなく、今から全力で戦えば、エルシアを失う可能性を警告しているのだ。

 無論、エルシアが弱いわけではないのだが、今回は相手が悪すぎる。

 魔神である大山と、正面から平然と殴り合える照子の方が異常なのだ。

 よって、二人の化物はしばしの間、静かに睨み合って。


「また会おう」


 次の瞬間、大山とリースは真っ赤な花弁へと変わって、この場から消失した。

 花弁は、風に巻かれて花吹雪となり、周囲へとひらひらと舞い始める。


「エルシア」

「駄目です。こちらの結界が破られました……転移によって逃げられています」

「彩月と治明は?」

「使い魔でずっと、観測と補助を行っていたので、無事を確認しています」

「流石」

「…………ふん。お前も、その、今日は頑張ったんじゃねーですか?」

「そうだねぇ」


 唇を尖らせたエルシアからの珍しい賞賛に対して、照子は微かに笑う。

 既に、発光は無く、後遺症といえば、髪の毛が伸びたぐらい。夢幻に過ぎない世界での影響は確かに、現実にはそれほど残っていない。


「確かに、少し頑張り過ぎてしまったかもしれないね」


 だが、照子は既に知ってしまった。

 夢幻の理想郷を破壊した『星砕きの怪物』は、荒唐無稽な空想などではなく、実際に可能な未来であることを。

 世界を砕く力が自分にあることを、照子は思い知ってしまったのだった。

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[良い点] 主人公が大人であろうとしてること。 敵に対して容赦しないこと。 [気になる点] 現状、敵組織がどれだけ可哀想な過去があろうが大層なお題目があろうが愉快犯的に一般人を弄ぶ双子が仲間にいる時点…
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