第78話 落陽は再会と共に 12
月。
地球の衛星。
大きさは、はっきりとは覚えていないが、確か、直径は地球の四分の一ぐらいだったような気がする。後は、兎が住んでいるとか、絶世の美女が居るとか、そういう御伽噺ぐらいしか知らない。
ただ、何かの映画か、漫画で読んだ気がするのだが、星を壊すのに必要なエネルギーというのはかなり途方もない物らしい。
我らが人類の叡智にして、最悪の兵器である核爆弾を用いたとしても、ちょっと人類を滅ぼせるだけで、星までは壊せないのだ。
それはそもそも、星を壊すような爆弾を本気で開発する存在が居なかったという点も大きいだろうが、基本的に『大きい物を壊す時には、大きなエネルギーが必要』だ。そして、それだけのエネルギーを確保するための手段が我々人類には存在しない。
いや、龍脈とやらを使って、世界五指に入るぐらいの最強の魔術師みたいな存在が、長い時間をかければ不可能ではないかもしれないが、そんな仮定は無意味だ。子供の頃、全世界の人間から一円ずつ徴収できるシステムが存在すれば、瞬く間に大金持ちになれる、などと夢想するのと同じような物である。
さて、長々と語ってしまったが、私の意見としてはこれに尽きる。
「…………無理じゃない? それ」
「だよなぁ」
私の率直な意見に、ミカンも苦笑交じりに同意した。
星を壊すなんて所業は、人間が行っていい範疇に入っていない。仮に、そんな真似が出来るのならば、それこそ、神を超えた何かだろう。
「あ、でも、この異界の『核』が月と同等の質量を持っているとは――」
「長い時間の観測結果から、ほぼ同等の質量を保持しているとオレが保証してやるぜ。心配なら、観測データから分かりやすく証明してやろうか?」
「…………無理じゃん」
「そう、無理なんだよなぁ。だからこそ、このマホロバは絶対脱出不可能な理想郷なんだよ。もっとも? アンタみたいに裏ワザとしてマナを奪いつつ、無理やり出口を作るって手段も無くはないが、そっちは時間がかかる。少なくとも、一年から二年はかかると思ってくれ。ああ、こっちの時間の流れで、じゃないぞ? あっちの時間の流れで、だ。こっちだとさらに気の遠くなる時間が必要だろうな」
かかか、と愉快そうに笑ってビールを呷るミカンだが、こちらは全く愉快ではない。
悠長なことをしている時間などは無いのだ。こうしている間にも、嫌な予感が段々と私の脳髄に降り積もっていく。
仲間を信頼できないのか? と自分の中の疑問が浮かび上がってくるが、リースならばともかく、大山ほどの傑物と戦っておいて、『何があっても大丈夫』などという楽観に沈むことなど出来ない。
無様だとしても、足掻けるだけ足掻かなければ。
「ぷはー、例え、幻だろうとも、この酒は美味いな。現実に戻って飲んだら、さぞや爽快な喉ごしなんだろうさ…………っと、そんな顔をするなよ、照子ちゃん。焦るな。誰かを心配するのはいいが、焦って気を乱せば、今後に差し障る」
「だからって、そんな暢気そうな…………今後?」
「おうとも。何度も言っただろう? オレと、アンタでこのマホロバを脱出する…………きっちりと『核』をぶち壊してな。そのためには、アンタの協力が要るんだよ」
奇妙な気分だった。
星を壊す。
隕石なんてちゃちな代物ではない。
月だ。古来、地球という惑星の周りをずっと、ずっと、ずっと回り続けたその星を、現実のそれと全く同等の強度を持つそれを、一緒に砕こうと言われたのだから。
普通であれば、信じられない。
けれども、彩月に似た風貌の、それでいて愛嬌のある笑みで告げられてしまえば、不思議と『出来るかもしれない』と思ってしまう。
一体、何なのだろう、これは? 美少女におだてられて、舞い上がっているだけじゃなければいいのだが。
「…………可能なのか?」
「可能だぜ。何せ、ここは現実ではなく、異界。神器が持つ権能によって構成された仮想空間って奴だ。オレたちはその中で微睡んでいるに過ぎない。だから、現実で不可能なことでも、ある程度は融通が付くんだよ。ほれ、明晰夢って奴あるだろ? あれと似たようなもんだ」
ミカンの言葉を聞いて、私はなんとなく理解した。
この異界というのは、厳密に言えば、現実の世界ではなく、仮想の世界。とてもリアルな幻覚を見せられているのと同じような物なのだろう。
だからこそ、そこに付け入る隙があるという訳か。
「しかし、仮にこの異界が仮想空間だったとしても、こちら側で自由自在に動かせるというわけではないのでは?」
「それはごもっとも。この仮想空間自体が神器の権能みたいなもんだからな。自由自在に弄れるわけではねぇよ。でもまぁ、オレもこの異界に引きこもって長いんでな? ちょいと術を噛ませてやれば、それなりに操ることが可能だ。ほれ、こうやって邪魔されず、のんびり酒を飲める程度には」
「なるほど…………どの程度まで干渉が可能かな?」
「アンタの記憶とリンクさせれば、『現実に存在する物体』なら何でも出せるさ。生憎、人物なんかは記憶通りの再現ぐらいしかできねぇがな。ただ、逆に言えば、『現実に存在しない物体』やら、未来兵器なんて物は出せない。夢の中を操れるからといって、いきなり『星をぶち壊す爆弾』なんて物は作れない」
ただ、やはり制限は存在するらしい。
リアルな仮想空間であるからこそ、そのリアルから外れることは出来ない。漫画やアニメに出て来る物凄い超兵器を出して、『はい、解決ぅ!』とはいかないようだ。
「なら、どうする? 策はあるんだろう?」
「かかか、もちろん。そのために、アンタを待っていたんだよ、天宮照子」
ミカンは不敵な笑みを浮かべて、説明を続ける。
「現実に存在する物ならば、この異界は許容する。だからこそ、オレたちが説得力のある行動を起こしたのならば、リアルを追求するが故に、それを咎めることは出来ない。例えば、神の器を持った者が、怪物へと変貌する可能性を秘めた異能を全力で、際限なく使ったのならば? しかも、超凄い陰陽師が、その異能を後押しする儀式を使えば?」
「超凄い陰陽師?」
「超凄い陰陽師」
「…………ええと、つまり、ミカン。君はこう言いたいのかな?」
笑顔でサムズアップするミカンに対して、私は問いかけた。
「星を破壊することさえできる怪物……それを現実に再現できると証明すれば、権能ですら、私たちの邪魔は出来ない、と」
「そそ。だから、やっちゃおうぜ、照子ちゃん。男の子……いや、女の子も男の子も関係ねぇよな。人間、一度は夢見ることを、やっちまおうぜ」
私の問いかけに、ミカンは偽ることなく答えた。
可能である、と。
「どうせ、夢幻に過ぎないんだ。一度ぐらい、世界って奴を思いっきりぶち壊してやろうぜ」
だからこそ、私はミカンに協力することを約束した。
現状、ミカンの策こそが最も成功率が高く、迅速に脱出することが出来そうだというのが一番の大きな理由だが、それだけではない。
実は私も、壊してみたかったのだ。
後顧の憂いなく、他者に迷惑をかけることなく、やれるのならばやってみたかったのだ。
世界を破壊するという、浪漫溢れる行いを。
●●●
ミカンと名乗った少女は、この時を待ち望んでいた。
長い、長い休暇、あるいは、残業だったかもしれないが、この異界は眠るにはさほど問題ない場所だったので、それほどの苦労はしなかった記憶がある。
ミカンが微睡む中で、多くの強者や凄まじい異能を持った人間がマホロバを訪れたが、誰もが最後は理想郷に飲まれて、消えていった。ミカンが消えていないのは偏に、ミカンが卓越した魔術師であるからに過ぎない。
ミカンはマホロバ内における管理者としての権限を、全体の半分ほど所持している。
故に、のんびりと眠りこけようが、自身が支配した領域ならば神器に取り込まれることは無いのだ。
その気になれば、理想郷内でありとあらゆる快楽やら、類まれなる人生をロールプレイングして楽しむことも出来たかもしれないが、ミカンはマホロバに入り込んでから、そのような真似をしたことは無かった。精々、酒を飲んでだらだらと景色を楽しんだり、一人で服を着飾って悦に入っていただけ。それに飽きたのならば、さっさと眠ればいいだけなのだ。
これが、真っ当な精神性を持った魔術師ならば、長い時間を異界内部に取り込まれて過ごすことに精神が疲弊するかもしれないが、ミカンはまともではない。人里離れた山奥に住む隠者か、あるいは仙人の如き精神性を有しているので、自分が時間の流れに取り残されようとも、気にしていなかった。
ただ、占術にて予測した『その時』を待ち望むのみ。
そして、『その時』は――――ミカンが、天宮照子と出会う時は、やって来た。
「いいか? 全力で頼むぜ。チャンスは一回…………というわけでもねぇが、異界内の修正力が働いて、次は同じ術式が使えないかもしれねぇ。仮に、この術式が成功しても、月を破壊するに至らないかもしれねぇ。だから、全力だ。なぁに、この異界内は夢幻。現実に帰れば、その影響はほとんど残らない」
ミカンは長年、異界内の半分を掌握しているからこそ、常に、招かれて入って来る者の情報を読み取っている。
大抵の場合、よほどの魔術師でも無ければ、異界内部に取り込まれた瞬間は、肉体的はともかく。精神的に一瞬の隙が生じるので、そこを狙って情報を掠め取る。
元々、このマホロバという異界は、対象の意識や記憶を読み取って、その対象の『最善の幸福』を作り出す場所だ。その行程に干渉して、情報を盗み見るぐらいはミカンにとって朝飯前の芸当である。
その結果、多少、『最善の幸福』がずれるかもしれないが、それはそれで、取り込まれた者の覚醒を促す結果に繋がるので、悪いことではない。
「だから、アンタの異能がどれだけ力を振るおうが、現実のアンタの肉体に影響はほとんど及ぼさない。現実に戻って、怪物のまま、なんてことはないさ」
「まったく、どこまで知っているんだか」
「少なくとも、アンタのことはアンタと同じぐらいにしか知らないぜ?」
ミカンは照子が取り込まれた時、情報を探り、解析し、結論を出した。
天宮照子という来訪者こそ、自らが待ち望んでいた存在であると。
それは、マホロバを破壊する可能性を有する存在という意味だけではなく、他の意味もあるのだが、ミカンはそれを照子に話すつもりはない。
正確に言えば、『話そうが話すまいが意味はない』のだが、今、優先すべきはマホロバからの脱出である。
照子が急を要して居なければ、ミカンも己の素性について詳しく語ったかもしれないが、今はそれよりも儀式の発動を優先させていた。
「…………よし、儀式の準備は整った。アンタはこの陣の中で、異能を強く意識しろ。そうすれば、オレの術式がアンタの異能に干渉して、『星を砕く怪物』へと変化を促す」
「時間は?」
「こちらの世界でも長くて十分。あちらの世界では三秒もかからないさ」
「邪魔は?」
「オレの領域で、初回なら邪魔は入らない。これが失敗して、再度のチャレンジとなると、介入を受ける可能性があるから、一発で決めろよな」
「――――了解」
儀式の場所は、照子が更地にした場所。
照子を中心に、梵字やら、幾何学的な文様やらで彩られた魔法陣が地面に記されて、それらはミカンから魔力の注入を受けると、淡く発光を始めた。
「じゃあ、行くぜ? 転神術式、発動」
発光と共に、ミカンは素早く印を結び、複雑怪奇かつ、繊細な術式を発動させる、発動させた術式の内容は、マホロバのリソースを照子へ移譲し、それを用いて『天照大御神』の力の一端を偽装すること。
如何に、月を司るツクヨミの権能であったとしても、いや、だからこそ、アマテラスの権能には敗北する。何故ならば、夜空に月が浮かぶのは、太陽が昇っていない時のみ。アマテラスの力を再現できるのであれば、月の権能を打ち消して、『核』を守護する力を失わせることが可能となるのだ。
そうすれば、現実世界と同等の質量を持つ月から、『核』となる物体は本来の姿……鏡としての姿を暴かれる。そこを照子に破壊してもらう予定だった。
故に、ミカンが照子に語った言葉はあくまでもイメージ。本当に世界を砕くほどの力を持った怪物へと成長させるのではなく、それを可能だと意識させることが目的だ。
この世界を砕くという明確な意思を持つほど、アマテラスの権能は強く能力を発揮して、マホロバを崩壊へと導くことになる。
その際、実体を持たないテクスチャとして、月を砕くイメージが照子の脳内では描かれることになるので、実際に星を砕くほどの怪物になるわけではない。あくまでも、それぐらいの気概が欲しかったからこそ、ミカンは言葉巧みに照子をその気にさせたのだ。
そう、そのはずだった。
「起動せよ、我が異能【栄光なる螺旋階段】」
ミカンが異変に気付いたのは、照子が己の第二の異能を発動させた時。
「【勝利の塔を登り切れ!】」
ぎしり、と空間が歪んだ。
異界内部の魔力が螺旋を描き、全てが照子へと収束してく。
本来、注がれるはずだったリソース以上に、照子が異界内部を蝕んでいく。
「…………こりゃあ、神どころじゃねーな」
アマテラスの権能を顕現させるための魔力はすぐさま集まった…………だが、術式は正しく働かない。アマテラスの権能を持って、ツクヨミの権能を打ち消す、などという『正答』ではなく、荒唐無稽で、けれども間違いと断ずることのできない答えへと、照子が変貌する。
ミカンが提案した通り、『星を砕く怪物』へと成るために。
「飛翔せよ、我が異能【不死なる金糸雀】」
変わっていく。
異界を食いつぶして、転神の術式を乗っ取って。
夢幻すら潰してしまうほどの輝きを、照子は纏う。
外見的な変化は、ただ、照子の金髪が光を帯びて、長く、長く、天使の羽根の如く伸びていくだけ。だが、金糸の如きそれは、何もせずとも世界の重力に逆らい、ふわふわと宙に浮かんでいる。
世界の理など、この怪物には適用されない、とばかりに。
「うん、これならいけるね。じゃあ、行ってくるよ、ミカン」
「…………か、かかかか! おうとも! 行ってこい、天宮照子! この、規格外の怪物め!」
「ははっ、酷い言い草」
かくして、怪物は誕生する。
夢幻に過ぎない異界の中だったとしても、現実に現れる可能性は確かに証明されて。
――――『星砕きの怪物』は完成した。




